第32話 可愛い仮妻と料理⑦

 ずっしりとした二つの膨らみをお腹に感じて、俺は目を覚ました。



「ん〜……?」


「くぅ〜……」



 仰向けになって寝ていた俺の上でコアラのように抱きついて由季はご就寝中だった。そんな由季の背中に腕を回してぽんぽんと叩く。



「いつの間にか寝てたな……」


「すぴ〜……」


「気持ち良さそうに寝てるな〜」



 確かな重みを感じながら、俺は由季の全身を受け止める。ここに由季が存在しているんだと安心できる感触だ。



「好きだよ、由季……」



 だけど、辛い……。


 幸せでもそれ以上の幸せを求めてしまう。由季は俺にとっての麻薬だ。欲すれば欲するほど、求める気持ちが溢れてくる。もう、離れ離れになることなんて考えられない。



「由季……」



 俺はその荒れ狂う感情に蓋をしようと、由季の首筋に吸い付く。そこに自分の女だと言い付けるように印を刻み込む。



「んっ……」


「ちゅっ……」



 強く強く吸い込む。由季に俺の存在を刻み込むように。



「ふぅ……」



 口を離すと由季の首筋の肌白い肌に真っ赤な印が付いた。そこまでしてようやく落ち着きを取り戻してくる。


 それと同時に由季はゆっくりと瞼を開いていく。



「んっ……ゆう……?」


「おはよう」


「うん。おはよう〜 ふふ〜」


「どうした?」


「何でもないよ。……いっぱいじゃれついてお腹空いちゃった。カレー作ろ?」


「そうだな」



 だが、悠と由季は気付かない。


 自分の首筋に愛しの人だと言い付けられるような真っ赤な印が付いていることに。


 二人はお互いを独占し合う似た者同士だった。



 **** ****



「さて、準備できましたか?」



 由季はいつもの淡いピンク色のエプロン、髪型をポニーテールにして台所の天使になった。この家では初めての顕現だ。



「できた。それでなにをすれば良いんだ?」



 買ってきた野菜は既に洗い終わった為、後は切るなり焼くなり炒めるなりすれば良い。



「では、このピーラーで人参とじゃがいもの皮を剥いて下さい」


「人参も剥くのか?」


「剥かなくてもいいですけど、見栄えの問題です」


「そういうもんか」



 由季からピーラーを受け取って俺は人参の皮を剥いていく。流石に包丁を使わないから楽だ。


 隣の由季を見れば、玉葱の皮を素早く剥いて包丁をすっと通して切っていた。


 しかし、あれだ。


 玉葱を切った際に涙が出る筈だが、由季は涙を流していなかった。



「玉葱は冷やしてから切ると、涙が出にくくなります」



 俺の視線を感じ取ったのか答えを教えてくれた。その際にチラ見してきた由季は包丁を置くと、俺に指摘した。



「深く剥き過ぎです。人参は薄く剥いて下さい。勿体ないです。元々、剥かなくても食べられるので」


「わ、分かった」



 力を入れ過ぎず、ピーラーの角度も合わせて剥こうとするが……。



「あれ? 剥けない」


「下手っぴ。ゆうの下手っぴ」


「グフッ」



 由季のダメ出しで心が痛い。だが、それも一瞬のことで直ぐに天国に移動していた。



「良いですか? こうして、こうします」


「え?」



 由季が俺の後ろに回って両手の主導権を握ってきたのだ。それも暴力的な柔らかさを持つ二つの大きなマシュマロを背中に押し当てて。



「う……」


「う?」



 由季の手の柔らかさと漂ってくる甘い香りが俺の思考を掻き乱す。数時間前に堪能した由季の柔らかさを思い出してしまう。


 ……今すぐ由季とイチャつきたい。キスしたい。抱きしめたい。


 だけど──耐える。


 一生懸命、教えてくれる由季に失礼だ。こんな邪な彼氏で申し訳ない……。



「悪い、もう一回頼む……」


「分かりました。良いですか? こうして、こうします──」



 こうして俺は由季に手取り足取り、ピーラーの使い方を学んだ。


 ピーラー使いとして俺はやっていけそうだ。


 そう思った矢先、持ち場に戻ろうとした由季に耳元で告げられる。



「ゆうが嫌らしいこと考えてるの気付いてるからね……。ご褒美上げるから頑張って……」


「っ⁉︎」



 その日、俺はピーラー使いとして猛威を振るった。

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