第24話 ヴォルーク・H・アフィリオー


「驚かせて悪かった、ローレン・ハートレイ。死にかけの獲物がよもや壁を飛び越えようとは思わなかったのだ。まあ座れ、余興の続きを見せてやろう!」


王宮の広大な庭園を見渡せる階段の上、用意された椅子に腰掛けて快活に笑うのは、ハイドラ王国第一王子、ヴォルーク・H・アフィリオー。

顎に無精髭を生やし、黒い髪を首元まで伸ばし、ガウンのような上着を羽織った20代後半の男だ。


かねてより名前を聞いていたヴォルークの第一印象は、肉食獣のような人物――、というものだった。

大きく鋭い眼光がぎょろりとこちらを射抜き、笑う口元からは鋭い犬歯が覗く。身長は俺より10センチほど低いが、全身が筋肉質で、服の上からでも鍛え抜かれている事が分かる。


俺は言われるがまま、彼の背後に用意された椅子に座った。

そこで、王子の隣にいたノノがわずかに振り返って目が合う。しかし挨拶をしようとした矢先に、庭園の奥から低い鳴き声が聞こえたので、俺たちの視線はそちらへ向けられた。


数人の男たちによって運び入れられてきた鉄の檻。

その中では、目隠しをされた鹿が暴れている。

新たな的が用意された――、という意味らしい。


ヴォルークがゆったりと立ち上がった。


「槍をもて」


空へ差し出した左手に、太く長い銀色の槍が手渡される。


それを合図に檻が開かれ、広い中庭に一匹の鹿が解き放たれた。

目隠しを外された鹿は、今どこにいるかもよく分らぬまま、ただ外へ向かって逃げる。しかし、塀際に等間隔に配置された兵がそれを許さず、また中央へと追い返す。

ぐるぐると広い庭園を彷徨っていた鹿は、やがて行き先を失ったように俺たちのいる方向へと走りこんできた。


「……魔術研究の結果、氷魔法を発見せしめたそうだな」


不意にヴォルークが言う。

俺は一瞬、自分に向けられた言葉だと気づかなかった。


「――――え」


「はじめ、その報が入った時、馬鹿馬鹿しい流言であると笑う者が大半であった。しかし、マギアへ送った使者が『実際にこの目で見た』と語ったことにより、皆の顔色が変わった。そしてバツが悪そうに首を捻り、今度はケチをつけるべきところを探しだす。力持たぬ者は、力ある者を疑ってかかることでしか、己の自尊心を保てぬのだろう。まことに愚かだ。よい服を着ようとも、宝石で飾ろうとも、奴隷を従えていようとも、それは虚栄を身に纏っているに過ぎぬ」


ヴォルークが、槍を握る手に力を込める。


すると――、ボッという音を立てて銀色の槍が炎を帯びた。

背後から見たその姿がオレンジ色の夕陽と重なって、俺は目を細める。


混乱した鹿はまるでその炎に導かれるように、まっすぐに階段を駆け上がってくる。

控えていた臣下がその勢いにのけぞり、ノノは目を伏せ、俺も思わず身構える。

しかしヴォルークは自分の身に危険が迫ることを楽しむように、口の端を持ち上げた。


「余が信奉するのは力のみだ。弱い者は強い者にひれ伏すのみ。そこには金も権力も介在するべきではない。……そうは思わんか、ローレン・ハートレイ……!」


鹿が危なっかしい足取りで、階段の上に到達した――、その瞬間。


ヴォルークは槍を放った。

いや、正確に言えば放ったらしい。


このような言い方になるのは、すぐ背後から見ていたはずなのに、彼がいつどのように槍を投げたのかまるで分らなかったからだ。


気付けばヴォルークの手から槍は消え、次の瞬間、何かが弾け飛ぶような凄まじい音が響く。恐る恐る見下ろした先には、燃える槍に頭蓋を貫かれた鹿の死体が横たわっていた。


「……はっは、此度は塀の外に逃す余裕も与えなかったであろう?」


ヴォルークが振り返り、にかっと笑う。

俺は慌てて姿勢を正した。


「――――さ、先ほどはヴォルーク王子が狩猟を行っていたとも知らず、勝手な真似をしてしまい、まことに申し訳ございませんでした!」


「もはや責めてはおらぬ。余も少々頭に血が上っていたのだ、許せ」


「とんでもないことでございます……!」


「よいと言っている、頭を上げよ」


そう言うヴォルークの表情に、塀の上に立ち、俺を強く睨みつけていた面影は既にない。たたえる笑みは、ただ少年のように無垢で純粋だった。


「――どうであった、ノノ。本来であれば平原へ行って実際の獣を狩るのが一番だが、手軽な余興としては楽しめたであろう」


「はい……、素晴らしいお手際でした。鹿が駆け上がって来た時には心臓が止まるかと思いましたが」


「あの鹿の演技はなかなかであったな。今宵の夕餉にはアレが載るであろう。楽しみにしていろ」


「果たして食べきれるでしょうか」


そう微笑むノノを見て、ヴォルークは満足げに頷いた。

なるほど、噂にたがわぬ人物のようだと俺は思った。


アフィリオー王家の王族事情は知らなかった俺だが、ヴォルーク・H・アフィリオーという男についてはいくつか知っていることがある。


ノノ王女と婚約を結んでいるということが一つ。

順当に行けば次期国王にあたる人物であるということが一つ。


ここまではまあいいだろう、しかし彼はもう一つ、他国を見回しても例を見ない肩書きを有している。

第一王子でありながら、ハイドラ黒狼軍大将を務めているのである。


その理由は単純明快。

彼がハイドラで一番強いから――、だそうだ。


俺はその話を聞いた時、それなりの実力者だとしても流石に誇張があると思っていた。しかし本人を目の前にした後では、それが誤りだったと認めざるを得ない。

俺が知る限り最も強い人間はリーキース・フォールランドだが、ヴォルークからはリーキースとはまた別種の武の匂いを感じる。いや、武というよりもっと純粋な、力の――、


「――さて、ちょうど日も暮れる。中に戻るぞ、ノノ」


「はい。その前に、少しローレン様と話す時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「許す。では夕餉の支度が出来たら部屋に使いを寄越す」


「ありがとうございます」


ヴォルークはノノが頭を下げたのを横目に、大股で宮殿内に入って行く。

その背中を見送った後、顔を上げたノノは「待ちわびておりました」と俺に耳打ちしたのだった。





「――失礼いたします」


一度自室へと案内された俺は、簡単な荷物整理だけして、すぐにノノ王女の滞在する部屋を訪ねた。

許可を得て中に入ると豪華絢爛な内装に目がチカチカする。さすが一国の王女を招き入れるだけあって、

しかしそんな部屋には今、俺と彼女しかいない。わざわざ人払いをしたのだろうかと部屋を見回しながら、俺は扉を閉める。


部屋の中央、向かい合ったソファの傍らに立ったノノがにこりと微笑んだ。


「こちらにおかけください。今お茶をご用意しますので」


「あ、俺がやりますよ」


「いけません、ノイオトからの長旅でお疲れでしょう? おまけに、着いた矢先にあのような催しに巻き込んでしまって……。さぞ驚かれたことと思います、申し訳ありません」


「なぜノノ様が謝られるんです.確かに塀の向こうから燃えた鹿が飛んできた時は驚きましたが……。それよりも、ノノ様こそ大丈夫ですか?」


「――――」


俺が問い返すと、ノノはぴくりと肩を揺らした。

ティーカップを用意する手をとめ、こちらを振り返る。


「……私でございますか?」


「顔色があまりすぐれないように見えますが」


「あら、本当ですか? それこそ旅の疲れや食べ物の違いのせいかもしれません。でも大丈夫、この通り元気ですよ」


ノノはそう言って、力こぶを作るポーズをして笑ってみせる。

しかしそれは、トランプに興じた際に見た花のような笑顔ではなく、まるでよく出来た造花のようだった。


「……元々、ノノ王女はああいった見世物がお好きではないでしょう。俺から見ても、決して趣味がいいとは思えませんでした」


「ハイドラでは一般的な催しなのです。現在のアフィリオー王家は太古の狩猟民族の末裔だそうで、そもそもマギアとは成り立ちが異なるのだとか。文化や価値観が違うのも当然でしょう」


「ハイドラの文化を貶しめるつもりはありません。郷に入っては郷に従えとも言います。

……しかし、どうしても趣味が合わないということもあるのではありませんか」


「そういったこともあるかもしれませんね。でも私は大丈夫ですよ」


「必死で体の震えを抑えていらっしゃったのに、ですか」


「!」


少しの沈黙ののち――、紅茶の入ったカップを二つ持って、ノノがソファに腰掛けた。


「……後ろの席からでも分かるほどだったでしょうか。頑張って表に出ないようにしていたつもりなのですけれど」


「少なくともヴォルーク王子や周りの方々は気付いておられないようでしたが」


俺がそう言うと、彼女は小さく息を吐く。


「そうですか、よかった……」


「――なにもよくありません。それはつまり、口にしなければ伝わらないと言うことですよ。文化の壁が取り払われるのは良いことかも知れませんが、それは互いに歩み寄るという前提のものでしょう」


「しかし、もしそれを言えばヴォルーク様の不興を買い、場の雰囲気を悪くし、果てはマギアとハイドラの関係性にひびを入れるやもしれません。皆の期待を裏切らない為にも、私は精一杯の努力をしたいのです」


「…………」


国家間の関係性の維持とまで話が及ぶと、俺に返す言葉は無くなってしまう。

しかし、ノノの「自分一人が我慢すればいい」という言い方にはどうしても同意しかねた。それは自らで自らの心を傷つけているにも等しいように思えるのだ。


「しかし、本当によく見ておいでです。まさか背後からそのように熱い視線が贈られているとはおもいませんでした。初めて会った時は目も合わせていただけませんでしたのに」


「――え。いえ、あれはですね」


彼女がじとっとこちらを睨む視線に、俺は慌てる。しかし、すぐに彼女は口の端を持ち上げて「冗談でございます」と言った。

カップを両手で抱え、ふうと息を吐いてから、ノノは言う。


「すみません、愚痴を言うためにお呼びしたはずではなかったのですけれど」


「……愚痴くらいであれば俺がいくらでも聞きますので、どうか無理にお気持ちを溜め込まないように」


「ローレン様はお優しいですね。今回、少し無理を言って同行いただいて本当に良かったと思います」


「そんな事は……」


反対にこちらを慰めるような彼女の言葉がむずがゆく、気丈に微笑をたたえる彼女が居たたまれず、俺は誤魔化すように紅茶に口を付ける。

窓の外を見れば、夕焼けと夜闇が混じった紫色の空が、時間の経過を伝えていた。



「うふふ。仰る通り、愚痴を吐き出したら少しすっきりしました。

それでは、今度はローレン様の話をお聞かせいただけますか? 交渉はうまくまとまったのでしょうか」


そう言われて、俺は自分が何をしにハイドラに来ていたのかを思い出す。


「――あっ、そうでした。実はノノ様にもお願いしたいことがございまして」


「私がお役に立てる事なら何でも致しますよ」


俺は事のいきさつを掻い摘んで話す。

精霊窟と呼ばれる場所に水晶が飾ってあり、数百年前の噴火の折に採掘された特別なイハイオット水晶と呼ばれるものであること。これから新たに採掘できる見込みは極めて低く、過去に採掘された水晶を保有する人物を探し求めた結果、サイモンとの交渉に行きついたこと――、である。


ノノは話を聞き終え、納得したように頷いた。


「そのようなお話であれば、ヴォルーク様の許可さえいただければ問題ないでしょう。夕食の折、私から提案をさせていただきます。交渉の詳細部分はローレン様にお任せすることになると思いますが」


「……夕食の席に俺なんかが同席して大丈夫ですか? その……、マギア王国の品位を損ねかねないのでやめた方がいいと思いますが……」


「ヴォルーク様が是非にと仰せなのです。先ほども、ローレン様のことを評価しておられたでしょう? ローレン様はご自身で思われている以上に、此度の遠征の重要人物なのですよ?」


俺は眉を顰める。

あれは俺を評価していたのか……? むしろ槍先がいつこちらに向けられるか分からないと戦々恐々としていたのだが……。


「過大な評価であると弁明したいところではありますが、指名がかかっているとなれば同席しないわけにはいきませんね……。ヴォルーク様の部屋を訪ねて行くよりもハードルは低い気もしますし」


そう頭を掻いたところで、ノノが心配げな表情をこちらへ向けていることに気が付いた。


「…………どうかされましたか?」


「いえ、何せ気まぐれな方ですので、交渉がどう運ぶだろうかと思いまして。ローレン様へのご興味が、悪い方向へ働かなければよいのですが……」


「悪い方向へ?」


「いえ、すみません。取り越し苦労であれば、それに越したことはないのです」


ノノが具体的になにを懸念しているのかは結局よく分からない。

しかし、ヴォルーク・H・アフィリオーが型にはまらない人物であることは、先の短かなやりとりからも察することが出来た。

ここ4年、俺は色々な肩書きの権力者や貴族を目にしてきた。幸い俺の周りの人々は素晴らしい人格者ばかりだが、残念ながらそういった人物は少数派で、金と立場を振りかざし、他人の足を引っ張ることにしか興味がないような連中が大半を占めている。あとは、今日が楽しければいいという道楽者、謙虚で温和な平和主義者、自らの才気で上を目指す野心家……。


だが、ヴォルークはそれらのどれにも当てはまらないように思えた。


あれはたまたま生き残った幸運な末弟でも、離宮暮らしをいいことに遊び呆ける愚鈍な王子でも、ただ力を誇示したいだけの馬鹿でもない。

こちらを睨むあの瞳には、暗く深い底知れなさが潜んでいる。

そんな気がした――……。


コンコン。


そんな話をしている所へ、見計らったようにドアがノックされる。

早くも夕食の準備が出来たらしい。


俺は自分の腹を撫でながら「馬車で疲れたところに鹿の丸焼きは、本来なら容赦いただきたいところですが」とぼやく。

それを受けて可笑しそうに口元に手を当てるノノの顔には、いくらか色が戻っているように見えて、俺は内心安堵をするのだった。


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