第14話 曇りところにより晴れ
夕暮に染まる六畳間の和室で、淹れていただいた緑茶を
部屋の角に立てかけられた今は亡き想い人の遺影は、百点満点、いや、それ以上の笑みを浮かべていた。
俺が思うに、亡くなった恋人は、この世界で一番笑顔をつくるのが上手な人だった。
「でも、ホっとした。沢渡くん、思ってたより元気だったから」
先輩をそのまま大人にした感じの、絵に描いたような美人が甘い声で話す。
そろそろ四十だと先輩が語っていたが、二十そこらだと言っても疑う人はそういないだろう。
「今は、ですね。情けない話ですが、数日前まではダメだったんですよ。先輩が亡くなったショックで落ちこんじゃって、このまま自分も終わってしまっていいんじゃないかとか、そんなことも考えちゃったくらいで」
重たくならないようにと気をつかいながらも、あまり強がらないように打ち明ける。なんでもないように強がるのがよくないところだと、先輩に注意されたことがあるからだ。
ここは先輩の実家である。亡くなってしまったとはいえ、どこで彼女に見られているか、わかったものではない。
「でも、それだけ、あの子のことを好きでいてくれたってことよね。ありがとう。あの子も喜んでると思うわ」
「それはどうでしょう。死にたいなんて言ったら呆れられて、それから馬鹿にされてしまうと思います。『生きてるだけで楽しいのに、なに勿体ないこと言ってるんだ』って」
「うふふ、本当にあの子のことをよく見ていてくれたのね。そうね、きっとあの子なら、そう言いそう。泣いてる時間も勿体ない、ってね」
俺は、先輩のそんな底抜けに前向きな部分に惚れた。
最初は尊敬だった。この人みたいな考え方をできれば、どこか息苦しい毎日が変わるのではないかと憧れた。あまり生きることが得意でなかった俺にとって、雪原の向日葵のような存在。
その感情が恋に変わるまで、大した時間は要さなかったけど。
「でも、落ちこむのも人間だもの。変に気負わず、引け目も感じず。思い出したい時に思い出して、忘れたくなったら忘れてちょうだい。きっと、あの子もをそれを喜ぶと思うから」
自分も気持ちの整理が追いつかないだろうに、俺を気づかった言葉を投げかけてくれるこの人は、紛れもなく先輩の母親だった。
「そうさせてもらいます。今日は、先輩にそういう話がしたくて、この家にきたのもありますから」
完全に立ち直るまで、もう少し時間がかかりそうだけど、いつまでも沈んでいては、先輩に顔向けができない。
先輩には、安心して眠りについて欲しかった。
『え、えええ、そんな、付き合おうだなんて。弱ったなあ……仲良くさせてもらってたから、これまでも頭に浮かばなかったわけではないけど』
『先輩は俺のこと、どう思ってるんすか?』
『……私も、悠ちゃんのこと、好きだよ? あはは、改めて口にするとなんだか照れるね』
『え――俺のことを好きって――ちょっと、今の、もう一回言ってもらえます?』
『やだよ、そんな恥ずかしいこと何度も言えないよ。それに、今言わなくたって、これから何度でも言えるんだからいいでしょー?』
『え、つまりそれは、何度も言ってくれるってことですか? 言質取りましたから』
『言いませんってば! とりあえずね、付き合うのはいいよ。いいんだけど、今から心配だなあ。私と別れたあとの悠ちゃんが』
『ちょっと待ってくださいよ。なんで付き合う前から別れた後の心配してるんすか!?』
『いやー、だって悠ちゃん、軽そうに見えて重いんだもん。重量系男子? 別れた後引きずっちゃいそうだしなあ。お互いいつまで好きかわかんないし、別れなくても私になにかあるかもしれない。そうじゃない?』
『先輩って、変なところで現実主義ですよね……』
『毎日を全力で生きるために予め憂いを断っているだけですー。あ、別れなければいい、なんて言わないでね。重たいから』
『うぐ、言おうとしてました……牽制されるとは』
『そういうとこだぞ? ま、でも、あれだね。付き合ってる間に私色に染め上げて、少しでも軽薄な男に近付けてやるのもいいかもしれない』
『十分軽い人間のつもりなんですけどね』
『悠ちゃんは軽く振る舞ってるだけだと思うな~』
昨日、先輩の家に行ったせいだろうか。見たくて仕方がなかったような、もう二度と見たくなかったような、そんな懐かしい夢を見た。
目覚めた時に、
……なーんて。
目をごしごしと擦り、枕元に置いてあるスマートスピーカーに天気を尋ねる。
俺の寝起きの習慣だ。
『今日は、曇りところにより晴れ』
ベッドから身体を起こしてカーテンを開けると、空一面を雲が覆っていた。予報を聞いていなければ、雨を覚悟していたかもしれない。
――ピコン。
と、その時、机の上のスマホが振動しながら音を鳴らした。手に取り確認した画面には、心愛からの
『
そう言えば、今日は心愛に料理を教えてもらう約束をしていた。
『今起きた。いつでも』
『じゃあ今から行きますね』
『ちょっと待って。今起きたところだって言ってるだろ。まだ顔を洗ってないし着替えてもない』
『いつでもって言ったじゃないですか。じゃあ、二十分くらいしたら行きます。ついでですし、朝ご飯もつくってあげますから』
『ははあ、心愛さま。ありがたき幸せ』
やり取りを終える。
「んじゃ、着替えるとするか」
両頬をパシンと叩いて、パジャマを脱ぎ捨てる。人前に出ても問題ない普段着になったところで、ふと窓の外が明るくなったのに気付き再び空を見た。
「曇天に晴れ間あり、なんてね」
ずっと晴れているよりも、身近で優しく感じられる。
そんな天気だと思った。
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