第23話 鹿の丸焼き



「んん…………」


窓の外を流れる景色を眺めながら、俺は唸るように息を吐く。

昨晩のディナーの油分が胃にこびりついており、馬車の揺れと相まってどうにも具合がよくない。

眠ろうにも眠れず、窓の外の眺めも殺風景、話し相手もいない。


俺は気を紛らわすために、昨夜サイモンとの間で行われた交渉の事を思い出す――。


予想外のタイミングと場所で登場してきた、うってつけの霊水晶。

それ自体はこの上ない僥倖だったが、しかし「お金を支払ってありがとうございました」で済むほど簡単な話でもなかった。

その水晶はハイドラの王家からいただいた褒賞であると同時に、ボイシーチ家における富と繁栄の証でもあったからだ。言ってしまえば、ノイオトの精霊窟に奉納してあるスザクの霊水晶を買い取ろうとしても不可能であるのと同様に、そもそも交渉のテーブルに載せていいものではなかった。


――それが覆ったのは、今回の依頼がほかでもない王宮の命によるものだったからだ。サイモンは言った。


「商品は、それにもっとも価値を見出す買い手の元に帰するべき……。それが私の理念でございます。これは必ずしも金銭の話だけではありません。このイハイオット水晶は、このまま当家で飾られていたとしてもそれ以上の価値を持ちません。強いて言えば、精霊の加護を信ずることくらいでしょうか。しかし――、ローレン殿には、より確かな価値が見えておいでのようです」


そこまで言って、サイモンは水晶に布をかけ直し、自らの手元へと引き寄せた。

今はまだ渡せないという意味である。

彼の提示した取引の条件はこのようなものだった。


「王宮より斡旋された私が、王宮からいただいた物ゆえに商品をお譲りできないというのが、そもそもおかしな話なのでございます。ゆえに解決策は単純です。サバ―カ・H・アフィリオー現王……、あるいはヴォルーク王子より許可がいただければいい。一度王家に返納し、そこからローレン殿に譲渡されるという形であれば、体面上もなんら問題ありません。……無論、ただで差し上げるという訳には参りませんがね」


『此度の水晶探しにおいてボイシーチ商会は役に立たなかった』よりも、多少無茶をしてでも『取引を成立させる為、出来る限りの努力をした』の方が聞こえがよい、というのもサイモン側の打算に含まれていただろう。

水晶探しにこの先かかる時間と手間――、しかもそれが成果なしとなる可能性を考えれば、王宮からの評価を守り、水晶代を受け取ることが出来る選択肢を選ぶのは商人として理にかなっている。

サイモンはそう言った意味でこの水晶に価値を見出したのかもしれない。


なんにせよ、サイモンの提示した条件をのまないという選択肢は俺にはなかった。


王宮に行かねばならない。

早く来るようにというノノ王女の言葉もあったし、氷魔法指南という一応の名目もある。大丈夫、色々と予期せぬ事態があったように見えた霊水晶騒動も、ハイドラに着いて初日の内に収まったことを考えれば大成果と言って差し支えない。

隣国の王族相手の交渉が残っていることを考えると、決して気分が軽くはないのだが……。



俺は馬車の進行方向、王都ダボンがある北の方角を見た。


王都までの街道は、だだっ広い平野を真っすぐに貫いているらしい。

イハイオット火山も背後に遠のき、今は右を見ても左を見ても地平線が見えるばかり。膝の高さほどの乾燥した草がどこまでも広がり、時折ぽつぽつとうねった樹や大岩が顔を出す荒涼とした風景は、マギアでは見かけたことのないものだ。

どちらかと言うとアフリカなどのサバンナ地帯の風景に近しいような気がする。


この気候の差を生んでいる一因は、マギアとハイドラの国境そのものとなっている長大な山脈――、『レイジア山脈』だろう。

砂を含んだ風の向こうにおぼろげな輪郭を見せる尾根は、猛獣の牙のように尖ったり引っ込んだりしている。

標高の低い場所を選んで数本の街道が通ってはいるが、どのルートを取っても国境を超えるのは一苦労と聞く。今回の遠征部隊が海路を選択したことからも分かる通り、冬の時期は尚更であるようだ。


そう言えば、ヨハンが婚約を結んでいる先のグラスターク領はマギアの最南に位置し、ハイドラとマギアの国交の最重要地点でもあったはず。もし騎士団が陸路を取っていたら、途中グラスタークで休憩という事もありえたのか。

ヨハンの許嫁たる、フィオレット・グラスターク嬢……。あのお人形のように可憐だった少女は、4年を経てさぞ美しく成長しているのだろうなどと考えながら――、

俺ははてしない馬車旅の時間を潰すのだった。





「あー……、もう、当分馬車には乗りたくない……」


王宮敷地内、赤く巨大な建造物の前で馬車が停止する。

地面に足を付けると、すっかり凝り固まった両膝がガクガクと震える。よろける俺にそっと手を添えてくれたのはアニカだった。


「長旅お疲れ様でございました。専用のお部屋を用意しておりますので、そちらでお休みくださいませ」


気付けば日もだいぶ傾いた夕暮れ間近。

俺はノイオトから10時間ほどかけて、ハイドラの王都ダボンへと辿り着いた。飛行機ならアメリカに着いてしまうほどの時間を、快適なリクライニングも、機内上映もなしでずっと揺らされるのはもはや苦行と言ってよかった。

しかし、より揺れの大きい馬車後部に乗っていたはずのアニカが平然としているのはどういう訳だろうと不思議に思いながら、俺は精一杯のかっこつけで足腰に力を入れた。


「あれ……?」


そこでふと眼前の建造物を見上げて、俺は声を漏らす。


馬車は大きな門の手前に停車している。

その奥に建つ円柱状の宮殿――、はまあいいのだが、自分の背後にさらに巨大な宮殿が聳えていることに気が付いたのだ。

造りや色味は似通っているが、大きさは三倍ほども違う。


俺の抱いた疑問に気が付いたアニカが、尋ねる前に答えてくれた。


「ローレン様のお部屋が用意してございますのは、ハイドラ王宮の離宮にあたります。本殿にはサバ―カ・H・アフィリオー国王が、離宮にはヴォルーク・H・アフィリオー王子がお住まいになっておられるのです。ノノ王女様が招かれており、明日の夜に宴席が設けられるのは離宮側なのでございます」


「……なるほど、ヴォルーク王子の為の離宮ですか。他の王族の方々はどちらに?」


「いらっしゃいません」


「――――え?」


「現在、アフィリオー王家でこの王宮に残っておられるのは、国王とヴォルーク王子のお二人だけでございます。3名の王女様方は既に隣国へ嫁いでおられ、王妃と王子様方はお亡くなりになっておりますので」


「――――」


思えば、ノノ伝てにヴォルーク王子の噂話は幾度か聞いていたが、他の王族の話が出たことはなかった。サイモンも、サバ―カ王かヴォルーク王子どちらかから許可を得られればと言っていた。

あえて語られなかったのではなく、そもそもいなかったからなのかと、俺は今更ながらに気付く。


しかし、他国へ嫁いでいった王女はいいとして、王妃と王子が皆死んでいるというのは……?


「王妃様はヴォルーク王子ご出産の折に――。4名いらっしゃったお兄様方は、それぞれ病気や事故などの理由によりお亡くなりになられました」


「ハ、ハイドラ王家の事情に疎くて申し訳ありません。つまり……、現在第一王子であるヴォルーク王子は本来末っ子だったんですか?」


「左様でございます」


「ヴォルーク様が正式に第一王子になられたのはいつ頃なんでしょう」


「元第一王子のホルス様が事故に遭われた5年ほど前でございます。この離宮にヴォルーク様が居を移されたのも同じ時期だったと聞いております」


「なるほど。それはまた、何というか…………」


思わず危なっかしい言葉が口から出かかり、俺は慌てて口を噤む。

ハイドラ王国王都、しかも王宮のど真ん中で不用意なことを言うべきではないだろう。しかし否応なしに興味を惹かれる話題でもある。ノノ王女に尋ねたら、どのような返答が返ってくるのだろうかと、俺は改めて離宮を見上げた。


マギア王宮とはだいぶ趣味の違う赤を基調とした宮殿。

それを3メートルほどの石塀が四角く囲んでいる。ここからでは中の様子を覗くことさえできないが、かなり広大な庭があるようだ。

と、そこで――、


「――――」


壁の向こうから、人々の歓声のようなものが聞こえた気がして、俺は足を止める。

豪奢な建造物に気を取られ、アニカと言葉を交わしていたため気づかなかったが、離宮の庭先には人の気配がある。

しかもそれは決して少なくないようだった。


俺は何を騒いでいるのだろうかと、壁越しに耳を澄ませてみた。

すると今度聞こえてきたのは、人々の声だけでなく、ザッザッと芝生を蹴るような何かの足音だった。そしてそれは、こちらに近づいてくるようで――……、



「ローレン様!!」



アニカが叫んだのと同時、俺の頭上を大きな影がよぎる。

壁の向こうから飛び跳ねるように現れた影が、奇妙な声を上げながら俺のそばに着地した。いや、倒れこんだ。

すぐにはそれがなんであるか分からない。

しかし鼻先に感じた熱気に、俺は反射的に退いた。


「――――は!?」


その正体を認識して、なお目を疑う。


それは、全身を炎に包まれた大きな鹿であるように見えた。

身を焼く炎から逃れるように、鹿は地面に倒れながらものたうち回る。しかしその鹿は同時に、わき腹から血も滴らせているらしかった。


傾きかけた西日がオレンジ色に照らす石畳の上、同じ色の炎に包まれた鹿が苦しみもがき、火の粉を散らす。

唐突に目の前で起こった理解不能な状況に、頭が真っ白になる。


しかしすぐに、眺めている場合ではないことに思い至り、俺は急ぎバケツ分ほどの水を生成した。燃える鹿の体にそれを落とすと、ジュウウという痛々しい音が響いた。

死に瀕した鹿を助けなければと思ったのではなかった。炎の奥から丸い目玉でこちらを見る鹿の姿が、余りにも見るに堪えなかったのだ。


結果、黒焦げになった鹿は力なく石畳に横たわり、動かなくなってしまった。



「――――おい、貴様何をしているッ!!」



呆然と立ちすくむ俺の頭上から、今度は怒鳴り声が響く。

肩を震わせて声のした方向を見ると、塀の上に仁王立ちする一人の男の姿があった。男はすさまじい形相で、俺を睨んでいた。


「一体何のつもりだ!! 一体どのような了見で斯様な無礼を働いた!! せっかく余が鹿の丸焼きを料理していたというのに台無しにしてくれたなッ!!」


「――――!?」


「…………ほう、余の問いかけを無視するとはよい度胸だ。中庭へ来い、次の獲物は貴様とする」


「――お待ちくださいませ」


いよいよもって状況の理解が出来ない俺の前に身を挟んだのはアニカだった。

塀の上に立った男の眉が動く。


「ん? おお、貴様か。――と、待てよ。という事はその男は……」


「マギア王国魔術研究室室長、ローレン・ハートレイ様でございます。ノイオトでの商談を終え、ただいま到着いたしました」


「ローレン……、ハートレイ………! ローレン・ハートレイか!!」


俺の名前を聞いた瞬間、怒りに染まっていた男の顔が一変して明るくなる。

塀から飛び降りると、筋肉質な腕で俺の肩を強く抱いた。


「待ちかねていたぞ! 先の話は全て冗談だ、卿にも余興の続きを見せてやるとしよう。ノノも中で待っているからな!」


かっかっかと大きな声で笑う男、肩を抱えられ半強制的に連れていかれる俺。

俺は助けを求めるようにアニカを振り返った。

アニカは頷く。



「そのお方こそがアフィリオー王家第一王子、ヴォルーク様であらせられます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る