第47話 スメルト#1
オオカミたちがいなくなって2週が過ぎていた。
ファーベルとヘリアンサスが魚をとるというので、アマリリスは久しぶりに彼らの後についていった。
実験棟の建物のすぐ裏が漁場だ。
臨海実験所の建物は、オシヨロフ湾の最奥部北側、
岬の台地が、海からせり上がる
そういう地形に建物を設けるため、臨海実験所の敷地は、海面からの高さが2メートルほどの石組みの護岸壁で囲まれ、
その内側に、護岸壁と同じ高さの石組みを積んだ基礎の上に母屋と実験棟は建てられている。
建物の南側、岸壁との間の幅3メートルほどの通路を敷地の奥の方に進むと、実験棟の裏手、石積みの敷地の一番奥に、白いしっくいの、キオスクのような構造物がある。
何でも、海面高度を測る機械が収められているそうで、今でも日に一度、母屋の無線通信室の信号機を通して、計測データをはるばるマグノリア大学に送っているらしい。
その先、岸壁の外側は、
波打ち際の、地層の縞が浮き出た岩崖に張り付くようにして、崩れかけた物置だか漁師小屋のようなものがあり、
それで人間の世界はおしまい。
観測機の小屋の脇から、ファーベルがじぃっと海面を見つめている。
よく澄んだ浅い水の中を、小さな魚の影がひらめく。
百か二百、ひょっとしたら千匹ぐらいいるのだろうか?
水中の黒い雲のように見える群れが、まとまった意思を持つ生き物のように動き、伸び縮みし、一斉に目の前を走り抜けて行く。
ファーベルが網を放った。
繊細な絹糸を編んだ先に、たくさんの小さな重りをつけた束は、空中で手品の仕掛けのように大きく広がって、
重りが海面を叩くリズミカルな音と共に魚群の上に落ちた。
「あぁん、へたくそー。」
ファーベルが恥ずかしそうに叫ぶ。
会心の一投ではないらしい。
それでも、華奢な腕で引き上げる網には、投げる時とは明らかに違う重みがかかっている。
細身の銀色の魚が、少なくとも20匹以上網糸に絡まり、一斉にぴちぴち跳ねていた。
ファーベルは手際よく網をひっくり返して、大きく腹の膨らんだ子持ちのメスだけをバケツに入れ、オスらしきものはポイポイ海に投げ戻して行く。
何やら海中の男女比率がいびつになりそうな選別だが、ファーベルが掬い上げる程度では大海の一滴にも満たない数の大群がトワトワト東岸に押し寄せている。
このスメルトという魚は、トワトワトや極東州の沿岸で孵化し、一年かけてベルファトラバ海を回遊したのち、毎年夥しい数の大群となって、産卵のために戻ってくる。
波の穏やかなオシヨロフ湾も、格好な産卵場所なのだろう。
浜の波打ち際の辺りは、彼らが放出した卵でうっすら黄色に染まり、
ごちそうを求めて集まったありとあらゆる種類の鳥で、岬じゅうが山の賑わいだ。
ファーベルを見よう見まねで、ヘリアンサスが網を投げる。
こちらはろくに網がが開かず、ごちゃっとした糸のかたまりのまま水面に落ちた。
当然、一匹もかかっていない。
「なぁにやってんのよ。
ヘッタクソ。」
それならやってみろ、と言うヘリアンサスから網を受け取ってアマリリスも試したが、
もっと悲惨だった。
おまけにバランスを崩して海に落ちかけるしまつ。
思ったより難しい。
「あんま獲れないねぇ。
兜岩の方行ってみようか。」
一人だけの働きでバケツの3分の1くらいの釣果を上げたファーベルが、湾の向こうに見える岩峰を指さした。
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