第21話 ローレン・――――
「あ゛ぁ…………」
喉の奥からうめくような声を漏らしながら、俺は身を起こした。
地下の部屋なので窓から日の光が差し込んでくるということもなく相変わらずの薄暗さだが、体感的にはいい加減朝だろう。というよりも、そうであってくれなくては困る。
「結局、一睡もできなかった……。状況がどうこう以前に、仮にも人が寝る為に作られた家具じゃないだろこれ……」
まるでアスファルトかのような硬く冷たいベッドは、俺が体重をずらすと脚の部分から不気味な音を立てて軋む。
シーツや毛布は薄く、地下のひんやりとした空気が隙間から入ってくるくせに、くるまればくるまるほど体がかゆくなってくるというジレンマ。
そうでなくても地下特有の苔と石の匂いで、墓にでも埋められたような錯覚を覚え、扉の向こうからは一晩中誰かのささやき声のような、泣き声のような声が聞こえ続けていた。
そんなあまりにも長い一晩を、どうにか乗り越えたのだった。
お腹をさすると、こんな状況でもわずかにグルグルと音がする。しかしそれも仕方がない。俺はオランジェットの夕飯の知らせを一度断ったまま、ここに連れてこられたのだから。
「…………」
屋敷を思う。ダミアンは当然気付いている頃。
オランジェットはきっとダミアンに一部始終を報告してくれているだろう。
彼女がカイルの邸宅を訪れたあとどうなったかは知らないが、きっと例の研究資料はすでにカイルの手にはなかったはずだ。資料はおそらくこの建物の中にあり、取り戻せる余地はもはやない。
ダミアンの性格なら、夜中だろうと教会本部に訪ねてきそうなものだが、どうだろう。外の世界と隔絶されたこの地下の一室からは、夜の間何があったのかはわからない。
――――カイルが俺を陥れたのだろうか。
状況だけ見ればその線が一番濃厚なのは確かだ。
俺の部屋で例の研究資料を見つけ、教会に証拠付きで報告したという線である。
だがこの期に及んでも俺は、カイルが意図して今の状況に陥れたのだとは思えなかった。より正確に言えば想像が出来ない、と言うべきかもしれない。
たかだか2か月間悪態をつかれながら様子を見ていただけの生徒だが、それでも、人の部屋に入り、物を盗んで、誰かに密告するような、そんな少年ではないと思う。
あるいは、そう思いたいのだ。
さて、経緯はともかく、『あの資料は人目に触れてしまった』というのが現状での真実だ。そこはもう間違いない。
俺は今日、審問会にかけられる――。
今はカイルやダミアンのことではなく、そのことを考えなければならない。
そういえば、と思い俺は首元にかかるネックレスを確認した。先端に水晶の欠片を取り付けたそれは、幸いなことに没収されることはなかった。
だが、肝心のセイリュウは相も変わらず就寝中である。
欠片が小さくなり、睡眠時間が極端に増えたことはしょうがないとしても、精霊を信仰する集団に半分拉致されてきた形の今の俺からすれば、文句の一つでも言いたい気分ではある。
「まあ、起きたとしても俺以外に見えないんじゃ仕方ないが……。
それでも話し相手にくらいなってくれてもいいんじゃないか? おい……」
俺は意味はないだろうと思いながらも、水晶の欠片を指ではじいた。
「しかし、いつお呼びがかかるんだろうな……。明朝とは言っていたが、時間が分からなきゃ何の意味もない……」
別に早くお呼びがかかってほしいという訳でもないのだが、それでも独居房のような部屋で延々と待たされ続けるのもごめんだ。
俺は部屋の扉に備え付けられたビー玉サイズの覗き穴に目を近づける
しかし期待したような何かは見えず、わずかな光源で分かるのは薄暗く殺伐とした石の廊下だけ。等間隔に置かれた蝋燭が照らすのみなので、見える光景は俺の部屋の中と同じようなものだ。違うのは中か外かだけだ。
と――、不意に扉が外側から開かれたので、俺は右眼球を強打した。
「だっ……!?」
痛みに驚きながら後ずさりすると、現れたのは片手にトレイを持った黒装束の人物。
トレイには水の入った瓶と、適当にスライスされたパンが数切れ載っていた。どうやら朝食が運ばれてきた――、という事らしい。
「…………」
黒装束の人物は無言で俺にトレイを差し出すと、受け取れという素振りを見せる。
まとっている服は昨日現れたベイジャーらと同じようなつくり。
全身を覆い隠すような一枚生地に、わざと顔を隠すような深めのフード。前の世界でいう修道服を少し中2っぽくすると、ちょうどこんなデザインになるかもしれない。
……しかし、昨日見た連中とどこか雰囲気が違うのは何故だろうか。
俺がそう不思議に思っていると、フードの向こうから一瞬覗いた顔を見て、ようやく理解した。
「あ、女の人か……」
「!」
そう俺が思わず呟いてしまった言葉に、黒装束の女性はびくりと肩を震わせ、トレイを床に置いて踵を返す。
俺は弁明でもするように慌てて言った。
「ああ、ごめんなさい! 他意はないです!」
そう言うと彼女はおびえるように振り返りながら、俺の目を見た。
顔の上半分を隠すようなフード。それよりも長く伸ばしっぱなしの前髪の隙間から女性の瞳が見える。
身長は150センチ程で、暗がりで見る限りだが年は俺より2,3年上と言ったくらいだろうか。
「…………」
彼女はしばし戸惑うような表情を浮かべていた後、改めて床に置いたトレイを示す。
「自分はこれを渡しに来ただけだ」という意味だろう。
「えーっと、ありがとう……ございます?」
俺がトレイを拾い上げると彼女は、ほんのかすかにだけ頷いた。
と――、彼女が少し首を傾けた時、ふとフードの奥に妙なものが見えた気がして、俺は目を細める。すると彼女は敏感にその視線に反応し、首元を押さえながら一歩飛び下がった。
その反応はまるで何かに怯えているかのようだ。
俺はトレイをベッドの端に置いて、彼女に歩み寄った。
「………………アザ?」
「!」
本来ならこんな事を女性相手に言うのはあまりに不躾だろう。
しかし彼女は俺の言葉を否定せず、目を逸らしたまま自分の体を抱くようにしている。
その素振りは、アザがあるのは首元だけではないと言っているようにも見えた。そしてその想像は、昨晩中ずっと聞こえていた不穏な声とたやすく結びついた。
「………………」
全身を黒装束に隠した彼女は首を振るだけでなにも言わない。
やがて俺の視線に耐え切れないと言うように部屋の外へと出ていこうとする。が、俺はそれを腕を掴んで引き留めた。
それはひとえに反射的なものだったが、これは見逃してはいけない手がかりであると、どこかで直感していたのかもしれない。
「……思い違いだったらすみません。でももし、ここの誰かにひどいことをされているなら――」
「やめ、てく、ださい……!」
「!」
俺は女性が声を発したことに少し驚く。
彼女は俺が掴んだ手が緩んだところをバッと振り解いてから、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
俺は味のしないパン切れを口に押し込みながら、しばらく彼女が消えて行った扉の向こうを見つめていた。
「……思ったより闇が深いかもしれないぞ、精霊教会……」
その数十分後にやってきた別の黒装束の男によって、俺は審問会場へと連行された。
○
「まるっきり裁判所だな……。聖堂の中にこんな場所があるなんて、表からじゃ想像もつかなかったが……」
俺は物々しい雰囲気の審問会場に通され、思わずそう呟いた。
それは社会科見学で訪れて以来の不確かな既視感だが、不思議なもので、世界線を隔ててもこう言った場所は似た造りになるものらしい。
しかし今回はとても見学気分にはなれなかった。なにせ、他でもない俺が主役の審問会がこれから開かれるというのだ。最悪である。
さらに悪いことには、この審問会場には窓というものがなく、光源は等間隔に取り付けられた燭台のみ。それに照らされる頭上の精霊像はまるでお化け屋敷の舞台装置のようで、正直不気味と言わざるを得ない。
俺はここに至っても、今がおよそ何時かさえ分からなかった。
何故こんな悪趣味な会場で審問会が行われるのか。
俺が昨晩案内されたのは階段を下った先、ベッドと机だけが用意された5畳ほどの決して広くない個室だったのだが、今朝ここに案内されるまで階段を上がることはなかった。
精霊教会が公然と行う審問会ならば、こんな趣味の悪い場所ではなく、もっと堂々とやればいい。俺をここに連れてくるのにも、夜に押しかけるような事をする必要なんてなかった。
人が地面の下に何かを隠すのは、見つかりたくない理由か、後ろめたい気持ちがある時だ。
先入観をもって他人を判断するのは好みではないが、俺は精霊教会の態度に胡散臭さを感じざるを得なかった。
「――――」
既に数十人が俺を囲んでいる審問会場を見回す。
中央に被告人席、一段上がった正面に審問官席、その両脇を囲うように審問会員席があり、後ろに取ってつけたような傍聴席がある。
しかし今、傍聴席は空っぽ。
つまり、今日この場に俺の味方と呼べる者はいない。
昨夜の小さな個室では感じなかった孤独感が、不意に俺の背筋を駆け上ってきた。
「よそ見をするな。貴様には精霊を冒涜した嫌疑がかけられている。おかしな態度を取れば心証はさらに悪化するものと思え」
「…………」
物々しい態度で審問官席からそう言うのは、黒装束を纏った白髪の老人。
いかにも年季の入った精霊教会役員といった風体である。その両脇に並ぶ老人たちも、等しく冷たい視線を俺に向けていた。
審問会員たちの足元には、昨日屋敷に俺を連行しにきた顔の見えない黒装束の男たちが並ぶ。さらに俺の背後に一際ガタイの大きい黒装束が立ち、一挙手一投足を観察している。
俺は今、特別拘束をされている訳ではないが、たとえば俺が少しでも暴れたり魔法を使う素振りを見せれば、相応の対処がされる事は明らかだった。
その中には例の銀髪の男。ベイジャーの姿もあったが、さすがにあの独特の笑みは浮かべてはこなかった。
――カンカン
木槌の音が、会場に響く。
「では、定刻になったため審問会を始める。名前を――」
「…………ローレンです」
「家名は」
「家名、は……」
当然聞かれると思っていたことだが、俺は少し言い淀んだ。
ナラザリオ領を去った時点で【ロニー・F・ナラザリオ】の名前は捨てた。今の俺はダミアンの厚意で、彼女の親戚ということになっている。
しかし、公の場でその名を名乗るとなると、さすがに躊躇してしまう。この場で起こること、俺が問われることの責任の所在をダミアンに押し付けてしまうことになるからだ。
本来まだ出会って4ヶ月ばかりの、しかも王国最高魔術師たる彼女に――。
「…………」
「何をしている、早く述べろ」
審問官が苛立たしげに声を荒げると、ふと横の補佐役の男がスッと席から立ち上がり言上した。
「恐れ入ります。この者の保護者たる、ダミアン王国魔術師殿から昨夜、陳情がございましたことを先にご報告しておきます」
「!」
「……なに、陳情だと? どうせ明日の審問会に呼ぶことになる者ではないか。申し立てがあるならばその場で言えばよいものを……」
俺は思わず上段を見上げ、補佐役の男の持つ小さな書面に目をやった。
もちろん良くは見えないが、あの男の言った内容が事実であれば、ダミアンは昨夜ここを訪れたのだろう。
だが陳情とは何だろうか。
昨夜どう言うやり取りがあって、ダミアンがあの書状を託すに至ったのだろう。俺はその陳情書が読み上げられることを待ち望んだ。
審問官はけだるげな目線を補佐役に向けていたが、さすがに提出された陳情書を無視するのはまずいと思ったのか、顎をしゃくって読み上げるように促した。
「『此度の審問会、いかなる嫌疑によって開かれたものか想像も及ばないが、我が親類【ローレン・ハートレイ】について、彼には責められるべきことは一切ないと断言する。ゆえに、博愛と平等を説く精霊教会の名誉にかけ、なにとぞ公明正大な審問を要望する』と……」
「!」
瞬間、俺の心臓がひとつ大きく鳴った。
【ローレン・ハートレイ】という聞き慣れない名前が、この場でどのような意味を持つのかを理解する。
審問官は補佐役の見せたメモに軽く目を通すと鼻を鳴らした。
「……ふん、精霊教会の名誉にかけて? なんとも上からの物言いだが、まあいい。
で、この書面に書かれている、ローレン・ハートレイの名に誤りはないのか?」
なるほど――。
これは今日、審問会場に出席することのできなかったダミアンから俺へのメッセージだ。
確かに俺は名前も捨て、身ひとつでこの王都を訪れた。
だがそれでも、味方になってくれる人達はいる。
存在を許容し、背中を押してくれる人達がいる。
それがどれほどありがたい事か、俺は嫌というほど知っているはずだ。
ならば甘えられるところは甘えよう。
どのみち1人でなんでもうまくやれるほど、俺は世渡り上手ではない。
俺はこれから始まる不本意な審問会や、その結果起こりうる色々な出来事を飲み込んでから言った。
「――――はい、間違いありません。
ローレン・ハートレイです」
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