第一章 シロとクロ、逃げる女たち 【第四節 見えない鎖】

「――可愛いクライアントのご命令だ、逃がすわけにはいかないな。それに、きみたちの強さにも興味があってね」

「おしゃべりなそのお口を今すぐふさぎな、ぼうや――!」

 驚きに目を丸くしていたのも一瞬のこと、クロと呼ばれた赤毛の美女は、兵士から奪った二本の槍を両手に持ち、すさまじい速さの連続突きをハルドールに見舞った。

「おっと――!?」

 両手で構えて使うことを前提とした長い槍を、左右の手に一本ずつ持ち、単純に突くだけでなく、時に斬りかかったり、柄頭のほうで足元を払ったりと、クロは多彩な攻撃を驚くほどの速さで繰り出してくる。単純なパワーだけでなく、恐るべき技量も持ち合わせているようだった。

「最強の武具ってそういう意味かな? ニンゲン兵器的な――けど、だったら俺だってそこそこ最強だと思うけど!」

 変幻自在の動きを見せるクロの槍にはさまじい速さがあったが、重さに欠けていた。黒光りするこのガントレットさえあれば、クロの攻撃をすべてはじき、逆に槍の穂先をへし折ることさえできる。

「ちっ……」

 槍が折られるたびに、クロはあたりに転がっていた別の槍を器用に蹴り上げ、空いた手に持ち替えて攻め立ててきた。

「速い上に器用だ。でもね――って!?」

 クロの両手の槍を同時にへし折り、そろそろ逆襲に転じようとしたハルドールは、その瞬間、視界の隅に映った異様な光景に目を見開いた。

「ま、待っててね、クロちゃん! 今、わたしが助太刀してあげるから……!」

 クロひとりにハルドールの相手を任せていた金髪色白のグラマー――シロが、胸壁を形作る石材に手をかけていた。厳密にいうならば、彼女の白魚のような細い指が、まるで鉤爪のように石材に食い込んでいる。

「――え!?」

 屈強な大男が数人がかりでなければ持ち上がらないような、それもモルタルによってしっかりと固定されている大きくて重い石材を、シロはこともなげにもぎ取って頭上にかかえ上げると、クロとスピーディーな攻防を繰り広げていたハルドール目がけて投げつけてきた。

「じょっ……!」

 城壁に使われるあのサイズの石材なら、どう軽く見積もっても三〇〇キロはあるだろう。ひと周りサイズが小さくなった今のハルドールでなくとも、うっかり当たればそのまま押し潰されかねない。

「驚かせてくれるよ、まったく……」

 シロの膂力に瞠目しながらも、ハルドールは石材をかわしてクロに肉薄した。クロの槍をうまく両脇にかかえ込んで二本同時にへし折り、さらに至近距離からフックを放ってきた彼女の拳を掴み止める。

「なかなかやるじゃないか、ぼうや」

 こうして両手で組み合うと、ハルドールよりクロのほうが顔ひとつほど背が高い。クロはハルドールを見下ろし、金色の瞳を爛々と輝かせた。

「それはどうも。……っていうか、ふつう、きみのほうがパワー自慢の直接攻撃タイプだと思うんだが……」

「わたしがパワータイプだって? 思い込みは危険じゃないかい、ぼうや?」

「ぼうやぼうやって……別にぼうやじゃないんだけどな」

「クロちゃん! ちょっとそこ離れて~!」

 その声に視線を転じると、すでにシロは次の石材をむしり取ろうとしていた。

「シロ! そんなことしなくていいから、あんたは先においとましなよ! わたしより足が遅いんだからさ!」

「え!? だ、だってクロちゃん――」

「ぼうやを寝かしつけたらわたしもすぐに追いかける! とにかく今はダンナを見つけるのが最優先だろ!?」

「う、うん……判った! 気をつけてね、クロちゃんも!」

 石材から指を引き抜いたシロは、ほんのわずかな助走で大きく跳躍し、中庭の向こうにそびえる尖塔の壁面に取りついた。

「……あんた、いつまで人の手を握ってるつもりだい?」

「これは失礼、哀しい男の性ってやつで――」

 ほぼ密着状態から繰り出されたクロの膝蹴りに気づき、ハルドールは手を離して後方に飛びすさった。

「じゃあね、ぼうや!」

 城の裏のほうへ回り込んで逃げようとするシロに対し、クロは城壁を越えて城下町に逃げ込もうとしている。別々の方向に逃げてハルドールの追撃を振り切ろうと考えたのだろう。

「いやいや、もう少しゆっくりしていきなよ」

 ハルドールは咄嗟に右手を伸ばし、胸壁を蹴ってジャンプしたクロの足首を掴んだ。

「――ちょっと痛いと思うけど、がまんしてくれるかな?」

 ハルドールはクロを引き戻し、そのまま思い切り通路に叩きつけた。

「んがっ……!」

 石積みの通路に叩きつけられたクロは、いささか色気にかける呻き声をもらした。今の一撃も、常人なら顔面陥没骨折もしくは胸骨粉砕骨折、とにかく一発で動けなくなるような衝撃のはずだったが、クロはまだ意識もはっきりしているようで、鼻を押さえてひくひく震えている。

「ごめん、今度こそ終わりにするから」

 彼女を完全にKOするため、ハルドールはクロに歩み寄った。

 その瞬間、はじかれたように飛び起きたクロが、右手に生み出した真紅の炎をハルドールに向けて放った。

「魔法も使える!? そいつはズルいな――」

 顔目がけて飛んできた火球を紙一重でかわしつつ、ハルドールはクロとの間合いを一気に詰めると、そのみぞおちにボディアッパーをめり込ませた。

「ぐ、ふ……!」

 手加減なしの一発に、さすがのクロも崩れ落ちる。彼女の失神を確認したハルドールは、視線をめぐらせてシロの姿を捜した。

「……あれのどこが足が遅いんだ? そもそも、見るからに筋肉質なこっちが魔法使ってあっちがフィジカル担当なんてひどい詐欺だ。俺が勇者じゃなきゃ三度は死んでる」

 すでにシロは城の尖塔を登りきり、その向こう側へ飛び降りようとしていた。

「仕方ない、ちょっと借りるよ」

 意識のないクロのブーツを脱がし、シロの後頭部を狙って投げつけようとした時、ハルドールの左手――ガントレットの甲の部分に埋め込まれたレンズ状のパーツがまばゆい光を放った。

「え!?」

「ぎゃんっ!」

 ガントレットからほとばしった稲妻が、蛇のようにのたうちながらシロを直撃する。長い金髪を逆立てて絶叫したシロは、びくんと身体を硬直させたきり動かなくなり、そのまま中庭へ落ちていった。

「おっと」

 突然のことに驚きながらも、ハルドールは左肩にクロをかついでひと足先に中庭に移動すると、素早く落下地点に入ってシロを受け止めた。

「……甲乙つけがたいとはまさにこのことだな」

 芝生の上に美女たちを横たえ、ハルドールはほっとひと息ついた。

「でかしたぞ、我が勇者よ!」

 あの便利な玉座に座したジャマリエールが、ケチャやガラバーニュ卿たちをしたがえて中庭にやってきた。

「あやうくマシュローヌのほうを逃がすところであったが、ま、よかろう。グローシェンカと得物ナシに渡り合えるニンゲンなど初めて見たわ」

「マシュローヌ……と、グローシェンカ? それがこのふたりの名前なのかい?」

「うむ。色白でもちっとしておるほうがマシュローヌ、やや色黒で引き締まっておるほうがグローシェンカじゃ」

 ジャマリエールは玉座から飛び下りると、ガントレットを撫でているハルドールにいった。

「おぬしにはゆっておらなんだが、その魔拳ナルグレイブはな、こやつらのこれ、首輪と魔力でつながっておるのじゃ」

 確かにふたりの細い首にはチョーカーを思わせる首輪がはまっている。意識のない美女たちの胸を無造作にぱんぱんはたいているケチャを引き剥がし、ジャマリエールはいった。

「――簡単にゆえば、この首輪をはめられた者がナルグレイブから離れすぎると、先ほどのような雷撃が首輪を直撃する仕組みになっておる。要は、おぬしはこの者どもの手綱を握っておるとゆうことじゃ」

「それってもしかして――俺ががんばらなくても、どのみち逃げられる心配はなかったってこと?」

「気を悪くするな、我が勇者。必死に逃げようとするこの者どもを御せぬようなら、どのみち今後の戦いを勝ち抜くことなどできぬと思ったのでな」

「なるほどね……で、採用試験には合格したと考えていいのかな?」

「無論、合格じゃ!」

 ジャマリエールはハルドールの尻をすぱんと叩いた。

「――報酬の一部前渡しとして、ナルグレイブとこの両名をおぬしにあたえよう。およそわらわが知るうちでもっとも強力な武器であり、防具であるこの女どもをな」

「このふたりが武器と防具? 取扱説明書は?」

「そのままでも一騎当千の戦士として活躍できる力があることは、たった今おぬしも目にした通りじゃ。しかし、武具として真の力を発揮させたくば、おぬしがこの者どもを心服させ、あらたな主人と認めさせなければならぬ」

「あらたな主人?」

「とにかく、おぬしはまずこの女どもを御すことから考えるのじゃ」

「御すっていわれてもね……女性を力ずくでものにするのは俺の主義に反するんだよ。女性とはつねに対等なパートナーでいたいっていうかさ」

「チビっ子のくせにいっぱしのことをゆうな。本格的な戦が始まるまでさほどの猶予はないのじゃ。もし間に合わねば、それこそ丸腰で戦うことになるのじゃぞ?」

「チビっ子じゃなくて、これでも二〇代だよ、三〇代手前の二〇代。外見で判断してほしくないな」

 髭が消えてつるつるになった顎を撫で、ハルドールは溜息をついた。

                                ――つづく

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