第二章 男と女、あからさまな女>男 【第四節 渡河を阻止せよ】
「――見よ、あれがブルームレイクじゃ」
丘の上に到着すると、ジャマリエールはハルドールに望遠鏡を渡した。この高さからなら、ブルームレイクとその南側を流れるブルーム川、それに賊軍と友軍の位置が手に取るように見下ろせる。
「どうにか間に合ったらしいな」
町のすぐ南側に展開した友軍は、川をはさんで賊軍と対峙している。断続的に矢を射かけることで、かろうじて賊軍の渡河を阻止しているようだった。
「……弱い上に数も少ない、見てられないね」
鞍の上に片膝を立て、クロはうんざりしたように呟いた。
「いや、よくやってると思うよ。ここまで渡河を許してないんだから」
ブルームレイクとその周辺の地形を確認したハルドールは、ジャマリエールの髪の乱れを撫でつけながら、
「――ところでじゃじゃさま、畏れ多くもきみとの契約を反故にしたというその傭兵団は、数としてはどのくらいなのかな?」
「……は?」
「だから、敵に回った傭兵たちの数は――」
「その前におぬし、何とゆうた?」
「え? あー……じゃじゃさま?」
「何じゃそれは!」
「あだっ」
憤慨する少女魔王の頭突きがハルドールの顎を痛打する。
「な、何って……きみの愛称だよ。あれこれじゃ~、なになにじゃ~、って、きみの口癖だろう? 正直、いちいちジャマリエール陛下と呼ぶのも面倒だしね」
「はぁ!? わらわの名にケチをつけるつもりか、おぬしは!?」
「……今はそのデリケートな議論は置いておこうか。戦禍に喘ぐ臣民のためにもさ」
ひりつく顎を撫で、ハルドールは鐙を鳴らして馬を再スタートさせた。一気に丘を駆け下ればブルームレイクはもう目の前である。
「俺はこのまま町の正面に回り込む。きみは兵士たちに町の中へ退却するよう命令を出してくれないか?」
「退却じゃと?」
「あの寡兵で持ちこたえていられるのは、賊軍が馬鹿正直に最短距離で渡河しようとしてくれているからだよ。だけど、敵が最短コースにこだわるのをやめて広く東西に展開し、みんないっせいに渡河を開始したら、あの数の兵士ではもうそれを阻止できない。そうなったら退却もままならないし、城壁を背負って全滅するのは目に見えてる」
「残念じゃが、おぬしの見立ては正しいじゃろうな」
「今ならまだほとんど損害はないようだし、傷が浅いうちに退却させて、城壁の上に布陣し直したほうがいい。防衛用の兵器とかあるんでしょ?」
「うむ」
ハルドールがまず敵の数を可能なかぎり減らす。その後、討ちもらして城壁に取りついた敵を、城壁の上からの攻撃で確実に始末していく――それがハルドールが提示したプランだった。
「よかろう。……じゃが、なるべくわらわの手をわずらわせるではないぞ?」
にひっと笑ったジャマリエールは、鞍を蹴ってふわりと空に飛び上がった。
「――わらわはこのまま町に入って兵の指揮を執る! おぬしが自分でゆったのじゃ、見事にやり遂げて見せよ!」
「自慢じゃないが、生まれてこの方、俺は女性の期待を裏切ったことがないんだ。決して自慢じゃないけどね」
すでに馬はブルームレイクの東側の城壁を左手に見ながら南へ向けて走っている。ふわふわと飛んでいくジャマリエールを見送り、ハルドールはさらに馬の速度を上げた。しかし、ハルドールとジャマリエールが二手に分かれても、なぜかクロたちはハルドールのほうについてくる。
「……きみたちはどうして俺についてくるんだ? じゃじゃさまといっしょに町に入ったってよかったのに」
「だから……ハルくんから離れると雷が落ちてくるでしょう?」
シロが首をすくめて薄曇りの空を見上げる。
「大丈夫だよ。そのへんはさっき調整した。……こいつの使い方はきのうのうちにみっちりレクチャーしてもらってるんでね」
ナルグレイブをはめた両の拳を打ち鳴らし、ハルドールはいった。
「今は“鎖”の長さを一キロくらいにしてある。だから、俺から一キロ以上離れなければどこにいようと問題ないよ」
「え? その長さって……もしかして、ハルくんが好きなように調整できるの?」
「ある程度はね」
「じゃあ……たとえば今は一キロのところを、一気に一〇〇万キロくらいに――」
「……いや、それはさすがに無理」
「そんな……ぬか喜びさせないで!」
シロは半泣きで唇を噛み締めたが、少々離れても問題ないといったにもかかわらず、ふたりはそのままハルドールのあとをついてくる。ハルドールが賊軍と戦っている隙をついてナルグレイブを強奪する気なのかもしれない。だとすれば厄介だが、ともあれ、今は町の救援を最優先に考えるべきだった。
「……実戦経験はなくても訓練はしっかりやっていると見えて、なかなか統制の取れた動きをするじゃないか」
ハルドールがブルームレイクの南側へと回り込んできた時、川の対岸に向けて断続的に矢を放っていたグリエバルト軍は、すでに八割がたが城門から町の内部に退却をすませていた。一方、グリエバルト軍の退却に気づいた賊軍も、岸辺に無数の小舟を浮かべていっせいに渡河を開始している。
「――これでよいのじゃな、我が勇者よ!」
振り返ると、城壁の上に仁王立ちするジャマリエールの姿があった。その真下で、兵士たちを収容した巨大な門がゆっくりと閉まっていく。
「ああ、見たところ連中に攻城兵器はないようだし、門に火をかけられることだけ気をつけておけばいいよ。……で、きみたちはどうする? 俺を手伝ってくれてもかまわないんだけど?」
馬から飛び下り、ハルドールはクロとシロに尋ねた。
「――あの町の人々を救うための崇高な戦いだよ。きみたちもそこにひと役買いたいとは思わない?」
「思わないね」
「……そんなに俺が嫌いかい? それはそれでショックだな」
「あんたがどうのってことじゃないよ。気に入らないのは事実だけどね。……わたしはわたしをしたがえられるほどの強さを持つ相手にしかしたがわない、単にそれだけの話さ。さっきもいったろ?」
「わたしもその……怖いのは嫌いだから……」
「じゃあどうしてここまで来たわけ?」
「もしあんたが戦死したら、すぐにその籠手をいただいて逃げるためさ」
「……ああ、そう」
あくまでそっけないクロに、ハルドールは溜息とともに肩をすくめた。
「じゃじゃさまに聞いたんだが、この国は極端に女性人口の割合が高いらしい」
「いきなり何の話?」
「あの町の二万人を超える非戦闘員も、八割以上はかよわい女性や子供だそうだ。……ここを守り切れなければ、おそらく彼女たちはひどい目に遭うだろうな」
「それがわたしたちに何か関係があるのかい? ……女神がお決めになった乱世って、そういうものなんだろ?」
「……かもね」
ハルドールは肩をすくめ、ブルーム川に向かっておもむろに走り出した。
結局、賊軍の総数は聞いていないが、大規模な傭兵団がそのまま寝返ったのだとすれば多くて三〇〇〇――実数は二〇〇〇ほどだろう。その二〇〇〇の兵が、数百の小舟に分乗して川を渡ろうとしている。
「けっこういい鎧を着てる連中もいるみたいじゃないか。それだけ羽振りがいい、つまりは何度も仕事に成功している強い傭兵団てことか――」
ハルドールに気づいた船上の傭兵たちが弓を持ち出して矢を射かけてきたが、ハルドールは姿勢を低くしてその射線の下をかいくぐり、川岸のぎりぎりのところからジャンプした。
「うお!?」
敵軍の驚きの声を飛び越え、一艘の舟の上に降り立ったハルドールは、剣を抜こうとする目の前の傭兵を蹴り飛ばし、舟底を殴りつけて大きな穴を開けた。
「う、わ――」
たちまち舟底から浸水が始まり、激しく舟が揺れる。それを見た傭兵たちは慌てて船縁を掴み、川に落ちないように身体をささえた。軽装の革鎧ならまだしも、金属製の胸当や兜を身に着けた状態では、とても川岸まで泳ぎきることはできまい。
「溺死したくなければ鎧を捨てたほうがいいんじゃないかな?」
敵が捨てた剣を両手に持ち、ハルドールはすぐさま次の舟へと移動した。
――つづく
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