第30話 積もる話


「すまん、待たせた」


入口の布をめくりテントに入る。

5、6人で寝ても余裕がありそうな円錐状の空間は薄暗く、どこかかび臭いような独特なにおいがした。前世でアウトドアな趣味を一切持っていなかった俺にとって、テントに入ること自体が何気に初体験だったりする。

暗がりの奥に座ったヨハンが小さく首を動かした。


「ベルナール団長はなんて?」


「俺たちに手合わせを願い出る黒狼軍団員が後を絶たないそうだが、まあ構わんとさ。しかしまさか知り合いだったとはと驚いてたよ」


「僕達が兄弟だって知ってる人は、今回の遠征にいるの?」


「いいや、事情を知ってるのはダミアン様とマドレーヌさんだけだ」


「そっか」


ヨハンは短くそう言うと、座るよう促した。

俺は背後から細く差し込む光を一度振り返ってから腰を下ろし、そしてそのまま、頭を地面にこすりつける。


「――まずは、改めて悪かった。俺はお前に何の説明もしないままに家を出た。そして……、ドーソンにも秘密にするようにと約束をさせたんだ。だがお前の言う通り、それはお前の気持ちを無視した身勝手な行為だったと思う」


「……」


少し考え込むような間があった後、ヨハンは息の混ざった声で「頭上げてよ」と言った。


「そういうのはもういいって。僕に何も言わず屋敷を出て行ったことはまあ許せないけど、兄様にも事情があっただろう事は分かったし、何より、喧嘩はどちらかが降参したら終わり――、でしょ?」


俺は顔を上げて、改めてヨハンを見た。

戦闘の最中に感じた敵意と怒気は、もうすっかり消え去っている。

俺が勝ってヨハンが負けを認めたから、という単純なものではないだろう。ヴォルークの気まぐれのおかげとは言いたくないが、しかし、お互いの溜め込んだ感情が発散される機会となったこともまた事実だった。

ヨハンは体をすこし前に倒して言う。


「僕が今欲しいのは謝罪じゃなくて説明だよ。この期に及んで誤魔化そうってのは許さないから」


「ああ、全部正直に話す。それが俺に見せられる唯一の誠意だ」


俺たちは胡座をかいた姿勢で向かい合う。

テントの外――、はるか遠くから剣と剣のぶつかる音や人々の声が聞こえるが、それはテレビの雑音のようで、全く関係のないことのように感じられた。


「まず、何よりも先に確認しておきたいんだけれど――、屋敷と使用人のみんなを襲ったのは兄様じゃないんだよね?」


「ああ、俺じゃない。俺は犯人に仕立て上げられただけだ」


「真犯人は誰」


「……ドーソン・F・ナラザリオだ。正確に言えば、ドーソンが雇った殺し屋だが」


俺は些かの覚悟を持って、赤の他人となって久しい男の名を口にする。

しかし、ヨハンは無言で僅かに口元を歪めただけだった。


「あまり驚かないんだな」


「――驚いてるよ。一周回ってどんなリアクションを取っていいのか分からないだけ。お父様のことはまだ想定内だとしても……、殺し屋? そんなの現実に存在するの?」


「少なくとも俺を殺すための依頼を受けた連中という事は確かだ。マーチェスファミリーと名乗る3人組の男たちだった。そのうち2人が丘の上で俺を奇襲し、もう1人が俺に変装をして屋敷を襲ったんだ」


「兄様を陥れるために?」


「俺を陥れ、殺すためにだ」


「――――ううん……」


忌々し気に唸るヨハン。

それでも冷静さを失わないのは、ヨハンの中でこの最悪の筋書きに近いものが既に用意されていたからだろう。

それは『兄がそんな凶行を犯すはずがない』と信じてくれていた証左でもあった。


だからと言ってすぐ納得できるものでもない。

ヨハンは自身の記憶とすり合わせながら、さらに問う。


「だとしてもタイミングがおかしいんじゃない? あの時、兄様はすでに氷魔法を屋敷のみんなとダミアン様の前で披露してた。お父様もそれを間近で見て喜んでたじゃない。むしろ願ってもない僥倖だったはず。……それに、自分の屋敷を襲撃させるなんてやり方は……」


「もはや引くに引けなくなった――、そんな感じの物言いだったと思う。アイツの計画は襲撃騒動以前、階段からの転落や部屋に大穴が開いた事件から始まっていたんだ」


「…………」


ヨハンは口元に手を添え、少し考えこむ。

一度天井に目をやり、最後に頭を抱えるように言った。


「ならきっと、グラスターク家とグルだったんだ。いや、指示されてたのか。それなら引くに引けなくなったっていうのも、お父様が自分の屋敷の住人を襲わせたのもあり得なくはない……」


「……マルドゥークが絡んでいた時点で、両家が裏でつながっていることは間違いないだろう。出来損ないの長男を邪魔に思っていたことなど聞くまでもない。そう思えば、ヨハンとフィオレットの婚約の時点から計画は進行していたと見るべきだろうが……、しかし、ドーソンが指示されていたと思ったのは何故だ?」


「言っちゃ悪いけどお父様に人を殺す度胸ないよ。せいぜい思いついても追放が関の山でしょ。それに、ここ最近なんて露骨にグラスタークの領主の言いなりなんだ」


「案外言うなあ、お前」


「反対に、トゥオーノ・グラスターク侯爵……。兄様はないと思うけど、僕は何度か会ったことがあるんだ。細身で一見穏やかな人だけど……」


まるで自分自身に確認するように、ヨハンはひとつ間をおいてから言う。


「……あの人ならやりかねない、と思う」


「なるほど」


俺はトゥオーノ・グラスタークという男を知らない。

せいぜい、グラスタークの産業を一代の内に大きく成長させたやり手というくらいだ。ただ、ドーソンにああも大胆で、周りの被害を顧みないような計画が立てられるはずがないことから逆算的に考えると、ヨハンの言葉には信憑性があるように思えた。しかし何にせよ――、


「何にせよ、真実を白状させることが出来ない時点でどうしようもないね。それに、兄様はもうナラザリオに戻ってくるつもりはないんでしょ?」


こちらの考えを先回りするように、ヨハンが言う。

俺は頷いた。


「そうだな。もうあの家に帰る気はないし、帰る場所もないだろう。今は王都での立場もある。どっちかと言えば、実は身分を偽ってましたと公表する方が問題だ」


「先進魔術研究室室長様、だもんね。精霊教会の問題にも実は関与してるとかって噂も聞いたし、王女様や王国騎士団の団長とも親し気だし。僕の頑張りが霞むからやめてほしいよね、ぶっちゃけ」


「全部成り行きだ。たまたま物事が綺麗に収まっただけで、そんなに大したことはしてない……。しかし、ダミアン様の屋敷に現れた時、お前はローレン・ハートレイの正体が俺だと気づいていたのか?」


「――ああ、あれ」


一瞬の邂逅を果たした夜のことを尋ねると、ヨハンはバツが悪そうに頭を掻いた。


「……ダミアン様、怒ってたでしょ? いくらなんでも勝手に屋敷に入ったのはまずかった……。いつ魔術学校に憲兵団が来るかと思ってヒヤヒヤしてたんだ」


「怒ってはない――、どころか責任を感じてしょんぼりしてたくらいだったけどな。しかし、今回の件の報告も兼ねて説明と謝罪には行った方がいいだろう」


「マギアに帰ったらすぐ行かなくちゃ……。あ、兄様もついて来てよ?」


ダミアンへの報告はまあ問題ないだろう。

あるいは、ちょうど今頃、ヨハンがハイドラ遠征に参加していることを知り、気を揉んでいるかもしれない。ハイドラで相対することになった経緯の説明には時間を食うだろうが、結果については喜んでくれるはずだ。

彼女が苦言を呈した通り、行き当たりばったりのなし崩し的な和解になってしまったことは、本当に情けない限りだが。


「――それで、僕が兄様に気付いていたかっていう質問に関しては、『まさか同一人物とは思わなかったけど、関係は必ずあるはず』って感じかな。ローレン・ハートレイに近づけば、必ず兄様に行きつくはずだって半分確信して、王都魔術学校に入った。だから許可が出てすぐにダミアン様を訪ねたんだ」


「ローレン・ハートレイの名前は、ナラザリオにも届いていたってことだな。一応の情報規制はかけられていたはずなんだが……、ハイドラに伝わっていてナラザリオに伝わらない道理はないか」


「実際、王都に比べれば相当遅れて知ったとは思うよ。精霊教会騒動についてはすぐに広まってたけど、氷魔法については結構タイムラグがあって。あと、お父様も僕の耳に入らないように苦心してたみたい。でもこんな大きなニュース、広まらない方が難しいよ。下手をしたら精霊教会の問題よりも重大だもん」


「…………」


バレているだろうことに気付いていながら、俺は目を伏せていた。

こちらから会いに行くことはしないように。そんな資格はないと逃げていた。自分の行いを勝手に罰して、納得できる言い訳を用意して。

そのくせ、心のどこかでヨハンが現れてくれることを期待していたのだ。

とても卑怯な人間だと思う。

何がヨハンの為かなんて、ヨハンにしか分からないというのに。


「――だけど、それにしたってあれはちょっとひどい再会だったなあ……。今回のも大概だけど、あの時の僕ってどこからどう見ても不審者だったし、動揺してて何をやったのかもよく覚えてないんだよね」


「夜に窓から知らない奴が入り込んできて魔法を発動しようとしたら、そりゃあ不審者に映るだろう。正直、殺しに来たのかと思った」


「違うんだよ、僕はあの時兄様にぶつけてやろうと思ったんじゃなくて……、その」


ヨハンはそこで、少し言い辛そうに口を尖らせる。そして聞こえるかどうかという小さな声で言った。


「氷魔法が使えるようになったのを見せたくて……」


思わず頬が上がり、俺はヨハンの頭に手を置く。

ヨハンは「ちょ、違う、やめてよ!」と払いのけたが、あまり力はこもっていなかった。


「紛らわしかったのは事実だが、現に今こうして互いの誤解は解消されたんだからよしとしよう。あとは事情を説明しておかなければいけないのが、ダミアン様のほかにオランジェットとリーキースさんあたりか。まあ、それは俺の方でやっておく」


「――あ、え、リーキースさんって、騎士団長のリーキース・フォールランド?」


「ああ、あの夜部屋の奥で剣を抜きかけてた人だ」


「ええええ、やっべ、マジか。騎士団っぽい人がいるなとは思ったけど、よりにもよって団長かよ……。死んだじゃん……」


「多分大丈夫だろ。融通の利く人だし、敵意がなかったことは見抜いてたから」


「でももし会った時に、あの時の不審者だって言われたらすごい気まずいって。どんな顔すればいいの?」


「それは何とかしてくれ。誤解されるような行動をしたのは事実なんだから」


「帰ったらずっと顔隠して雑用してよ」


ヨハンの言葉に俺が笑いを漏らすと、ヨハンもそれにつられる。


俺たちはそれから思いついた順番に質問をし、互いの4年間を分かち合った。もちろんすぐに埋められるはずもないが、それでも兄弟として過ごした十数年が失われた訳でもないことを実感し、その事実がただただ嬉しかった。



とめどなく溢れる思い出話に、いい加減歯止めが利かなくなってきた頃――、テントの入口の方向で足音がしたので俺たちはハッとした。

耳を澄ますような少しの間の後、聞き馴染みのある声がかけられる。


「ローレン――、もういいか。そろそろ撤収作業にも取り掛からねばならん。お前も王宮に戻った方がいいだろう」


俺とヨハンは頷き合い、速やかにテントを出た。

見上げれば真上にあったはずの太陽はすっかり角度を傾けており、ハイドラで過ごす最後の夜がゆっくりと降りてきている。

未だ騎士団と黒狼軍の演習は続いているようだが、その傍らで撤収作業に入っている団員の姿も見えた。本日大規模な酒宴が予定され、明日の朝出航をしなければならないことを考えれば、確かに頃合いだろう。


二言三言を交わしたのち、ヨハンは騎士団員たちのいる方向に駆けて行った。

去り際、ヨハンは俺にも敬礼を向ける。その表情はすっかり騎士団員のもので、改めて弟の成長を感じるとともに、自然と目頭が熱くなる自分に歳をとったなと思った。


「さて、と」


ヨハンの背中を見送った後、一体どこに待機していたのかアニカが視界に映る。

いつでも動かせるように馬車を用意してくれていたらしい。


「騎士団や黒狼軍が撤収し、宴会が開始されるには今しばらくございますので、一旦お部屋にて待機いただくようお願いいたします」


「分かりました」


俺は馬車へ乗り込みながら、最後にちらりと振り返った。

乾いた平野の上で甲冑姿の男たちが入り乱れ、どこにヨハンがいるのかはもう分からない。


ヨハンはやはり、4年前のあの事件のことをほとんど何も知らなかった。

変わり果てた屋敷と、口を閉ざす使用人たち、兄がいなくなったという事実から、出来事の輪郭をぼんやりと予想していただけだ。


であるならば――、俺が屋敷を出て行ったあの朝、杖を投げ入れたのは誰だったのだろうか。この答えを確かめる術は、もう失われてしまったのか。


俺は馬車に揺られながら、長らく考えることを忘れていた疑問について、首を捻っていた。

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