第二章 男と女、あからさまな女>男 【第五節 あの女をマワせ!】
勇者としてのハルドールの最大の武器は、持って生まれた“勇者力”である。勇者力は魔力に似ているが、魔法として使うものではない。ハルドールだけが持つ勇者力は、ハルドールの意志に応じて腕力や脚力のような単純なパワーにもなるし、場合によっては防御力にも変換できる。とにかくハルドールはこの力をその場その場の局面に合わせて自在に使いこなし、体格を超越した強さを発揮することができるのである。
「……さて」
一〇〇艘以上の舟底に穴を開けて岸辺へと戻ってきたハルドールは、剣の峰で肩を叩きながら溜息をもらした。
無事に川を渡り終えた者、沈みかけの舟をどうにかもたせて渡りきった者、いったん向こう岸へ戻った者、そしてあえなく川底に沈んだ者――ハルドールの狙い通り、賊軍の渡河には時間的に大きなばらつきが出ている。この時間差を利用すれば、敵を各個撃破することができるだろう。真っ先に渡りきった第一陣を目指し、ハルドールは両手に剣を持って突っ込んでいった。
「!? なっ、何だ、貴様!?」
賊軍の意識は、ブルームレイクの町とそこを守るグリエバルト軍に向けられている。当然、鎧らしき鎧も身につけていない少年――にしか見えない異世界の勇者が、単身突っ込んでくることなど夢にも思っていまい。敵の集団に対する作戦オプションはあっても、たったひとりで切り込んでくる敵に対しての備えなどあるはずもなかった。
「……金と命とどっちが大切か、よく考えて行動することをオススメするよ」
ハルドールは敵の真っ只中に飛び込むと、両手の剣を縦横無尽にひらめかせた。幸か不幸か周囲にいるのはすべて敵――同士討ちの心配はない。
「ぐぎゃあ!」
「うぐぉっ」
「こ、こいつ……!」
「何なんだよ、このガキ!?」
「くそっ!」
傭兵たちはハルドールを取り囲み、押し包んでひと息に始末しようと仕掛けてきた。だが、いくら戦闘に慣れているとはいえ、ひとりひとりはあくまで凡人――勇者の敵ではない。
「……さっさと逃げてくれないと、こっちが弱い者いじめをしてるような気分になってくるな」
突っかかってくる敵を次々に返り討ちにしながら、ハルドールはまた重い溜息をついて背後を振り返った。
「――そこのお嬢さんがた!」
ハルドールの孤軍奮闘をよそに、クロとシロは城門のそばに馬を止め、何をするでもなくぼんやり戦況を眺めている。その周囲に血みどろで倒れているのは、おそらく、彼女たちの美貌に目がくらみ、戦いも忘れてついつい手を出そうとした傭兵たちのなれの果てだろう。
「やっぱり俺を手伝おうって気にはならない?」
「ならないね」
鞍上であぐらをかき、クロは自分の長い赤毛をいじっている。すぐ目の前で繰り広げられている戦いになど興味はないといわんばかりだった。
「ちょっと、クロちゃん……ね? もっとソフトなリアクションを心がけて?」
つっけんどんなクロの肩を揺さぶり、シロがうろたえ気味の表情で身も蓋もないことをいい始めた。
「――ほ、ほら、ここは一応協力するフリだけでもしておいて、何となく恩を売ったような感じにしておけばいいじゃない。そうすれば、あとの交渉を有利に進められると思うんだけど……」
「そんな小細工する必要ないだろ? わたしがあのおチビくんに一騎討ちで勝てばいいだけなんだから」
「あくまで一騎討ちにこだわるあたりは正々堂々としてるんだけどね」
またひとり、たがいの実力差も判らない傭兵を斬り伏せたハルドールは、その場に剣を突き刺し、ナルグレイブをはめた右手をクロのほうへ突き出した。
「――だったら、さっさとこの戦いを終わらせるために、俺も少し“お道具”を使わせてもらうことにするよ。きみにとってもじゃじゃさまへの恩を返すいい機会だろ?」
ハルドールが人差し指と中指でクロ――の首輪を指さすと、手の甲から彼女の首輪の間を赤い光がつないだ。
「――え!?」
きのうシロを撃ち据えた稲妻とは違う、まっすぐに伸びる赤光だった。驚いたクロが思わず身を引くのに合わせて、その光がどちゃりと重い音を立てる。
「これ……く、鎖!?」
ふたりをつないだ光が一瞬で実体化し、頑丈な鎖に変わった。
その瞬間、ハルドールは思い切り右手を引いた。
「くっ、クロちゃん!?」
「ま……っ!」
ハルドールが鎖でつながれたクロを力任せに振り回し始めると、彼女の言葉がぶつっと途切れた。
ジャマリエールの説明によれば、ナルグレイブとクロたちの首輪の間には、つねに魔力の鎖が張られているという。ふだんは目にも見えず、手で触れることもできないが、こうして使用者の意志に応じて実体化させることができる。本来、これはクロたちがナルグレイブの所有者を攻撃してくることを想定した、彼女たちを捕縛するために用意されている機能らしい。
「ばっ……おまっ、やめ、ちょ、お……ぉあぁあいいぃっ!?」
振り回す振り回す振り回す、さらに振り回す! 長い鎖の先端に分銅をつけた鎖分銅という武器があるが、ハルドールの鎖の先につながれているのは人外の美女、グローシェンカ――ならばこれは、鎖と美女とを組み合わせたまったく新しい武器、鎖美女とでもいうべき新兵器だった。
「はい、いってらっしゃーい!」
ハルドールはその鎖美女をすさまじい速さで振り回しながら、敵集団へと突っ込んでいった。
「んがっ!?」
大きな戦斧をかかえた切り込み隊長風の傭兵が、珍妙な悲鳴とともに宙を舞った。高速で振り回されるクロのブーツのかかとが、ちょうど彼の首のつけ根のあたりにめり込んだのである。
変な方向に首をひん曲げてスッ飛んでいった切り込み隊長を皮切りに、ハルドールから半径数十メートル以内にいた傭兵たちが次々と薙ぎ払われていく。たとえ分銅代わりのクロにぶつからずにすんだとしても、高速で回転する鎖自体がほとんど鈍器のようなもので、ひとたび引っかけられれば無窮の青空へ旅立たずにはいられない。
「ぎゃあっ!」
「がふっ」
「ちょ……っ、こ、この、おま、待て……っ、あだっ、がっ!」
「ぐわっ!!」
「ぎひいぃ!」
哀れな傭兵たちの悲鳴にまぎれて、途切れ途切れのクロの声が聞こえてくる。が、ハルドールは決して手をゆるめない。まるで小型の台風が移動するかのように、ぶるんぶるんと鎖美女をブン回し、ハルドールが次に狙いをつけたのは川面に浮かぶ傭兵たちを乗せた舟だった。
「わわっ……! よ、よせ、やめろ!」
ハルドールの意図に気づいた舟上の傭兵たちが、慌てて重い鎧をはずし始める。しかし、彼らの身支度が終わるのを待ってやるほどハルドールはやさしくない。
「はっ!」
それまで地面と水平に円を描かせていた鎖美女を、一転、今度は背負い投げのようなフォームでブン投げる。大きな山なりの曲線を描いて飛んだクロは、狙いたがわず水面に浮かぶ舟を直撃、一撃で真っぷたつにしていた。
「ぼがががが」
水中に没して派手に泡を吐いていたクロをすぐさま引っ張り上げ、間髪入れずに横殴りの軌道で振り回す。平たい石が水を切って水面を跳ねていくように、クロの身体も水飛沫を上げて川面を何度も跳ね、その進路上にある舟を次々に破壊、沈めていった。
「あぶわびゃ」
「おお、およっ、おれ、おっ、泳げ、ね――」
「もがががぐんが」
おびただしい数の舟がまたたく間に沈んでいき、その数倍の傭兵たちが無様にばちゃばちゃやっている。最初にハルドールが敵中に突っ込んでいってからまだ五分と経過していないが、おおよそ賊軍全体の三割ほどは無力化できただろう。
それを確認して、ハルドールはようやく鎖を振り回すのをやめた。
「……これで少しは余裕ができたかな?」
暴虐の鎖に跳ね飛ばされず、何とか無事に城壁までたどり着いた敵もそれなりにいたようだったが、それも城壁の上に陣取ったグリエバルト軍によって駆逐されつつある。ハルドールがヒゲのない顎を撫でてひと息ついていると、ざばざばと水をかき分け、クロが川から上がってきた。
「――――」
長い赤毛をタオルのように絞りながら、ずぶ濡れのクロは無言でハルドールのところにやってきた。あのいきおいで激しく振り回され、さらに武装した傭兵たちや舟に何度も激突したというのに、これといって怪我をしている様子はない。その頑健さはニンゲンやエルフの比ではなかった。
「怪我がなくて何よりだよ、ミス・グローシェンカ」
「そりゃどうも。――こいつはお返しだよ」
自分の首輪につながっている鎖を掴んで手繰り寄せ、クロはにやっと笑った。
その直後、ハルドールの右腕がすさまじい力で引っ張られた。
――つづく
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