第7話
子供というより赤ん坊と同じ水準で泣いている上司を自警団本部に残し、騎士団に戻ったマルクは頭を抱えていた。
堅物、というより人形のようだった上司が人の心を得ようとしている。
自分が新婚生活で味わっている幸せを上司にも感じさせてやりたい。
守りたい人がいること、そして支えてくれる人がいることが、更なる力を与えてくれることを知って欲しい。
だから良い方向に導いてあげたいが、騎士団を私利私欲で動かすわけにもいかない。
幸い――と言ってはいけないが、現在騎士団は勇者を追いかけているので、『勇者の居所を知る少年』としてシリルを探しているが……その日の内に見つけることは出来なかった。
上司は今夜、そのまま自警団でお世話になるという。
騎士団の騎士達よりも人間味のある自警団の面々に囲まれているのは良いことかもしれない。
だが、いつまでもあんな状態でいられては困る。
「明日は見つけないとなあ」
上司が処理するはずだった書類を代わりに片付けながら、マルクは窓の向こうに見える夜空を眺めたのだった。
シリルがいなくなった二日目――。
そもそもシリルが出て行った原因は何なのか。
大方検討はついているが、まずはそれを確認するべきか。
そう思い、一昨日自分の代わりに上司に付き添った騎士のディーターを団長室に呼び出した。
ここには団長と副団長の机があるが、団長の席はまだ空いている。
涙腺が壊れた上司は自警団から出勤してくることが出来るのか……。
迎えに行った方がいいかもしれない。
今はともかくディーターに確認だ。
「一昨日、リクス様に付き添ったのはお前だな? 自警団で何があったんだ」
ディーターは家柄だけはいいお坊ちゃん騎士だ。
いや、腕もそこそこある。
だから厄介なのだ。
何も出来ないポンコツならもっと扱いやすいのだが……。
「何も? これといった問題は起きていませんが」
上司ではあるが、家柄では劣るオレをこいつは舐めている。
大人しく背筋を伸ばして立っているが、椅子にかけているオレを見下ろす目は、こいつの意思を雄弁に語っている。
訓練の模擬試合では憂さを晴らすようにコテンパンにしてやるので、更にこいつはオレを嫌うという悪循環が前から続いている。
目障りなオレをなんとか副団長の座から引きずり落とそうとしているようだ。
そして空いた椅子には自分が座る気なのだろう。
一昨日もオレが上司に付き合えない隙を狙い、取り入ろうとしたようだ。
それに以前から個人的にも上司に近づこうとしているのを見ている。
全く相手にされていないようだが、懲りずにチャレンジを続けているのは逞しいと思う。
「自警団の少年に手を上げたのは何故だ?」
「人聞きの悪いことを言わないでください。鍛えているからどれほどの腕か見て欲しい、と言われたので相手をしただけです」
自警団団長から話は聞いている。
確かに「実力を見せろ」とは言ったようだが、恐らく暴言を吐いてわざとシリルを煽ったのだろう。
お互いに手を出していれば言い逃れがしやすい。
姑息な奴だ。
少年相手に正当な理由なく暴力を振るったとなれば処罰出来るが、悔しいことに証拠がない。
「相手の少年は怪我をしたらしいじゃないか。自警団と少年に謝罪するように」
「私が? 何故?」
「言われなければ分からないならしなくていい。お前はしばらく倉庫に行って見習いと一緒に作業をしていろ」
本当はシリルに手を上げたことでクビにしてやりたいが……。
謝罪をしないことで自警団との関係が悪化することをあげ、しばらく倉庫に行かせるくらいのことしか出来ない。
自警団との協力が正式なものであればもっと責任を取らせることも出来たのだが、今の協力関係はリクス様と自警団団長の間にある信頼で成り立っている口約束にすぎない。
正式なものにしようと動いたこともあったが、上は自警団の存在を認めたくはないようで上手く行かなかった。
「……どういうことでしょう。わけが分かりませんが」
「王都が平和なのは騎士団と自警団が上手くいっているからだ。お前が謝らないのなら、それなりの誠意を見せなければ関係が悪化する。今は勇者が滞在していて脅威はないが、勇者が旅立ち、魔王の元へと近づくに連れて魔物の動きも活発になると考えられている。その際は自警団との連携が重要になる」
「自警団に頼らずとも王都騎士団がいれば王都は守れます」
「王都周辺を守り切るには騎士団だけでは人手が足りない。魔王の脅威にさらされている今はどこも人手がいるのだ」
「全てに手が回らないのなら、王都でも主要な場所だけ守れば良いではないですか。自警団の連中が守っているのは治安の悪いところが多い。どうせ住んでいるのは碌でもない奴らばかりでしょう。無理をして守る価値はありません。時には犠牲もやむを得ませんから」
「…………。……はあああ」
言い負けはしない! とすぐに反論していたが、呆れて思わずため息をついてしまった。
こいつには何を言っても駄目だ。
価値観が違いすぎる。
『分からせる』ということを完全に諦めた。
話していても時間の無駄だ。
「倉庫に行かないのなら領地に戻って好きにするといい。それとこれは独り言だが……軽々しく『犠牲もやむを得ない』などと言える奴は騎士を辞めろ」
「なっ、待て!」
「話は以上だ」
焦るディーターに構わず、出て行けと手で払った。
その瞬間、ディーターの顔が怒りで歪んだ。
「あのガキが団長に想いを伝えるなどという見苦しいことをしていたから、警告しただけだ! 私が処罰を受ける謂われはない!」
「何を言っても処遇は変えな…………は? 想いを伝える?」
聞き流して追い払おうと思ったが、耳に入ってきた言葉に固まった。
どういうことだ?
それはシリルが告白をした、ということか?
首を傾げると、ディーターが忌々しげに呟いた。
「……あのガキはいつものベアトリクス様が大好きだと、そう言っていた」
「それは親愛、じゃないのか?」
「親愛であのような表情はしない」
「あー……」
確かに見覚えがあるというか、シリルの上司を見る目には憧れと純粋な好意が見えた。
あの顔か、となんとなく目に浮かぶ。
――ゴンッ
音がした扉の方を見ると、いつもと違って少し髪が乱れた上司が目を見開いて立っていた。
無事、出勤して来られたようだが……。
何故か真っ赤になっている額が気になった。
今の大きな音は……まさか、額を扉にぶつけた?
「リクス様?」
「マ、マルク…………シ、シリ……シリ……」
「尻?」
「シリルだ! 馬鹿者! シ、シリルは! その……わ、私が好きなのか?」
「はあ?」
何を今更なことを言っているのだろう。
「直接言われたのでしょう?」
「それはそうだが……。憧れ、ではないのか?」
「憧れもあるでしょうけど、女性として好意を抱いているのだと思いますよ。分かっていなかったのですか?」
「女性として……」
オレの言葉を復唱した瞬間、ボンッと爆発音がしそうな勢いで上司の顔が真っ赤になった。
……え、そのリアクションはなんですか!?
まさか、好意を知って「嬉し恥ずかし」ってやつですか?
「リクス様、今まで散々言い寄られていたでしょう? こいつとかにも」
ディーターを指差すと、差された当人から舌打ちが聞こえてきた。
事実なのだから別にいいだろう?
「どうして今更そんなに照れているんですか。顔真っ赤ですよ。乙女ですか。どうしてそんなに可愛くなっちゃってるんですかねえ」
「うるさいぞマルク! 黙れっ!!!!」
呆れ声のトーンでいじると、かつてないほどの怒声が飛んできた。
だが全く怖くない。
半笑いでいると、苦い顔をした上司が大きな溜息をついた。
「すまない。少し風に当たって頭を冷やしてくる」
「え……リクス様! そこは壁で――!」
「ぐうぅっ!!」
「あー……」
踵を返した上司が壁に激突するのを止められなかった……。
「行ってくる……」
涙目の上司が廊下をとぼとぼと歩いて行った。
生ぬるい視線で見送るオレの隣には、この世のものではないものを見てしまったような表情で上司の背中を凝視しているディーターがいる。
「お前は倉庫に行けよ」
打算か本気か知らないが、失恋決定おめでとう。
ディーターにも生ぬるい笑みを送り、団長室から追いだした。
「ふう」と一息ついていると、シリルを探すようにと指示をしていた部下が報告にやって来た。
表情を見て分かる。
良い報告のようだ。
「マルク様、例の少年の目撃情報が入ったようです。魔法研究所副所長と一緒にいたそうですよ」
「副所長……ああ。あの目つきの悪い美人か」
騎士団員と魔法研究所員は城で顔を合わせる機会が多い。
向こうも要職に就いているため、話す機会もあるが……中々個性的な女性だったと記憶している。
シリルとはどういった知り合いなのだろう。
「早速副所長に話を聞きに行ったのですが、『そんな料理上手で女子力の高い美少年は知らない』と……」
「完全に知ってるだろ」
「研究所を閉め出されてしまったのでそれ以上は話を聞けませんでした」
「そうか」
シリルは今、恐らく住所不定無職だ。
知り合いなら休む場所を提供しているかもしれないな。
「家に行ってみるか」
「朝の、鍛錬っ……しなくて、よかったかもーー!!」
サラさんと朝食を済ませ、キッチンの後片付けや洗濯を終えた僕は、ただ今長ーい廊下の雑巾掛け中だ。
モップもあったけれどこれも修業だと雑巾を選んだのだが、足ががくがくする……僕は生まれたての子鹿か!
雑巾掛けだけならここまでなっていないと思うのだが、朝食前に走ったり素振りをしたり、自警団でしていた基礎鍛錬をやったのだ。
料理人を目指すにしてもひ弱なままなのは如何なものかと思うし、自警団で培ったものをなくしたくもない。
「痛っ! あーまだ痛いなあ」
感じの悪い騎士様に掴まれた腕はまだ痛い。
思っていたよりもダメージがあったようで腫れ上がっていたから、あと何日か痛みは残るだろう。
本当にひ弱で嫌になる。
朝の鍛錬は続けるつもりだが、雑巾掛けをする日はしなくてもいいかなあ。
窓の数も凄いから、腕の筋肉も掃除で鍛えられそうだし。
明日はやめておこう…………って、そんな逃げ腰ではだめだー!
黙って逃げるように去ったのに、また逃げたら駄目人間を極めてしまう。
明日もちゃんと鍛錬をしよう。
頑張ろう。
「あれ、ちょっと待って……先に窓を拭くとか……というか、先に上の埃を落とした方がよかったのでは!?」
『掃除の基本は上から下へ!』
埃取りを手にしてそう言うモニカさんの姿が頭に浮かんだ。
ああああ、そうだったー!
埃を落としてからじゃないと、また廊下を掃除しなくちゃいけなくなる!
というか、もう……やり直し決定じゃないか……。
廊下が目につき、雑巾掛けで鍛えよう! と思った瞬間に取りかかってしまった自分の短慮が憎い。
「もう嫌だああああ」
風に揺れているカーテンを見て更なる見落としに気づく。
「カーテンにも埃がついているよね……洗わなきゃ」
もう今日は洗濯日にしよう。
まだぷるぷると震える足を踏ん張りながら立ち上がったその時、外に人の気配がした。
サラさんは夜になると言っていたから、お客様だろうか。
「誰かなー…………え、ええええ!?」
窓から覗くと見つけた姿に驚いた。
慌ててしゃがみ、姿を隠す。
どうしてこんなところにマルク様が!?
門から玄関に向かって歩いて来ていたのは、何人かの騎士を引き連れたマルク様だった。
サラさんから騎士様達が僕を探していると聞いていたから思わず隠れてしまったけどれど、マルク様だったら大丈夫かなあ?
「ダーリン!? はああああああああ!?」
「…………っ!!!?」
出ていくべきか考えていると聞こえてきたマルク様の叫び声に吃驚した。
な、何だ!?
マルク様は扉を見ている。
扉に何かあったっけ?
しばらく呆然としていたマルク様だったが、バリバリと頭を掻くと帰っていった。
扉といえば、昨日のサラさんの手紙って……。
買い物から帰って来た時、たくさんある鍵のどれだ?って焦ったり、荷物がいっぱいあったから後から剥がそうと思って……それから剥がしたっけ?
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