僕は楽園を捨てた
水原緋色
第1話
真新しいスーツを身にまとい、その姿に違和感を覚えながらも、入学式をした。どことなく嬉しそうな母親の表情と、新しい環境に対する期待と不安のないまぜになった興奮が鮮明に記憶に残っている。
丸二年たった今、そんなものはどこへやら。さぼらずに行っていた講義も、最低限の出席で抑えようとしている。
「今学期、どの講義とる? っていうかお前、教員免許取るって言ってなかったっけ。それでとれんの? 」
「あぁ、それな。やめたんだよ。どうせ教員になるつもりなんて微塵もねぇからな」
モチベーションがなければ、なにも続けることなどできないだろう。もちろん最初は俺にだってやる気はあった。何があるかわからないし、とれるならばとっておこうと。確か、隣にいるこいつ――健介も同じように、教員免許を取るつもりでいたと思う。俺よりも先に諦めてたみたいだが。
就職活動、という文字がやけに気になってくる。何かしたほうがいいのでは、という焦りはあるが、具体的に何がしたいとか、付きたい職種もなくて、結局何もできずにいる。
「健介は、何になるつもりなの」
「んー、何になろうかねぇ。無難にサラリーマンとか公務員だろ。まぁ、親は公務員になれってうるさいけどな」
そう、親は安定を求める。だけど、正直自分に役所勤めなんかが向いているとは思えないし、サラリーマンになったとして、営業とか絶対無理だ。
何になりたいか、どんな資格をとるか、この先どう生活していくのか。当たり前だが、すべて自分の頭で考えなければならないし、何かしようとすれば、自分から行動を起こすしかない。今までとは違うのだ。
高校までは、正直今ほど頭を使い将来について考えることはなかった。与えられた授業時間割に沿って授業を受け、課題をこなし、部活に励む。それが良しとされ、いい成績を残せればそれだけでいい生徒だった。
「しっかりしてるね。勉強もできるし、部活もこの間の大会も結構いいとこまでいってたじゃん」
それだけで褒められ、肯定されてしまうのだ。将来のことはこれからでも考えれる。成績が良ければ選択肢も広くなる。そんな風に言われてきた。
無責任だ。自分の人生に対して、自分自身でさえも。けれどそれでも許された。
高校までのその世界では、何も考えずとも正解が目の前にあって、そこからはみ出さなければそれでよし。何とも簡単で、平和で、幸せだ。まるで楽園。
でもそんな楽園が窮屈で退屈で、心身ともにボロボロになってしまった。
だから手を伸ばしたのだ。知識が欲しいと。この楽園から逃れるために。自らで考え、自らの足で立つために。
「戻りてぇな、高校のころに」
ぼそりと、健介がこぼした。思わず聞き返してしまった。あんな楽園のどこがいいのだろうと、疑問でならない。
「だってさ、今みたいに色々考えもせず、ずーっと遊んでられんじゃん。天国だろ」
「お前は、今でも遊び歩いてんだろうが」
「あ、ばれた? 」
へへっと下手な芝居を打つように笑う健介を、違う生き物を見るような目で見てしまう。
こいつはただ、周りが行くから、同じようにその道を進んだのだろう。自ら楽園を手放そうとしたわけではない。親に、教師に、楽園から出ていくように言われたのだ。
何が正解で、自分自身がどうなりたいか、決めかねてはいるが、与えられた役割を演じるよりずっといい。
外から眺めてるぐらいでちょうどいいのだ。自分の足で立つためには。
僕は楽園を捨てた 水原緋色 @hiro_mizuhara
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