第三話:ファルシータ

 買われた子供は全員、大きな建物に集められて体を洗われて、清潔な服を着せられてから、出荷された。

 出荷先はそれぞれであり、子供たちの才覚によって振り分けられているようだ。

 俺が連れていかれるのはレオニール伯爵の研究所。

(もう少し、ましな馬車はないのか)

 先ほどから馬車の揺れが酷い。

 ひときわ大きく揺れた。

 すると、隣にいた少女がバランスを崩してしがみついてくる。

 そっちを見ると、慌てて離れていく。

「あの、その、ごめんなさい。わたし、わざと、わざとじゃないですから、ぶたないで」

 そのまま頭をかばって小さくなる。

 とても可愛い女の子だ。俺と同じぐらいの年頃、美しい金色の髪に白い肌。裕福な家の子だろう、でなければこの髪と肌の艶はありえない。

 しかし、反射的に頭をかばう仕草は普段から虐待を受けていることをうかがわせる。

「別にこれぐらいで文句は言わないさ。それより大丈夫か?」

「あり、ありっ、ありがとう、ございます」

「君も売られたのか」

「はいっ、おかあさまに」

「ひどい母親もいたものだ」

「ちがっ、おかあさまじゃない、おかあさまで、おかあさまなら、こんなこと」

 つたない言葉だが、だいたいわかった。父親が再婚でもしたのだろう。

 彼女を売ったのは新しい母親のほう、金に困って売ったというより、前妻の子が煩わしくなったというところか。

 そして、レオニール伯爵がわざわざ、よそに行く予定だったのを無理やり横からかっさらったらしい。

 こうして見るとその理由は一目瞭然だった。

「すごい魔力だ」

「そう、ですか?」

 本人は首をかしげているが、とんでもない魔力を持っている。この子は特級品だ。

「俺はユウマだ。同じところに連れていかれるみたいだし、仲良くなっておいたほうがいいだろう」

「はっ、はい、わたし、ファルっていいます。よろしくです」

 常に敬語だし、育ちの良さを感じる。

 彼女とは仲良くしておこう。

 彼女の魔力量は異常、このまま育てば規格外の魔術士になる。親交を深めれば必ず役に立ってくれる。……悔しいことにどれだけ工夫を凝らしたところで、もって生まれた魔力量がないとどうにもならない魔術も多い。

 世界を渡るために彼女の力を借りる必要があるかもしれない。

 また馬車が揺れた。

 倒れそうになるファルを支える。

「あっ、ありがとうございます」

「危なっかしいな。俺につかまっていろ」

「あっ、あの、いいんですか? わたし、なんかが」

 わたしなんか……こんな可愛い子が、この歳でそんなセリフを言うなんて。

「もちろんだ」

 そう言うと、おずおずと俺の腕にくっついてくる。

 小さい手だ。

「あったかいです」

 また揺れたが、俺にしっかりつかまっていたこともあり、ファルがバランスを崩すことはなかった。

 そして、そのまま俺の腕を枕にして眠ってしまう。

「守ってやりたくなるな」

 彼女に優しくしようと決める。

 打算はあるがそれだけじゃない。この子が昔の自分に重なる。

 昔、施設で俺にかまってくれた姉さんもこんな気持ちだったのかも。

 俺は落ちこぼれで、内向的な性格で一人ぼっちだった。

 そんな俺に姉さんだけが声をかけてくれた。

 俺は姉さんに救われた。だから、この子が望むなら、あのとき俺が姉さんに救われたように、救ってあげたい。


 ◇


 レオニール伯爵の研究所……もとい、実験施設につき、教室と呼ばれる場所に通された。

 授業風景は普通だった。俺と同じぐらいの子たちに文字の読み書きを教えている。

「あっ、来たね。僕の愛しいエンジェルたち、この二人は僕がわがままを言って連れてきてもらった特別な子たちなんだ。みんな、仲良くしてあげてね!」

 ……間違いなく、レオニール伯爵は教師に向いてない。

 こんなことを分別のない子供に言えば、俺たちがイジメの対象になりかねない。

 子供は嫉妬深い、新入りが特別扱いされようものなら団結して排除しようとする。

「えっと、自己紹介しよう! って言いたいところだ・け・ど。それは休憩時間にでも適当にやっといてね。今からは特別授業、君たちの先輩が何をしているか、見せてあげる。ほらほら、ついてきて」

 異様なテンションで、レオニール伯爵がスキップして先導していく。

 そして連れてこられたのは、壁一面がガラスの部屋。そのガラスからは下の階が見渡せる。そこには、十〜十二歳ぐらいの子供たちがいた。

「見てみて、あれが僕の研究所で鍛え抜かれた子たちだよ。ここでがんばるとあんな立派な少年少女になれるんだぁ」

 彼らは剣を用いた訓練の最中だった。

 非常に高度な剣技を身につけ、高速戦闘中に魔術を使ってみせた。

 単工程の魔術とはいえ、動きながら使うというのは高等技術であり、それをあの歳で誰もができているのが信じられない。

 それに体がよく出来ている。精神論や厳しい訓練だけならああはならない。

 適度の休息と考え抜かれた食事が必要。ここには子供を強くするためのノウハウがあり、それを徹底しているのがわかる。

 それだけでも、ここに来たのは正解だったと思える。

「すごいよね、あこがれるよね。ここまで強い子供を作れるのはウチぐらいなんだよ。人間としては、いいとこいってると思わない?」

 人間としては、そのセリフを言ったとき、レオニール伯爵の目が怪しく光った。

「でも、すっごくすっごく残念なことにね。人間の枠は超えていないんだよ。一番大きなネックは魔力だね。魔力っていうのは、頑張っても成長しない。生まれ落ちた瞬間には決まっているんだよ。僕は魔力が少なくてね、それがすっごくコンプレックスだった」

 頷く。それは俺も同じだからだ。

 俺は魔力が少ないことをごまかす技を磨き、少ない魔力でもできることを増やした。

「僕はそれをどうにかしたくてね、それを研究テーマにしたんだよ。魔力量を増やす。魔力を持たない人間に魔力を持たせる。それができたらすごいと思わないかい?」

 それは問いかけじゃない。彼は答えなんて求めていない。

 そんな真似ができるならすごいに決まっている。

 かつての俺はそれを不可能だと切り捨てた。

「人間の扱える魔力量が決まっているのは、魔力が魂によって作られているからなんだよね。魂を鍛えることはできなくて魔力が増えない。……でもね、僕はある日気付いたんだ。人間以外はどうだろうと。調べてみてわかったんだけど、魔物や魔族って、魂じゃなくて血で魔力を生み出してる。ビンゴっ!って叫んだね」

 血で魔力を生み出すだと。

 魔族とも戦ったことがあるが、気付かなかった。言われてみれば、たしかにそうだ。魔族の魔力の扱い方を見て感じていた違和感はそこか。

「僕は考えたんだ。人間の血に魔物や魔族の血を混ぜちゃえっ。そしたら、魂と血、両方から魔力が出せる。革命だよ! 面白そうだよね。ほら、見て。その実験体が彼さ」

 ガラス越しで、一人の少年が頭を抱え始めて、倒れた。

 彼は血走った目で、咆哮する。

 そして、爆発的な魔力を放った。……すごい、すごいぞ、これは。

 量自体は、姉などと比べると劣る。

 特筆すべき点は、二種の魔力があること。魂と血、両方から魔力を放っている。

 魔物の血と人間の魂の融和。

 それをレオニール伯爵はすでに成功させていた。

 しかし、一度溢れた魔力はとどまることを知らない。彼は叫びながら暴れ続ける。

 見境なく。ただ、我を忘れて。

 そして、やがて魔力を出し切って干からびて死んだ。

「ま〜た、失敗か。でも、いいデータがとれたよぅ。一歩前進! う〜ん、魔物の血を定着させることには成功したんだけど、いかんせん制御できなくてね。僕は今、二つのアプローチをしているところなんだ。薬や魔術を使った親和性の向上。それから、君たちをここで育てているみたいに魔物の血に負けない強い体を作ること」

 そこで初めて、レオニール伯爵は俺たちに目を向けた。

 そして、俺たちへと言葉を放つ。

「死にたくなかったら、強くなってね。十二歳になったら、みんなに魔物の血をぶち込むから♪ ああはなりたくないでしょ。さあ、帰ろうか、授業だ、授業」

 スキップして教室に戻るレオニール伯爵。

 怯えて泣き出す子供たち。

 ファルが泣きそうな顔でぎゅっと、俺の裾を掴んだ。

「安心しろ。ファルは死なせない」

 泣きそうな顔のまま頷くファルの頭を撫でてやる。

「はっ、はい、ありがとうございます!」

 そして、ファルが少しだけ表情を柔らかくして、前を向いた。

 俺はファルに顔を見られていないことを確認して、笑い、見る。

 干からびて死んだ先輩と、そこからこぼれた血を。

 見るだけじゃない、解析魔術を使う。

 わかる、わかる、レオニール伯爵が魔物の血に適応させるために何をしようとしたか。ああ、こんな方法があったなんて。そうか、彼は天才だ!

 この研究はあと数年で完成させられる。……俺が前世で培った知識と技術があれば。

 だが、真正面から伝えても研究者のプライドが邪魔をして聞いてくれない。だから、気付かれないように導く。

 俺はこれからモルモットになる。

 彼はありとあらゆる手段でデータを取ろうとするだろう。問診も多く行う。

 データの改竄で、問診の答えで、レオニール伯爵を誘導して研究を完成に導く。

 そうすれば、俺は強い魔力を手に入れられる。魔力量が少ないという前世からのコンプレックスを解消し、世界を渡るという大魔術の完成に近づく。

 ここに来られたのは運がいい。こんな研究、前世なら絶対にできなかった。


 ◇


 一週間ほど研究所で過ごしたが、ここの授業は思った以上に楽しい。

 レオニール伯爵が仕切っているだけある。おそらく、この国の最先端。

 おかげで、この世界の常識や魔術理論を急速に吸収できた。

(ただ、悪い予想が当たってしまったな)

 俺が懸念した通り、俺とファルはイジメにあっている。

 特別扱いされている俺たちへの嫉妬によるもの。

 直接手を出してくるわけじゃないが、無視をしたり、物を盗んだり、聞こえるように陰口を叩いたりと、陰険な手を使う。

 俺のほうは気にしていないが、ファルはかなり参っていた。

 日に日に、表情が消えていき、今では自分から口を開くことがなくなり、必要最低限のこと以外しようとしない。

 傍目には、平気なように見える。実際、クラスメイトたちはそう思って、イジメがエスカレートしつつある。

 しかし、平気なんかじゃない。

 目立つことが怖くて、少しでも自分を消したくて必死なだけだ。

(そろそろ限界か)

 あえて、助け舟を出してこなかった。彼女の今後を考えると一度限界まで追い詰められたほうがいい。

 今日の授業が終わり教師がいなくなると、ファルがクラスメイトたちに囲まれた。

「生意気なんだよ、おまえ」

「私たちのことなんて、視界にも入ってないって感じ」

「スペシャル様は違うよね」

 ファルは顔を伏せて、ぎゅっと膝の上で拳を握りしめていた。

 何も反論しない。今までと同じく無反応。いや、違う、かすかに口が動いた『助けて』と。やっと彼女が助けを求めた。

 俺は、そんな彼女のもとへ向かう。

 わざとらしく音を立てると俺に注目が集まる。

「劣等感を抱くのは勝手だ。だが、それはおまえらの問題で彼女の問題じゃない。押し付けるな、見苦しい」

 邪魔したのが、よっぽど気に食わなかったようで、ファルへの敵意が俺に向けられる。

 子供たちの中心人物であるアレクが一歩前に出た。

「こんなやつをかばうのか」

 アレクはそれなりに魔力量があり、体が大きく、頭もいい。

 もし俺とファルがいなければ、彼こそがここでスペシャルだった。

「そうなるな」

「……おまえも俺たちを見下しているんだろう」

「見下しもするさ。実力じゃ勝てないからって、陰険な手を使う見下げ果てた下種。今もこうして、女の子を大勢で囲んで詰め寄って。自分が情けなくはならないのか?」

 嘲笑してみせる。

 俺が彼らを見下すのは能力がないからじゃない。品性が下劣だからだ。

 ただ能力だけを見るなら、彼らは優秀だろう。

 五歳やそこらで、これだけ難しい言葉を使っても理解できる。レオニール伯爵の授業にもついてくる。将来のことを考えるとうまく付き合ったほうがいいかもしれない。

 だが、いくら優秀だとしても下種な連中との交流はごめんだ。

「ぶち殺す!」

 アレクが拳を振り上げてくる。

 訓練を受けているだけあって、それなりにちゃんとしている。モーションは最小限かつ腰が入ったいいパンチだ。

 ……まあ、それでも俺が脅威だと思うレベルには程遠い。

 力のない拳を最短距離で走らせる。この状況なら手打ちでいい。

 向こうが突っ込んできている。その勢いを利用すれば十分な威力になる。

 先に俺の拳が当たった。

「いてっ」

 アレクが鼻を押さえて蹲った。鼻血がこぼれていた。

「ファル、行こうか」

 俺はファルに向かって手を伸ばす。

 俺が今までファルを助けなかったのは、ファル自身が心から助けを求めなければ、本当の意味で救うことができなかったから。

 そして、ファルがどういう子か見たかったのもある。

 優しい子だった。だからこそ守ってあげたい。

「あっ、あの、どういう」

「いろいろと考えてみたが、君と仲良くなりたい。まずは話をしよう。美味しいお茶とお菓子があるんだ」

 ファルはおずおずと俺の手を見ていた。

「わたし、なんか、でっ、いいんですか?」

「ファルがいい。それと、これからは『なんか』を使うのを禁止する。それはファルには似合わない」

「そっ、そんな、そんなことないです。だって、わたし、いらないこで、うられて、ここでもみんなに。みんな、わたしなんていらないんです」

 どれだけ辛くても……いや辛ければ辛いほど、息を潜めて消えようとするのは、そうしないと生きていけない、そんな生活を強いられていたから。

 必要ないと言われ続けて、目立てば怒られて、消えるしかなかった。

 そんな彼女を救う方法は一つしかない。

「みんなじゃないだろう? 俺はファルを認めている。才能があって、可愛くて、優しい素敵な女の子だ。ファルがほしい」

 彼女を救う、たった一つの方法。それは彼女がほしいと言い続けること。

 その役目を果たせるのは俺だけだ。

 ファルが驚いた顔をして、それから目に涙を浮かべて俺の手を取った。

「わたしが、ほしいんですか?」

「ああ、ほしい」

「うれしい、はいっ、わたし、ユウマさんのです」

 ……ちょっと危険なセリフだ。

 だが、それをこのタイミングで否定するのは、せっかくファルが変わろうとしているきっかけを潰すに等しい。折を見て、なんとかしよう。

「てめえ、無視すんな! くそっ、鼻血がっ。おまえら、囲め。相手はたった二人だ」

 アレクが叫ぶが、クラスメイトたちの動きは鈍い。無理もない。中心人物であるアレクがあっさりと倒されたのだから、怖いに決まっている。

「やってみるといい。だが、俺は殴られたら、殴り返す。そこの馬鹿みたいになりたいならかかってこい」

 いくら優秀でもまだ子供だ。怯えて固まっている。

「さあ、行こうか。ファルのことを聞かせてくれ」

「はいっ! あの、ユウマさん、しりたいです」

「それがいいな。それから、後で護身術を教えよう。自分の身は自分で守れるようになっておかないとな」

「めいわく、ちがいます?」

「ぜんぜん。むしろ、ファルが強くなってくれたほうが安心できる」

「がんばります!」

 やるなら徹底的にやろう。

 もう二度といじめっ子に負けないように。

 前世で考案し、今も実践している最高の肉体を作る鍛錬。ファルという最高の才能がそれを実施すればとんでもない魔術士に育つだろう。

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