第570話 首座をかけた闘争

”誰も望まない現状”は、関係者の努力によって相互に利益のある解決を見ることも確かにあるが、

一方で、片利、つまり勝者総取りでの解決や、事実上勝者の存在しない、誰も望まない結末を迎えることのほうが多い。

様々な模索の末に、オシヨロフの抗争もそういう形の幕引きを迎えようとしているかに見えた。


日が差す中に降りしきる雪を隔てて、回避不能な軋轢に身を置く2頭が対峙していた。

オシヨロフの首座をかけた闘争、ということになるが、皮肉にも両者とも、首座そのものが闘争の目的ではない。

そして格闘の決着は、こうして遠巻きに見守っているアマリリスの目にも、始まる前から明白に見えるのだった。


勝利を目指しているからこそ、アフロジオンは闘争の場に身を置いている。

一歩も引かぬ構えで獰猛な唸りをあげ、アマロックを威嚇している。


しかし彼には分かっていた、ひとたび実戦、牙と牙、力と力のぶつかり合いになれば、

自分はあっという間にズタズタにされ、抵抗する術もなく投げ飛ばされる。

血まみれで雪の上に叩きつけられる自分の姿が、ありありと脳裏に浮かぶのだ。


それが分かっているから、アマロックの方は威嚇も、闘志すら見せない。

オオカミが本気で相手を攻撃する前触れだった。

その状態から顔色一つ動かさずに相手に襲いかかるのだ。


アフロジオンはその瞬間を少しでも遠ざけておくために、懸命の威嚇を続けているかのようだった。

それが通じたわけでもないだろうが、アマロックはすぐに攻撃を開始しようとはしなかった。


オシヨロフの首領は、なんら腐心することなく漫然とその地位に安座しているように見えて、

実際には群の維持のために少なからぬ労力を傾け、支配者としての意思決定を通じて、多くの貢献をしてきた。

首領自身の牙で、叛逆者に制裁を下すことはたやすいが、今回も彼はまだ結論を諦めてはいなかった。



その場で目にしたものを、後で人間の身体に戻ってから思い出すとき、アマリリスの胸には静かな昂揚が湧きおこる。


緊張の高まりから、闘争の相手へと集中していたアフロジオンの意識の埒外、

彼の後方の上空から、それはひらひらと、吹雪に煽られた天女の帯のような調子で舞い降りてきた。


白い毛に覆われた長い胴、その先端に獣の頭部。

肋骨を左右ほぼ水平に拡げているために体は平べったく、こういうには風に乗って空を飛ぶことが出来るのだ。

白竜は完全な死角から、アフロジオンに躍りかかった。


アフロジオンから聞くとは思わなかった甲高い悲鳴が響いた。

相当びっくりしたのだろう、無理もないことではあるが。

実際のところは、白竜はアフロジオンに牙を突き立てもしなければ爪で引き裂いたわけでもない。

両者は転げ回ってもつれ、白い大蛇にオオカミが絡め取られたような格好になっている。


着地したあとは肋骨を下ろしているので、中空の環形となった胴は太く、長大なために実に巨大に見える。

しかし取っ組み合いを演じるアフロジオンとのバランスで、見かけよりずっと体重が軽いのは明らかだった。


白竜はやがて、荷の梱包を解くような調子でスルスルとアフロジオンの体を離れ、

自分自身に巻き付くようにして塊になったかと思うと、そこから猛禽とヘビの頭が出てきた。


ようやく起き上がったアフロジオンも困惑した様子で、

双つの頭が交互に向かってくるのを攻撃と見做し、応戦の構えを見せるものの、どちらに食らいついたものか、いかにも戦いづらそうで、

長い脚と翼を駆使して跳ね回る怪物はなかなか敏捷で捉えどころがなかった。


やがてバジリスクの怪物は、自分たちの意図がアフロジオンに伝わっていないことに気づいたのだろう。

鷲頭と蛇頭の中間で胴が2つに割れ、それぞれの片割れから、ほぼ同じ姿形の2頭の獣に変化していった。

白っぽい毛並みの、オオカミの1年児に。


2頭、アマリリスがアーニャとワーニャと名付け、冬じゅうその行方を案じ続けていた姉弟は、

アフロジオンに向かって、胸が雪面にくっつきそうなほど低く身を屈め、不意にピョンピョン跳びはねながら前進し、

今度はジグザグに跳ねながら後退してゆき――

それはオオカミが、とりわけ子どものオオカミが大人のオオカミに向かって、遊びに誘う時の仕草だった。


アフロジオンとアマロックの闘争のあいだ、姿を隠していたスピカにも、2頭は屈託なくじゃれついていった。

似合いの夫婦に一揃いの1年児、彼らが親子でないとすれば、さながら結婚式の花道を先導する子どもの役どころといったこころか。


アマロックはと言えば、

彼らを祝福するつもりはないが、新たな家族の成立を妨害する意図も持っていないようだった。

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