第72話 恐怖

 ズン、と姫路宝仙が大広間に足を踏み入れた。

 年季の入った威厳のある顔つき。そして歳のわりには、しっかりとした体格。

 なるほどこれは怖い。まだ宝仙は一言も発していないが、空気はピリピリしていた。

 宝仙は是清を視界に捉えるやいなや、こちらに向かって歩き出した。


「桐生篝君……ではないな?」


 当たり前だ。今ここにいるのは、桐生篝ではなく、高坂是清なのだから。

 宝仙の口ぶりから察するに、舞花は篝関係のことで、父親をここに呼び出したのだろうか。


(まあ、当然と言えば、当然か……)


 いきなり宝仙に「是清が来た」なんて言って、話が通じるわけがない。

 多少言葉は濁したかもしれないが、うまく舞花は宝仙を呼び出した。それは普通にすごい。


(となると、ここからは俺か……)


 とりあえず、このまま沈黙というわけにもいかない。


「た、高坂是清とひ、いいましゅ」


 まずはしっかりと名乗っておく。


「舞花……これはどういうことだ?」


 宝仙は是清の言葉をスルーし、舞花をにらみつけた。

 一瞬、舞花の肩がビクッと震える。


(そりゃ怖いよな……)


 舞花が質問に対して「…………」と沈黙を作ると宝仙が続けた。


「騙したのか? 実の父親をお前は」

「…………ません」

「よく聞こえないぞ。はっきりと話せ」

「だ、騙してはいません。わ、私は……将来に関わること……とだけ……」

(なるほどな。そうやって呼び出したのか……)


 宝仙がカッと目を見開く。すごい目力だ。


「屁理屈を言うな!! この馬鹿娘が!!」


 これが宝仙の本性か、と是清は納得する。

 けど、実の娘に「馬鹿娘」とは……。温厚な是清とて、腹が立つ。


「あ、あにょ……!」


 宝仙が是清に振り返る。


「なんだ?」

「しょ、しょの……実の娘にむ、向かって……いや、じ、実の娘だからこそ、馬鹿娘ってのはどうかと……」


 何とか、言い切った。

 すると、宝仙が是清を睨みつけた。


「これは姫路家の問題だ。部外者が口を挟むな」


(なんだ舞花の父さん……怖すぎるぞ。敵には情けをかけないタイプだな)


 それにしても部外者とは。完全に蚊帳かやの外の扱いだ。


「で、でも……口を挟む──」

「高坂君、と言ったな?」


 言葉を遮られる。


「あ、ひゃい!」

「早く帰るのが、身のためだ」


 どうやら宝仙はどうしても是清を追い払いたいらしい。

 だが、是清にも意地がある。


「しょ、しょれはできない! 舞花との約束があるかりゃ!」

「ふむ……そうか。との約束か……」


 宝仙が舞花に再び向き直る。


「よく分かったぞ、舞花。さっきは怒鳴って悪かった。あれはお前のためと思って、やったんだ。許せ」


 なぜか、宝仙の態度がガラリと変わった。


「は、はぁ……」


 舞花の宝仙に対する返事はなかなかに曖昧だった。困惑している証拠だ。

 どうして、宝仙がいきなりこうなったのか。

 疑問はすぐに消えた。


「──どうやら、悪い虫がついていたみたいだな」

(は……? 悪い虫? それって俺か?)


 というか、会話の流れから間違いなく是清だろう。


「舞花。これが終わったら、引っ越しだ。篝君を説得して、今度は一緒に暮らすといい。そうすれば、今みたいなことにはもうならない」


 それから宝仙はスタスタと大広間の隅まで歩いていく。


(どうした、いきなり?)


 宝仙が何かを取ったのが分かった。

 それから宝仙はこちらに向かって歩いてくる。


(なんだ?)


 そんな宝仙の手には、見慣れたが握られていた。


(……ッ……!? おいおいおいおい!! っそだろ!!!!)


 宝仙が手にしていたもの。

 それはだった。


「小僧、言い残したことがあるなら、残しておけ。それくらいは許してやる」


 果たして、こんな状況でその要求を素直に飲む人間がいるだろうか。

 是清は何も言えなかった。


「無言か。それでもいいが」


 そう言って、宝仙が刀を一振りした。

 机の上の花瓶が、スパッと2つに斬れる。

 疑いようがない。あの刀は本物だ。

 恐怖で膝が震えた。


「あ、あんた……そんなことしたらただでは済まないぞ」


 仮に是清を斬ったとしたら、どんな重い罰が下るか。


「お、お父様!! や、やめて下さい!!」


 舞花が声を張り上げた。


「舞花、少し目を瞑っていなさい」


 しかし宝仙は動じない。


「小僧、『ただでは済まない』と言ったな? それは犯罪とか裁判とか……の話か? 1つ冥土の土産に良いことを教えてやろう。姫路家の前に国家権力はクソの役にも立たない」

「……っんだよ、それ!? ずりぃだろ!?」


 金持ちだから、犯罪は揉み消せるとか、そういうことだろうか。それとも、是清を殺したこと自体、表に出ないように手を回すとかだろうか。

 考えても仕方ない。

 宝仙は本気だ。今は生き延びることが先決だ。


「覚悟しろ、小僧。姫路家にたてつくことが、どういうことか、教えてやる」

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