第27話 勝利の女神の祝福を
目が覚めて、私を緩く抱き寄せるたくましい腕からすり抜けるようにゆっくりと起き上がり、カーテンを透かす灰明るい光が照らす朝の寝室を見渡す。燭台に残る溶け切った蝋燭に、昨夜の営みが思い出されて不意に胸が熱くなる。
隣に横たわり穏やかな寝息を立てる一糸纏わぬヴィクター様を起こさないように小さな声で「おはようございます」とご挨拶してベッドから降りると、下腹部の鈍い痛みと違和感を覚え、不快なはずのその感覚に幸福感を感じる自分を否定するように頭を左右に振る。
今日のヴィクター様は政界の重鎮たちを相手にした交渉が待っている。
お湯を沸かしながら手早く自分の身支度を整え、正装の軍服と勲章の一揃えを用意して寝室に向かうと、ヴィクター様が目を覚まされ、ぼんやりとベッドに座っておられる。
「おはようございます。ヴィクター様」
「おはよう、ルーシー。昨日は無理をさせてすまなかった。身体は大丈夫か?」
朝の挨拶を交わし、気遣いの言葉とともに私に向けられる視線が、いつもと変わらないはずなのに特別なものに感じてしまうのは、私の気持ちのせいだろうか?
「お気遣いありがとうございます。私の身体のことはご心配なさらず、朝のご用意をさせていただきます」
「昨夜からの今だ。まだ痛むだろう? 無理をさせるわけにはいかない。これくらいは自分でできるよ」
そのお声が、そのお言葉が、ヴィクター様と心が通じ合うほどに私の胸を締め付ける。
これ以上は、私に優しくしないでください。
「ヴィクター様、昨夜のことは侍女としての務めの延長上のことです。身体はお許ししても、この心と立場まで譲るわけにはまいりませんので、そのおつもりで」
「私にも貴族としての立場があるのだがな……」
「存じ上げたうえで申しております」
そのお気持ちを知りながら、知っているからこそ、拒絶の言葉を選ばなければならない。
お身体をお拭きして服を着ていただく間、ヴィクター様は物思いにふけるように黙ったまま私の仕草や表情を見つめられている。
これは普段通りの仕事だ。そのはずなのに、胸を焦がすようなこの思いを、ヴィクター様に悟られないように振る舞うのが精一杯だった。
身支度を整え終え、胸に勲章をつけ終えると、ヴィクター様が不意に私の背中に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せられる。
「あっ……」
思わぬことに声を漏らしてしまい、見上げると目の前には燃えるような情熱の火を灯した琥珀色の瞳がそこにあった。
「今日の強硬派との交渉は厳しい戦いになるだろう。このヴィクター・クロムウェルに勝利の女神の祝福を」
「それが私であるならば……」
「疑う余地もない」
「んっ……」
その言葉に、瞼を閉じて背中を抱く腕に身を任せて背伸びをし、ただヴィクター様を想い口づけを交わす。
「ありがとう、ルーシー。では、征って参る」
「はい、どうか、お気をつけて、いってらっしゃいませ」
軍服を翻し、この安寧の場所を去るヴィクター様のその背中は、戦場に向かう騎士の姿そのものだ。
今日から私の知らない歴史が始まる。
ヴィクター様、エドガー卿、リチャード卿、そしてフィリップ様。ヴィクトリアの騎士たちが切り拓く未来は、私の知る未来よりも明るいのだろうか。
そうであることを祈りながら、客室の窓からホテルを走り去る馬車を見送った。
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