口溶けは氷のように。
みちる
ネオン街の少女
「俺さぁ。死ぬの怖いんよ」
彼がそう言って私を見た。
「そりゃ、誰だって怖いやろね」
そう返しながら、セルフサービスの水に浮かぶ氷を口に流す。
室内で食べるラーメン。辺りは煙たい。そして、豚骨の匂いが充満している。
「俺、アイツおいて死ねんもん」
なんだ、ただの惚気か。
私は何も言わなかった。
平日の学校帰り。
私は幼なじみの省と、あるかけをして負けた。だからラーメンを奢っている。
「なぁ、替え玉、いい?」
「…好きにすれば」
ぶっきらぼうに答えたら、省は酷く喜んで「さぁせーん、替え玉、バリカタで!」と声を上げた。
にしてもよく食べる。本当によく食べる。
感心して見守っていると、ふと省と目が合った。
「俺より兄ちゃんの方が食べるけん?」
私の考えていることはお見通しらしい。
「そりゃ、ラグビーしてる大学生やろ。食べるやろな」
「そうそ。お前ほんと食べんよなー。」
男子大学生と女子高生を一緒にするなと睨むと、省は「何を今更」と笑う。奢ってもらっている分際で、失礼なやつだ。
氷をガリッと噛むと、麻痺した舌が急激に熱を持つ。
それが何となく鬱陶しくて、私はまた氷を流し込んだ。
省とバスに乗り込む。しばらくして、目がチカチカする通りに出た。
私の生まれ育った町だ。昼間は閑散としているのに、夜になるとネオン街に変わる。ケバい姉ちゃんたちがお客を引き込むのが見えた。
私の母は、ネオン街の端っこでスナックのママをしている。要はあのケバい姉ちゃん達と同じなわけだ。
ある男と惚れた腫れたで出来たのが私だと聞いている。その男は写真でしか見たことがなく、更に言うなら名前も知らない。母は教えてくれないのだ。
「…まさか、ナツが俺に奢ることになるとは思わんかったわ」
「なに。勝者の言葉とかムカつくんやけど?」
省はケラケラと笑った。
「だってナツ、それなりに美人やし告白もよくされとろ。俺が勝つ訳ないと思ってた」
…そう。
私達の交わした賭けは、「どちらが早く恋人ができるか」というもの。
ただ恋人が出来ればいい訳では無い。
本当に自分が好いている人と恋人になる、それがルールだった。
この賭けは実に半年続き、一週間前、省に彼女が出来た。
お相手はチア部の部長。
タワーのてっぺんで背筋を伸ばす、ポニーテールと笑顔の似合う、小さい女の子。
…私なんかと正反対な女の子。
「…私は案外と奥手なんよ。」
「弱っちいな!」
「繊細と言え」
ガタン、と激しく車体が揺れた。私の心の内を、表しているみたいに。
多分、最初から勝ち目のない賭けだった。
「まぁ、ナツは理想高いからなぁ。大方好きな奴見つからんかったんやろ」
省は妙にニヤケながらそう言う。
こいつは馬鹿だ。
「そうやなくて、私はファザコンなんよ。父ちゃんおらんから、父親みたいな安心感のある人がいいってだけ」
「そーれが理想高いって言うんやろ!」
「私が高いのは身長だけやから」
馬鹿。馬鹿。ばか。
省を詰りたい。けれど、出来るわけもない。
「あ、父ちゃんバス停まで迎えくるって。ナツも乗ってくやろ?」
省の言葉に、少しだけ考えた。
「……いや、今日は一人でいい。」
今日は省の父ちゃんに会いたくない。
バスが止まった。
定期を引っ張りながら省が言う。
「お前ん家めっちゃ遠いんやけん、気を付けて」
バス停に、車から降りた省の父ちゃんが見えた。
省と同じ、四角い顔。こんがり日に焼けた肌。菩薩みたいな細い目。くっきりとした眉。
何度見ても、省の父ちゃんって感じだ。
「じゃーなーナツ!」
「なっちゃん乗ってかんの?気を付けりね」
「はーいはい」
元気よく手を振って、親子に背を向ける。
…同じだ。
私の父親だという、あの男と。
省の顔は同じだ。
私の父ちゃんは、多分あの人だ。
私と省の父ちゃんは、おんなじ人だ。
分かっていた。
最初から勝ち目のない恋だった。
気が付いたら、涙を流して泣いていた。
水色のドレスを着た姉ちゃんが、「どしたん?」と駆け寄ってくるくらいに。
さっき食べたラーメンがせり上がってきそうなくらいの嗚咽を漏らし、私は姉ちゃんにしがみつく。
キツめの香水の香りが、涙と一緒に鼻の奥で弾けて流れる。
母ちゃんの惚れた腫れたが、私を苦しめる。
氷を噛み砕くだけじゃ治まらない怒りは、どうしようもなく滾っている。きっとこれからもそうだ。
私は母ちゃんを許せない。
けれど、苦しむのが省じゃなく私でよかったと思うくらいだから、私は悲しいくらいにネオン街の女なのだ。
ラーメンの香りとネオンの揺れる夜に育った、正真正銘の女だ。
省。あんた、あの子を選んで正解なんだよ。
そして私も、正解だ。
姉ちゃんに頭を下げ、私は泣きながら家路につく。
帰ったら瞼を冷やそう。
腫れていたら、省に心配されるから。
省は笑ってなきゃ、ダメだから。
見上げた空は、ピンクに黄色に青に紫。
明るい夜の中で、私は無理やり口角を上げた。
口溶けは氷のように。 みちる @mitiru_tear
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