第35話 舞台袖の兄弟


晩餐会が始まって2時間ほどが経った。

俺たちが大広間に来る前、ヴォルークは兵たちに向けてこう宣言したという。


「今宵は無礼講だ」と。


疲れ切った体にアルコールを取り入れた騎士たちはその命に背かず、赤ら顔で笑い合っている。楽団の演奏も既に聞こえないほど広間は騒がしい。

マギア騎士と黒狼軍団員が肩を組んで歌う様子は確かに、形なき平和を現しているように思えた。

隣に立つヨハンが言う。


「僕の知ってるパーティと随分違うね」


「俺の知ってるパーティとも違うな。これだけ広大な会場にいっぱいの人間、かかる手間も金も相当なものだろうが」


「さすが、貴族のそれとは格が違うってことだ」


俺たちが並んで立っているのは一段上がった演壇の端――、天井からつるされたカーテンで隠れ、裏手口と繋がっている舞台袖だ。

当然、ノノの様子が見える位置からは動いていない。彼女の背後、数メートルの場所にベルナールが立っているのも見える。


ベルナールに様子がおかしいと問いただされた俺は、二人きりで行った会話の詳細までは語れないまでも、嫌な【予感】についてだけは伝えることにした。

すると第一騎士団長は渋い顔を見せ、「ノノ様の勘は当たることが多いんだ」と呟いた。


晩餐会の終了予定まで、あと1時間。

今のところ特に変わった様子はない――。


「ノノ王女様、近くで見てもお綺麗だね」


「!」


「……何、その顔」


「い、いや、別に。何で急にノノ王女の名前が出たのかと驚いただけだ」


「何でってそりゃ、兄様がずっと王女様を熱心に見つめてるからだけど」


「――は? 見つめっ?!」


体がびくりと跳ねる。

ヨハンはそんな俺を見て眉をひそめた。


「何を狼狽えてんの……? 王女様の推薦で今回の遠征に参加したんだから当然でしょ? 兄様がここにいるのは護衛のためじゃないの?」


「え、ああ……! そ、そうだな?」


俺は過剰反応してしまったことを自覚して、慌てて平静を取り繕った。

しかしさすがに誤魔化せなかったらしく、ヨハンがさらに訝しむような視線で問いただしてくる。


「だからずっと王女様の様子を注視してたんじゃないの? それとも、それ以外に意味があるの?」


「いや、ないない。断じてそんなものは――、おい、なんだよ顔が近いな」


「怪しいなあ。また何か隠してたりしたら怒るよ、兄様」


「さっきから、呼び方」


「ローレン・ハートレイ先進魔術研究室室長殿」


納得していない様子で首をかしげるヨハン。

そう言えば――、思い出話ばかりで今回の遠征に参加していた理由については触れていなかったことに気付いた俺は、誤魔化しついでに水晶の話をしておくことにした。

ノイオトで得た、イハイオット火山を原産地とする、魔力の満ちた碧い水晶に関する情報についてだ。

その話をした途端、ヨハンがハッと目を丸くし、声を大きくした。


「それってもしかして、丘の上の祠にあった水晶のこと?!」


「そうか、お前は知ってるよな。つまりそういうことだ」


「僕も気になってたんだ。あれって結局誰の仕業なの?」


「ん……? あれ?」


「祠を壊した犯人だよ。あの騒動についてはお父様がほとんどもみ消しちゃったから、いまだにナラザリオの七不思議として数えられてるんだけどさ」


「――ああ!」


俺も思わず大きな声を出した。

そうだ。すっかり忘れてしまっていたが、そもそもセイリュウの拠り所たる水晶が砕けて割れてしまったのは、あの殺し屋騒動の一件でのことだった。

殺し屋のボスたるマーチェスと対峙した後、意識を失い――、起きた時には、すでに祠と水晶は跡形もなかったのだ。


それが誰の仕業か、と問われればそれはおそらく『セイリュウの仕業』という事になるだろう。俺は、ナラザリオを去り王都へ向かう道中で何があったか尋ねた。

曰く、セイリュウは敵を退ける為、そして俺を助けるためにすべての魔力を使った。そうせざるをえなかった。ただ、セイリュウ自身も必死だったのであの後殺し屋たちがどうなったのかまでは知らない――、だそうだ。あの場で起きたことの全てを完璧に理解している者はいないということなのだろう。


当然ながら、ヨハン相手とはいえ、精霊の存在まで明かすわけにはいかない。

かと言って、あの状況をセイリュウ抜きで語るのも難しい。

少し考えた結果、俺は祠破壊の犯人を一旦殺し屋たちに擦り付けることにした。


「あの祠が破壊されたのは、殺し屋たちと丘の上で遭遇した時だ。奴らがどうやって破壊しえたのかまでは分からない。だが、俺が祠に向かったのはそもそも、あの水晶が特別な性質を有していると気付いていたからだ」


「そう言えば、一人で丘の上に散歩に行ったことがあったね」


「よく覚えてるもんだな」


「一緒に行く予定だったのに置いて行かれたのが、わりとショックだったから」


「……え、俺そんなことしたか?」


記憶をさかのぼるが、なにせ4年前のことなので判然としない。ヨハンは「したよ」と断じ、話を元に戻す。


「あの祠自体、半分忘れられてた過去の信仰の遺物でもあったけどさ。それでも精霊の祠が原因不明に粉々っていうのは、色々と問題だったみたいだよ。あれ以降、ナラザリオ全体の水質がよどみ始めたなんて話も聞いたくらい。いつの時代からあの場所で祀られているのかは定かじゃないって話だったけど……。そうか、あの水晶はハイドラから輸入したものだったんだ」


「ハイドラではイハイオット水晶と呼ばれているらしい。ただ、過去の信仰の遺物扱いは同様で、供給は既に断たれているようだ」


「ふうん……。でも結局持ち帰れることになったんでしょ?」


「何故分かる?」


「じゃなきゃ、こんな悠長にしてないだろうと思って」


「なるほどな」


相変わらずの見透かしたような物言いに懐かしさを覚えつつ、俺はノノ王女の奥に座るヴォルーク王子を指し示した。


「まあそういうことだ。幸い数百年前に掘り起こされたイハイオット水晶が保管されていて……。というか、その条件が先の魔術試合だった訳なんだが」


「……へえ、僕が一生懸命戦ってる間、室長殿は水晶を手に入れる算段を立ててたんだ。結果、華麗な勝利をおさめて、多大なる称賛を得て、目的を果たしたわけだね。さっすが他国へもその名を轟かせるローレン・ハートレイ殿だなあ」


「どうしてお前はそうなんでも嫌味っぽく言うんだ」


「別に~?」


俺が睨むと、ヨハンは頭の後ろで手を組んで口を尖らせた。

負けず嫌い、やきもち焼き、意地っ張り。そんなところも変わってないらしい。


「当時は綺麗な水晶だなくらいにしか思ってなかったけど、わざわざハイドラまで来たってことは、魔術研究の役に立つからでしょ? 僕も見てみたいな」


「ああ、いいぞ。アニカさんがこの場に持ってきてくれるらしいから……。あれ?」


俺はヨハンの言葉に頷きかけて、ふと思い出したように辺りを見回す。演壇の上にはヴォルークに挨拶する為の順番待ちが出来ており、舞台袖では給仕係がせわしなく働いている。

しかしやはり、その中に彼女の姿は見つからなかった。


「どうしたの?」


「いや……、ずいぶん前に取りに行ったはずなのに遅いと思ってな。ヴォルーク王子の話ではもう王宮に届いているようだったが、荷下ろしとか手続きとか色々とあるんだろうか」


「別に今すぐじゃなくていいよ? マギアに帰ってからでもいいし」


「…………」


今すぐでなくともいい。俺も別にそう思う。

しかし、元々は俺の心配を取り払うためにこの場に用意する、という話だったはずではないか。あの話から既に1時間以上経過し、晩餐会は終わりに差し掛かっている。


ヴォルークが既に忘れているというのならば分かる。

だがヴォルークはあの場で水晶を持ってくるようにと命じ、アニカはそれに頷いた。その動作は、すぐに持って参りますというそれ以外には見えなかった。あるいは、時間がかかる事情があるなら、事前にそう申告があるはずではないか。

優秀な彼女ならば、なおのことである。


だとすれば、何か予期せぬトラブル、あるいは事故があったのかもしれない。


俺はにわかに心配になり始めた。

アニカはハイドラに着いて以降、ずっと俺の案内をしてくれていた。

あの水晶を見つけるまでにかかった手間と事情を知っている。何ら報告さえないのは、ひょっとして、それゆえなのではないか――?


「……ヨハン」


「なに?」


名前を呼んで、俺の思考は今一度立ち止まる。

考えすぎだ。晩餐会の最中の気まぐれな頼み事が多少遅れている程度。現に今まで忘れていたほどのことだ。

そう思う。しかし、脳裏に浮かんだ想像がノノの言った嫌な予感と結びついてしまって離れない。

かと言って、この場を離れることも出来ない。ついさっき彼女は「ローレン様がいらっしゃいますもの」と、気丈に笑って見せたのだ。


俺は改めてヨハンの目を見た。


「急で悪いんだが……、アニカさんがどうしているか確認してきてほしい。紫色の髪で右目を隠した女性だ。もしいるとすれば王宮裏の搬入口周辺じゃないかと思う」


果たして、どこまで俺の内心を察したのかは分からない。

馴染みのないハイドラの離宮、しかも人が入り乱れる夜だ。特徴を聞いただけの相手を探すのは至難である。

それでもヨハンは、短く「分かった」と言った後、裏手口の方向へと身を翻した。


振り返り、ノノの横顔を見る。

微笑の仮面に覆われたその下に、いまだ嫌な予感は渦巻いているのだろうか。

何事も起きるな。ただの気のせいだったと笑って帰らせてくれ。

俺は半ば祈るように、そっと身に力を入れ直した。





舞台袖から裏手口を抜けた先の離宮の廊下は、大広間の中の騒がしさと比べると、驚くほどにひっそりと静まり返っていた。


僕は兄様に言われた場所を目指し、冷たい通路を進む。

言うまでもなく、初めて来た離宮の構造が分かるはずもないので、途中で見かけた甲冑姿の黒狼軍団員に行き方を尋ねる必要があった。


「アニカ殿? 見てはいないが搬入口ならあっちだ。……よければ案内しようか」


親切な軍団員の提案を丁重に断って、僕は指さされた方向へ折れる。

しかし少し意外だったのは、名前を言っただけですぐに探し相手が伝わったことだ。

兄様の案内役ということだったはずだが、やはり優秀な人物があてがわれているのだろう。もしくはそれだけ要人扱いを受けている、と言うべきなのかもしれない。


ローレン・ハートレイ――、先進魔術研究室室長。

精霊教会の禁秘を白日の下に晒し、氷魔法の存在を明らかにした。マギア王国第一王子からの信任により今の立場を与えられ、ヴォルーク王子からも高い評価を得た。

自分の頑張りが霞むからやめてほしい、というのは冗談にしても、何度聞いても恐ろしい肩書である。比べる事すら恥ずかしく、ダミアン・ハートレイの経歴を引き合いに出しても、勝るとも劣らないだろう。


だけれど、あの人は天才ではない。

優秀であっても、天才ではない。

凡人で、努力家で、懸命で、目の前のことに真摯に向き合い続けているだけだ。

それは、階段から落ちる前も、落ちた後も、4年たった今も変わらない。

そのことが確認できて、心から安心している自分がいた。

僕らの間にあると思っていた4年分の隔絶は実はまったく大した距離ではなく、容易く取り戻せる程度のものだった。それがたまらなく嬉しかったのだ。


だから、というわけではない。

しかし、解決を自身に求めがちな兄が誰かに頼みごとをする場合は、大抵、自分ではどうにもならない場合か、緊急性の高い場合だった。

加えてあの真剣な表情。何かすぐには説明できない事情があるのだろう。それは後で聞けばいい。


――――紫髪で、右目を隠した女性。

伝えられた特徴を脳内で反芻しながら、建物の奥へ奥へと進んでいく。

すれ違う人人が僕を見る視線も訝し気になってきた。大広間で晩餐会が執り行われているのに何の用だと言いたげである。


やがて、砂を含んだ夜風が顔に触れた。

離宮の裏手に出たらしい。今回の晩餐会の為の食材や食器類を運んできたのだろう、そこには大量の荷馬車が並んでいた。既に積み下ろしは終わっているらしく、会の終わりを待つ御者たちの姿がちらほらと見える。


「!」


幸いにして、アニカさんはすぐに見つかった。

彼女は離宮裏手のすぐの場所に静かに立っていた。


ここにいなければ聞き込みをしなければならないと思っていた僕は安堵に胸をなでおろし、彼女へと近づく。

しかしそこで、


「……何故、ここにいる」


と名前を呼ばれて、僕は足を止める。

やや驚きを含んだその声はたしかにアニカさんのいる方向から聞こえたが、女性のそれではない。彼女の奥に立つ背の高い人影から聞こえたのだ。


「え」


僕はその相手が誰であるかを理解した瞬間、小さく声を漏らした。

そう言えば――、いつの間にか壇上から姿を消していた気がすると思い出す。ここはハイドラ王家の離宮。黒狼軍軍団長たるヴォルークの居所であれば、彼がどこにいようが不思議ではない。それこそ、僕の方がよほど場違いである。


それでも、なぜか、僕は思ってしまった。

どうして黒狼軍副将、サーベージ・ドノバンがここにいるのだろう――。どうして、アニカさんと二人で話しているのだろうか、と――。



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