第5話 光魔法


「…………はあぁ、疲れた……」


今日も今日とて惨憺たる様相を呈した魔術教室が一応終わり、4人はそれぞれ迎えに連れられて我が家へと帰っていった。

泥まみれの服を着替え、汚れを落として自室にたどりついた瞬間、俺は糸が切れたようにベッドへと倒れこんだ。


時間は午後を回って少し。

俺は寝ちゃいたいという欲求と、さすがに寝るには早すぎるだろという理性のやり取りを聞きながら、しばしベッドに顔をうずめて目をつむっていた。


すると、胸元からするりと何かが抜け出る感触がある。


「お疲れロニー。中から聞いてただけだけど、ずいぶん楽しそうだったじゃないか」


「…………本当に楽しそうに聞こえたのか?」


「あはは、そう怒りなさんなって。でも君が子供たちに振り回されている姿はボクからすると新鮮で面白いよ。事実、いい刺激になってるんじゃないかい?」


「確かに魔術の研究という意味では、この提案を受けてよかったとは思っている。魔術が少しずつ上達していく過程は純粋に面白い。そういう意味ではヨハンは少し優秀すぎたかもしれない。俺の魔法覚醒過程は……あまりに一般的じゃなかったしな」


「実験サンプルとしてはあの子たちくらいがちょうどいいんだね」


「その言い方は語弊があるが、まあそんな感じだ」


俺はぐっと全身に力を入れ、ベッドから起き上がる。

そしてのそのそとした足取りで、部屋の中央に用意された仕事机に腰かけた。重厚な皮の椅子がぎしりという心地よい音を立てる。


「……さて」


俺は机の引き出しに鍵を差し込み、資料の束を取り出す。


「セイリュウ、ペンとってくれ」


「へいへい」


俺は眼鏡をはずし首を少し左右に振った後、本来の仕事に取り掛かることにした。


ダミアンのもとを訪ね、結果的に以前よりもよい研究環境を得てから3カ月と少し。ナラザリオで重点的に調べていた水魔法から、他属性の魔法へと研究はシフトしていた。別に水魔法を研究しつくした、というわけではないのだが。


結論からいえば、今俺が着手しているのは光属性と風属性の魔法である。

では、なぜその二つを選んだか――。

それを説明するには、正直あまり思い出しくない、殺し屋たちに襲われた日のことを遡らなければならない。


『殺し屋襲撃事件』と呼んでいるあの地獄のような一連の出来事を思い出すにつけ、背中にいやな感覚がよみがえって気分が悪くなるのだがそれはさておき。

あの襲撃の中で事態の壮絶さに隠れて、いくつか興味深いことが起こっていたことに俺は着目した。まあその最たる例は、奴らの使った奇術(と呼んだほうがまだ納得できそうな不可解な魔法)なのであるが、それは今朝のダミアンとの会話の通り詳細不明のままだ。


問題は次――、俺が自分の背中の傷に魔素で応急処置を施した件である。


俺はあの時生命の危機を察し、本能的に魔素で傷口に蓋をすることを思いつき、実行した。

結果的にそれはしっかりと止血の役割を果たし、おかげで俺は命をつなぎとめる事が出来たとも言えるだろう。


しかしよくよく思い出すと、あれは何属性の魔法だったのだろうか――?

順序立てて考えると消去法的に答えは出る。

俺は魔法領域を展開し、魔素を操作して血液が溢れ出ないように【壁】を作った。


そう、あれは光魔法と呼ぶべきものだった。


その事実に思い至った時はハッとしたものだ。

俺自身それまで、水魔法以外の属性が使えるという発想自体がなかったからである。

そしてそのすぐ後に思い直した。

それはカーラの風魔法を考察した時にも一度頭をよぎった考えだった。


魔法属性の区別は、あるようで実はないのではないか――。


考えてみれば、その結論は俺の理論にもそぐうものである。

魔法が【魔素】と呼ばれるものの操作を基礎とするならば、どの属性を持つ者も多かれ少なかれ魔素を操っているはず。

ならば原理的に見て、他の属性の魔法が使えない道理がない。というか、現に複数の魔法属性を扱える天才たちを俺は知っている。


多くの人々が一つの属性しか操れないというのは、たとえば俺自身そうだったように思いこみがストッパーをし、自分はこの属性の魔法が精霊に与えられたのだと満足してしまっているのではないか。本来誰しも、どの属性魔法でも扱える余地を有しているのではないか。


俺はいったんそういう仮定のもとに研究を進めてみることにした。すると俺の研究の目指すべき場所も分かりやすくなる。



まずは、俺が全ての属性魔法を扱えるようになればいいのだ。





俺は右手を宙に伸ばし、手に魔力を込める。

すると一呼吸置いて、音もなく手のひらの先に透明な壁が生じた。


「うぇ~い」


俺の肩に腹を乗せたセイリュウがそれを見て、妙な囃し立てをする。


視覚的にはうっすら明るい透明なガラス板が浮いている、という風に見える。よくよく見れば視認できるが、目の前に突如現れればまっすぐ突っ込んでしまいかねない。


俺はしばし中空に光の壁を維持したのち、力を抜いて魔素に還元させる。

空気中に光の細かな粒が溶けていった。


「うぇえええ~い」


「うるさいな」


俺は耳元で盛り上がる精霊にクレームをつけた。

するとセイリュウが体を輪っか状にして、俺の目の前をくるくると泳ぎながら言う。


「いやいや、ついにあのロニーちゃんが光属性までも使えるようになっちゃったもんだから。もう泣けちゃう」


「水の精霊としては些か複雑なんじゃないか?」


「べっつに? ボクはロニーの研究が順調に行っていて大層ご機嫌だぜ?」


「そんなものか」


「さてさて、新たな属性魔法を使えるようになってしばらく経つけれど、一度、現時点でのキミの考えを聞いておきたいところだね」


「別に構わんが、なにか為になるアドバイスでもくれるのか?」


「アドバイスて。キミ、それ嫌がるじゃないか」


「まあ、そうだな」


「ボクはキミとお話がしたいだけ、他意はないよ。……やっと二人きりになれたんだしね、えへへ」


「言い方が気持ち悪くてなんか嫌だな」


そんな冗談を交わしながら、俺は手元の資料をめくった。

確かに仮説としては一通り組み立て終えた所、一度誰かに考えを話すのもいいだろう。俺はセイリュウが起きていられる残り時間も考えながら、手短に要点を列挙することにした。


「そもそも魔素というものを操っていると仮定したとき、水魔法よりも光魔法の方が理解しやすい。水分子どうのこうのというステップを踏まず、ただその場に魔素を固定しているだけだからだ。空気中の分子間に存在する魔素がその場で固定する理由はまだ明確ではない。魔素同士が結合しているのか、それぞれが単独でそれぞれの座標に固定されているのか……。どちらにせよやはりこれも、重力となんらかの関係性があると思われる」


「ふむふむ」


「さておき、光魔法でやっていることは他の魔法属性よりも単純――。逆に光魔法の難しさは、魔素を固定すること自体、そして精度と維持の難しさだ」


「魔素を固くとどめて維持する。ステップが少ないかわりに、同時にやってることは案外難しいという訳だね?」


「あの水魔法が得意なヨハンが氷魔法には苦戦したように、魔素とは基本的に動きを持っているものだ。自由運動をしている状態こそがニュートラルと言える。

つまり魔素を固定するというのは、坂を転がり落ちようとするボールを手で押さえ付けているような状態に似ている」


「たくさんのボールをずっと押さえ続けるのは、確かに大変かもね」


「……見方を変えると、だ」


「ほう」


「光魔法を属性に持つ人々は、魔素を固定するのが先天的に得意――、と言えるかもしれない」


「先天的に、か。それはまた興味深い。だってそれって、普通光の精霊の加護があるって言われるやつのことだもんね」


「そういうことだ。属性の目覚め方や分布に関してはまだ調査中だから今は置いておくが……、ともかく光魔法は魔素操作における重要なファクター【魔素の固定】であり、それ以上でも以下でもないというのが今の所の結論だ」


「あははぁ、以上でも以下でもないってことはつまりあれだね? 最近君がよく言っている魔法属性の壁を取っ払おうというやつだ。確かに魔素の固定自体は光魔法が使えるようになる以前に、氷魔法で習得済みだ。

水魔法と光魔法の併用が氷魔法とも言える――。いやはや、これは新説だよ」


セイリュウはにやにやと愉快そうな笑みを浮かべながらそう言う。

口でこそ褒めそやしているが、果たして精霊目線からこの理論がどう映っているものかの本当のところは分からない。だがそもそもの存在自体が疑わしい精霊が相手である、今はあまり深入りしないのが吉だと俺は結論付けていた。


「ちなみに水、氷、光の三属性を使えるようになった魔術師ロニーちゃんとしては、発動するときになにか違いは感じられたのかな」


「感覚的な話か? ……まあ、現状どの属性が得意不得意ということはない。光魔法の発動には他二つと比べて多少時間がかかるが、これは単純にイメージを構築することに慣れていないからだろう。

ああ、ただ――――」


「ただ?」


「体内の魔力量の消費という感覚を俺は徐々に掴んできているわけだが、それでいうと発動後の疲労感が強いのは氷、光、水の順番だと思う」


「へえ、何でだろうね」


「正直まだ分からん。贅沢な悩みではあるがサンプル不足だな、他の属性を加えて考えればまた見え方が変わるんじゃないかと思う」


「あっはっは、他の属性魔法も順に会得していくつもりなんだ。貪欲でいいねえ〜。ロニーのそういうところ本当に好きだよボク」


「その露骨なニヤケづらをこっちに向けるな……。

ともかく、さしあたっての研究の方向性は光魔法のさらなる検証。あわせて、脳内のイメージが魔法の発現に関与している理由について、そろそろ仮説を用意したいところではある」


「ふうん」


セイリュウはそこまで聞き終えると満足げに口角を持ち上げる。


「なるほど、今回の話も面白かったよ。さすがボクが見込んだロニーだね。

そう言えばだけど、ダミアンちゃんには光魔法が使えるようになった話はもうしてあるのかな?」


「ん? ……いや、まだだな。検証内容がもう少し形になってからの方がいいというのもあるし、いざとなると言い出す機会がないと言うのも……、まあいずれ明かすつもりだよ。別にいいだろ」


俺はそう言いながら、資料を一度取りまとめて机に置いた。


だが光魔法は水魔法のほどわかりやすく検証できるものがないのも事実。魔素の動きを観測する術が今のところない以上、この研究が仮定の域を完全に脱するのはなかなか困難といえるかもしれない。


「ふあぁ。とりあえず満足できたから、今日はもう寝るよ」


「そういえば今日はお前も早起きしたしな」


「ロニーもたまには何も考えずに眠ったほうがいいぜ。こっちに来てから睡眠時間が減ってるみたいじゃないか。まあ若いうちに頑張る分には別にいいけど、程々にね……。てなわけでじゃあ、おやすみぃ~」


セイリュウはふわふわとおぼつかない様子で俺の胸元を目指しながら、最後にそんな風に釘をさして消えた。


俺は一人になった部屋で、ふぅと息を吐いて背もたれに体を預ける。


目をつむると、研究資料の文字や数字が瞼の裏を行き交う像が乱雑に流れた。考えるべきこと、解き明かさなければならないことはまだまだ山の様にある。


王都の生活は正直言って、思ってもみなかったほど充実している。

屋敷の主は俺の研究に深い理解を示し充分な研究環境を与えてくれているし、使用人もみないい人ばかりだ。

魔術教室については大変な部分がまだまだ多いが、大きなやりがいを感じているのも事実。生徒たちが今後どういう過程を踏んで上達していくのかを想像するとそれだけで楽しくなる。


「――――」


しかしそんな風に考えるとき、どうしてもナラザリオ家での日々が思い起こされてしまう。

ヨハンやカーラと楽しくやり取りをしていた映像が、合わせ鏡の様に同時に瞼の裏によみがえるのだ。

それは今の生活が充実していると思うほど、鈍い痛みとなって俺の心を少しずつ削り取っていくようで、時折耐えきれなくなる。


それでも後悔はしていない。俺はもう一度あの場面に戻っても、同じ決断をするだろう。

もしくはそう自分に言い聞かせているだけなのだろうか。


俺は瞼を開け、もうずいぶんと見慣れた今の自分の部屋を眺め見た。

窓枠の向こうには雲ひとつない青空がのぞいている。そこを名前の知らない鳥が横切って行った。


「……確かに、最近あまりよく眠れていなかった……。たまには何も考えずに眠ったほうがいい、か。セイリュウの言う通りかもしれない……」



俺はそうつぶやいた後、ふっきるようにカーテンを閉めてベッドにもぐりこんだ。

やわらかな布団は、あっという間に俺を眠りの海へと引きずり込んでいった。


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