第三章 ヒゲとヒゲ、そして消えたヒゲ 【第一節 騎士団の実力やいかに!?】
グリエバルト魔王国の都ランマドーラは、単純にいえば、南北のラインを長径とした楕円、もしくは木の葉のような形をしている。
北から蛇行しつつ流れてきたブルーム川が途中でふたつに分かれ、それがまた合流することでできた中洲のような土地に、ジャマリエールがみずからの国の都を置くと決めたのは、そこが豊かな穀倉地帯のほぼ中心に位置していることと、何よりも川の流れを水運に活用できるからだった。
そういったことから考えても、やはりこの町の素顔は軍事的戦略拠点というより、大陸有数の経済的戦略拠点であった。
「――そういやきのう、ブルームレイクでひと戦あったんだろ?」
屋台でリンゴを見ていた男が、ふと思い出したように顔も上げずに尋ねた。
城の南の正門から延びるランマドーラ一の大通り――“満月通り”には、立派な構えの店が無数に軒を連ねている。しかし、そこから少しはずれた細い通りにも、驚くほどたくさんの露店が並んでいた。大商人であろうと店を持たない行商人であろうと、ここでは自分の身の丈に合った商売ができるし、それを求めて大陸各地からたくさんの人々がやってくる。
「ありゃあ戦なんてもんじゃないさ」
店番をしていた中年女が、嫌悪感を隠そうともせずに吐き捨てた。
「――ブルームレイクを襲ったのは、もともと町を守るために陛下が契約なすった傭兵団だっていうじゃないか」
「ああ、ワシも聞いたよ」
隣の露店で川魚を商っていた老人が、ぷかりとパイプをふかして笑った。
「――要は、欲の皮を突っ張らせて陛下を裏切った連中が、陛下の逆鱗に触れてさんざん打ちのめされたってだけの話じゃ。確かにありゃあ戦じゃねえやな。おしおきだ、おしおき」
「この国の兵は経験不足で弱いって聞いてたんだが、よくそんなにあっさり撃退できたもんだな?」
「お客さん、よそから来たお人かい?」
紙袋にリンゴを放り込み、中年女が猫背の男に尋ねる。
「ああ……乱世が始まっちまったろ? どこか安全なところはないかって、あちこち旅してるんだよ。あんたらは不安じゃないのかい?」
買い求めたリンゴをひとつ、さっそくしゃくしゃくとかじり、猫背の男は尋ねた。
「この世界のどこが安全かって聞かれても、わたしらにはよく判らないけどね……でもまあ、ウチの陛下はなかなかのやり手だそうだから、さほど心配しちゃいないよ」
「それにな、今話した傭兵団を撃退したのは、陛下がどこからか連れてきた勇者さまじゃというぞ?」
「勇者?」
「ワシも詳しくは知らんが、確かハル、ハル……ハルドールとかいったかのう?」
「それが勇者の名前なのかい?」
「うむ。とにかくその勇者がほとんどひとりで敵を蹴散らしたそうじゃ」
「その上、わたしらにはまだジャマリエール陛下もいらっしゃるからね。乱世になったからって慌てる必要はないよ」
「そうじゃな。ワシも若い頃に苦労してこの町の定住圏を手に入れたし、葬式もここで出してもらうつもりじゃよ」
中年女とパイプの老人は、そういって呑気に笑った。
「勇者ハルドール……か」
猫背の男は果物屋の前を離れると、人の流れに乗って歩き出した。
わずか三〇キロ南方で実戦があったというのに、ランマドーラの喧騒に大きな変化はない。相変わらず多くの品々が流れ込み、人々の交流も続いている。
猫背の男は芯だけになったリンゴを道端に投げ捨て、袋の中からもうひとつリンゴを取り出した。
「おまえも食うか?」
いつの間にか猫背の男の隣には、背の低い小太りの男が並んで歩いていた。
「うん。……ところで聞いたか?」
リンゴを受け取った小太りは、暗い瞳で雑踏を見回しながら呟いた。
「もしかして勇者の話か?」
「うん。ほとんどひとりであの傭兵団を撃退したとか聞いたんだが、本当かな?」
「どうかな? あくまで噂だし……」
「そりゃそうだが、あの傭兵団がほぼ壊滅したってのは事実だし、町が無傷だったのも事実だろう?」
「ま、オレたちが考えても仕方ないって。オレたちの仕事は聞いたままをお頭にお伝えすることだからな」
「それもそうか」
しゃくしゃくとリンゴをかじる小太り。ふたりはゆうべ泊まった木賃宿のところまで戻ると、預けていた馬にまたがった。
「……そういえばその勇者な」
「ああ、ハルドールだっけ? 何だかやたら若いって聞いたが」
「うん。その勇者な、異世界から来たって話があるぞ」
「は? 異世界? ホントかよ」
猫背はいぶかしげに小太りを振り返った。
「……それ、そのままお頭に伝えて怒られたりしないよな?」
「判らねえ……ただでさえ大枚はたいて寝返らせた傭兵どもが、クソの役にも立たずに潰走したせいでやたら機嫌が悪いからな、今」
「だけど、やっぱ黙ってるわけにはいかねえだろうなあ」
「あと、お頭じゃなくて頭領な」
雑踏を抜けたふたりは、手綱を大きく鳴らして馬のスピードを上げた。
☆
城の裏手の練兵場に、グリエバルト軍の歩兵と近衛騎士団が集まっている。今は槍を使った訓練をしているが、こうして見るかぎり、どの兵士もそれなりに使えているし、特に弱そうな印象はない。
「いかがですか、勇者どの?」
「そうだな……しいていうなら、お行儀がよすぎるかもしれない」
「はて、お行儀とは?」
「だから……まあ、いかにも実戦を知らない動きかな、という意味でね」
ガラバーニュ卿に真顔で尋ねられ、ハルドールは苦笑交じりに頭をかいた。
「では、いったいどのようにすれば……?」
「そう聞かれても、俺は兵士だったことはないからなあ……」
「ですが、実戦経験は我々より豊富でしょう?」
「そりゃそうだけどさ……」
兵士たちの視線がハルドールに集中する。騎士団を蹴散らしたポンガ某やクロを実力でねじ伏せたのみならず、先日はブルームレイクを襲った傭兵団をもしりぞけた。いまやハルドールは文字通りの勇者として、特に兵士たちから尊崇のまなざしを向けられる存在となっていた。
が、だからといって、ハルドールには人に教えられるようなものなどない。消えた顎ヒゲを撫でつつ、ハルドールは呟いた。
「……結局、身体の芯に染み込むまで身につけた動きでないと、咄嗟の時には出てこないからね。逆にいうと、馬鹿馬鹿しいと思うくらいに繰り返して身につけた技術なら、いざという時に頭で考えるより先に身体が動いてくれるんじゃないかな? ……よく判らないけど」
「そ、それはつまり……どうことで?」
「とにかく繰り返せってことさ」
そういい置いて、ハルドールは歩き出した。そこにガラバーニュ卿が食い下がる。
「ゆっ、勇者どの! もう少し……何か助言をいただけまいか?」
「これ以上の助言といわれても……」
「それがしどもの弱さは先日もご覧いただいた通り! このままでは国を守ることなどままなりませぬ!」
「いやいや、実際のところ、みなさんはそこまで弱くはないと思うよ」
「は? そんなはずはないでしょう? ……まさか勇者どの、それがしどもの相手が面倒で、適当なことをおっしゃっているのでは? さもなければ脆弱な凡人どもと憐れんでいるとか……?」
「どうしてそこまで卑屈になれるんだか……ま、面倒だなって思ってるのは事実だよ。でも、嘘もついてない」
ガラバーニュ卿が悲観するほど、この国の兵士たちの練度は低くない。おそらく訓練だけはみっちりやってきたんだろう。ただ、乱世が来るまで本格的な実戦を経験してこなかっただけのことである。先日のような実戦を何度か繰り返せば、いずれ遠からず、身につけた練度にふさわしい強さをいつでも発揮できるようになるに違いない。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。ニンゲンのレベルでいえば、みなさんは決して弱くない。ただ実戦に慣れていないだけだよ。慣れればちゃんと戦える」
「そ、そうですか……そういっていただけると、救われたような気がいたします」
ハルドールの言葉を聞いて、ガラバーニュ卿はほっとしたようなぎこちない笑みを浮かべた。
その時、城の裏手の物見の塔の上から、ケチャが大声でハルドールを呼びつけた。
「ゆうしゃ! じゃじゃさまがよんでる!」
「判った! すぐ行くよ! ――それじゃ団長どの、あとよろしく」
「は、はい、お任せください! 我らグリエバルト神殿騎士団、勇者どのからのお墨つきをいただいた――」
「意気込みだけはすでに一流だ。がんばって」
ハルドールはヒゲの団長と生真面目な兵士たちに別れを告げ、城内に戻った。
――つづく
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