第2章 昔以上、そしてそれから

第15話 変化のち余裕

 険悪だった幼なじみと以前のように話すようになって、はや一週間以上。


 失ったものの重さを忘れるにはまだ日が浅すぎるけど、日常の変化とやかましさは、晴れないままでいた憂鬱な気持ちを徐々に晴らしていった。


 心に晴れ間とは、つまり余裕のことだ。


 余裕がないと、一日の活動限界値が極めて少なく、スタミナ回復がケチくさいガチャゲーのような毎日を送ることになってしまう。


 俺は、そんな余裕を持たせてくれた周囲の人たちに、殊更ことさらこの険悪だったはずの幼なじみに対しては感謝していた。


 だから。


「今日は悠の家を掃除させてください」


「…………」


 放課後、いつの間にか自然とそうするようになっていた二人での下校時、彼女から告げられた面倒な提案を無碍むげに却下できるはずがなかった。


「部屋の汚れは心の汚れです。あんな散らかった部屋で生活していて元気になるはずなんてありません。埃っぽいですし、体調だって崩してしまいます」


「いや、俺は元気になってる。あの部屋でも平気だ。むしろ快適で過ごしやすい。リビングだって普通に飯が食えてるんだが?」


「リビングは多少マシですが、片付けてない通販のダンボールがあちこちに放置されてましたよね。缶とか瓶も、適当に袋に入れて放置されてましたし」


「あれは捨てる機会をうかがってたんだ。毎回捨ててたらゴミ袋代がもったいないし、手間だってかかる。省エネは大事だぞ? 自然にも優しい。俺は森林や地球の温暖化問題を考慮しているんだよ」


「はぁ。次から次へと、ずぼらを正当化するための言い訳をよく思いつきますね」


 心愛が呆れるように言い放つ。


 いや、ように・・・ではないな、呆れているんだ。


「部屋の中を同年代の女子に見られるのが恥ずかしいんだよ。なにが出てくるかわからないし。部屋の汚れなんかも触らせるのが気が引けるっつーかさ」


「では、悠が一人で掃除をしてくれればいいではないですか」


 それができないから部屋が汚れているとわかっていて、酷なことを仰る。


 平日は学校から帰ってきたらやる気が起きないし、休日はわざわざ休みの日になんで掃除をしなければいけないんだと思ってもっとやる気がおきない。


 料理も似たようなものだった。経済的な意味でも、栄養価的な意味でも、なるべく自炊をすべきだとわかっていつつも、かかる労力を考えて止めてしまっていたのだ。


 最近、ようやく心愛に教わっているところだが。


「でもさ、今は夕方だぞ? なにも放課後にやらなくてもさ」


「明日は燃えるゴミの日ですから都合がいいんですよ。もう、一人暮らしをはじめて二年目くらいですよね。その間大した掃除もせずによく暮らせたものです。人をあげることはなかったんですか?」


「ないない。友達と呼べるような相手なんてほとんどいないし、風間は呼んだことないし、先輩もないぞ」


 心愛がきょとんとする。


 急に先輩の話を出されたからと、恋人だった先輩を部屋にあげたことがないという俺の発言に意表を突かれたからとの両方だろう。


 最近は少しずつ先輩のことも口にするようになっているが、話題に出すと俺ではなく周囲の方が豆鉄砲を喰らったような反応をする。


「……変な声が聞こえてくるようなことはなかったですね」


「どう返せばいいんだ。まあ、その、俺はあまり自分を信用してないからな。部屋に連れこんだりして、理性を失って嫌われたりすると困るだろ?」


「要するに、ヘタレってことでしょうか」


「思いやりと自制心があると言ってくれ」


 そんなことを話しながら帰宅。


 心愛は俺と一緒に部屋に入ってきて、有無を言わさず掃除の準備を始める。


「なあ、本当にいいのか? いや、本当は迷惑でもなんでもないんだ。そりゃ嬉しいよ、誰かに部屋を掃除してもらえたら。でも、そこまでしてもらうのは悪いというか、そんなに気をつかってもらわなくても大丈夫だよ。もう十分に元気を分けてもらったからさ」


「はぁ、やっぱり遠慮してたんですね。だからいいんですよ、気にしなくて。私がやりたくてやってることですから。料理を教えたいから教えてる。汚いのが気になるから掃除する。それだけのことです」


「それだけって言ってもな。どうしてそこまでしてくれるんだ? いくら幼なじみって言ってもさ」


「さて、なんででしょうか」


 心愛が、くすりと笑みを浮かべた。


「クイズです。なんでだと思います?」


「いや、わからないから聞いてるんだよ」


「知ってます。まあ、今はいいんですよ、わからなくても。わからせてあげますから」


「……俺はいったいなにを教育されてしまうんだ」


 心愛が、怯えるような仕草をした俺を見て楽しそうに笑う。


 どこか馬鹿にしているかのような声色と、からかうかのような口調だったが、まったく不快感はなかった。


 その後、我が家を掃除する心愛を手伝い、なんとか夕食時までにキリのいいところまでゴミをまとめる。


「細かいところは、また明日にしましょうか」


「つまり、明日も掃除するってことか?」


「当然です。なにか用事がありましたか?」


「ないけど。心愛こそ、毎日俺にかまっていいのか?」


「言ったでしょう? 私がそうしたいからしてるんですよ。だから、いいに決まってます。さて、夕食をつくりましょうか。折角ですから一緒に食べましょう」


「いや、俺はいいんだけどさ」


 掃除してもらって、飯までつくってもらって、至れり尽くせりすぎて申し訳なくなってくる。


 まあ、本人がやりたいと言っている以上は止める理由もないのだろう。申し訳なく思うというのも、心愛に悪い気がした。素直に喜んでおくべきだ。


 でも、なにかお礼くらいはしないとな。


「じゃ、今度アイス行こうぜ。心愛に奢りたいから」


「気の利いた返しができるようになりましたね。楽しみにしています」


 心愛は、嬉しそうにそう返した。

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