第6話 棚の上の悪魔.2


中学三年生の夏。

十五歳の僕は、ある悩みを抱えていた。


僕が舞葉と一緒に居たいと思う気持ちは、小学生の頃から変わっていない。

しかし成長するに連れて、舞葉が女の子であることを気にし始めた僕にとって、彼女を遊びに誘うというのは気恥ずかしい事になりつつあったのだ。


舞葉も僕と遊びに行きたがっていたのは、彼女の態度で分かっていた。

それでも、思春期真っ只中だった僕は、周りの友達の目が気になってしまって思うように舞葉と接することが出来ないでいた。


今となってはくだらない悩みだが、当時の僕にとっては深刻な問題だった。



そうやって舞葉と一緒にいる正当な理由を探し求めていた僕は、散々悩んだ挙句にある答えにたどり着く。


舞葉と恋人同士になれば、胸を張って彼女と接することが出来るのではないかと。


そうして僕は、彼女に告白することを決意する。


自分の気持ちを素直に舞葉に伝えよう。


そうすれば彼女と遊びに行くことが当たり前の行為になるし、前よりももっと彼女と一緒にいられると思った。



そして告白の機会を探っていた僕は、例年の如く舞葉と夏祭りへ遊びに来る。


僕はこの日がチャンスだと、勝手に自分の中で思っていた。


境内を二人で歩き回る最中、僕は告白のタイミングを見計らっていたのだが、なかなか言い出せない。

騒がしい祭りの喧騒のなかで、無駄に時間は過ぎていく。


そうして僕達は、射的屋に立ち寄ったのだった。



「はぁ…。全然だめだよぉ…」


何度か射的に挑戦した舞葉が口からこぼす。

彼女は棚に並んでいたクマのヌイグルミに一目惚れしたらしく、少ないお小遣いを散財していた。


肩を落とす舞葉を見た時に、僕は「今だ!」と心の中で思った。


「しょうがないなぁ。僕がとってあげるよ」


僕は自分なりにかっこいい声色を作って、言いながら舞葉の前に出て行った。


「え? 本当!?」


舞葉は嬉しそうに声を上げると、期待の眼差しで僕を見た。

そんな顔をされたら後に引けないと思い、僕はお金を払って銃を構える。


照準を合わせて景品に狙いを定めた僕は、そのまま後ろの舞葉に話しかける。


「なあ舞葉。もし僕があのヌイグルミを取れたら、その時は僕と…」


「…僕と?」


途中で言葉を切った僕に、舞葉は疑問符を浮かべる。


「い、いや! なんでもない!」


舞葉には見えていないはずだが、多分僕の顔は真っ赤に染まっていただろう。


そのヌイグルミを取ることが出来たら、舞葉に告白しよう。

心の中でそう思った僕は、銃の引き金を引く。


飛んで行った弾が、ヌイグルミの顔に当たって跳ね返る。

コルクがぶつかった景品は、無情にも微動だにしない。


僕は次々に、弾を込めては銃を撃つ。


しかし、ヌイグルミはピクリともしない。

焦りで手汗が滲み出る。


残りの弾が最後の一発になった時、僕の視界は緊張で歪んでいた。

照準を合わせようとしても、手元が狂って上手くいかない。


後ろを振り返る事はできなかった。

そこにいる舞葉と、どんな表情で顔を合わせればいいのか分からなかったからだ。


あれだけの啖呵たんかを切ったのに、こんなに情け無い姿は見せたく無かった。


僕は覚悟を決めて、最後の一発を銃から発射する。

コルクはヌイグルミの腹に当たってから地面に落ちた。


つぶらな瞳で虚空を見つめる可愛いヌイグルミが、僕には悪魔の様に見えた。


「あーあ。駄目だったねー」


背中に舞葉の声がかけられる。

その明るい口調は僕を慰めるためのものか。それとも、実は最初からそんなに期待をしていなかったのか。


どちらにしろ、僕はとてつもない無力感を味わうこととなった。


こんな結果では終われない。

僕は舞葉に想いを伝えたいんだ。


この時、僕はそう思った。

そして無理矢理に自分の心に火をつけると、僕は財布からお札を取り出して店主の目の前に叩きつける。


「おじさん…。もう一回だ!」


「ちょっと景太君!?」


舞葉が驚いて声を上げていたが、僕はここで諦める気はなかった。


その後、新しいコルクの弾を全て撃ち尽くした僕は、相変わらず棚の上に座っているヌイグルミを睨みつけて店主に言った。


「…もう一回!!」


「景太君…」


その次の挑戦も失敗に終わった。

もちろん僕は挑戦をやめない。


「もう一回!!」


僕は射的を繰り返す。

そうして気が付けば、いつのまにか二十回も再挑戦していた。

僕の財布はすでに悲鳴を上げている。

流石に店のおじさんも、僕が銃を構える様を見て固唾を飲んでいた。


もはや何と戦っているのか、自分でも分からなくなっていた。


「おや。これは一体どういう状況だい?」


「あ、お父さん…」


僕の後ろで声がした。

だが僕はそんなことよりも、金銭的に次の挑戦が最後になってしまうことで頭がいっぱいだった。


受け取った最後の五発を目の前に、僕はどうしたものかと思考を巡らす。

ここまで勢いで挑戦し続けてしまったが、勝利のビジョンは全く見えていなかった。


「…景太君、君にアドバイスをあげよう」


いつのまにか僕の近くに忍び寄っていた舞葉の父が、僕の左耳に小声で話しかけてくる。

舞葉から事情を聞いたようだった。


「おじさん…」


「ひとまず、深呼吸をして落ち着きなさい」


そう言われた僕は、その場で深呼吸をする。

焦りでぐちゃぐちゃだった頭の中が、少しずつ静かになっていく。


「その調子、その調子。…あのヌイグルミを狙うなら首の辺りがいいんじゃないかな。一番大切なポイントは、銃を撃つ時に毎回、同じ構え方を意識することかな」


そこまで言って舞葉の父は黙る。

つまり後は引き金を引くだけということなのだろう。


僕は銃を構える自分の動きを、覚えられるように意識する。

そしてヌイグルミの首を狙って、コルクの弾を発射した。


打ち出された弾が首の下に当たったヌイグルミは、微かに前後に体を揺らしていた。

それは今までに一度も感じなかった手応えだった。


「おしい!」


後ろから舞葉の声が聞こえた。


「さっきと同じ動きを意識して、もうちょっと上を狙ってごらん」


舞葉の父が僕に囁く。


僕は先ほどの構え方を思い出しながら、それを再現しようと試みる。


グリップの握り方から銃身の角度まで、出来るだけ正確に再現する。


そして少しだけ上を狙う事を意識して、僕は引き金を引いた。


首元にコルクをぶつけられたヌイグルミは、大きく後ろにバランスを崩す。

そしてそのまま棚から離れると、軽い音を立てて地面に落下した。


「きゃー! 景太君やったー!」


舞葉が大声で叫びを上げる。

店のおじさんは、嬉しそうな顔をして僕の目の前にヌイグルミを持ってきてくれた。


僕は湧き上がる達成感で顔を綻ばせ、そばに立つ舞葉の父と顔を合わせた。


「アドバイスを聞いてすぐに成功させちゃうとはね。やるじゃないか景太君!」


舞葉の父は僕に向かってウインクをする。

その素振りは、舞葉がたまに見せるウインクを彷彿とさせた。


そうして僕は、舞葉が欲しがっていたヌイグルミを彼女にプレゼントすることが出来たのだった。


ヌイグルミを抱きしめる舞葉はとても嬉しそうで、見ているこちらも幸せな気持ちにさせられる。





祭りの帰り道、歩いている僕の片腕を、舞葉はヌイグルミと一緒に抱いていた。


その様子を見ていた彼女の父は僕に向かって言う。


「景太君と一緒にいると、舞葉はいつも笑顔で楽しそうだ。これからも、舞葉のことをよろしく頼むよ」


その言葉にどこまでの意味が含まれているのか定かではなかったが、深読みした僕は思わず顔を赤くした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る