第4話 新米講師の苦悩


中庭の芝生の上に、丸い板に赤い円が描かれた的が2つ並べられた。


そしてそこから離れること10メートル。

気をつけをした眼鏡の少年レレル、怠惰そうに立つ銀髪の少年カイルが対称的に並んでいる。


「はじめ――」


俺がそう声をかけると、二人が両手を前に出して魔力を込める。

二人の手のひらが発光し、直後、的からバチンという音がした。


音がしたのは右の的――、カイルの方だ。

水魔法を属性とするカイルの手のひらから放たれた水の弾は、的の中央を捉え綺麗にはじけた。衝撃で的がわずかに揺れている。

一方レレルの水魔法は的を揺らすことはなかったようだった。


「さすがだな、カイル」


「ふん」


俺が素直に称賛の言葉を贈るが、カイルは俺と目を合わせようとはしない。地面を見下ろし不満げに言う。


「だから言ってんだろ、てめえに教わる事なんざねえって。

的を狙うだけならここに来なくたって出来んだよ」


「まあそう言うと思って、お前にはダミアン様からメモを預かってるんだ」


「…………あん?」


俺がそう言うとカイルの眉がピクリと動き、横目だが目線をこちらにやる。

俺はポケットから紙を取り出して読み上げた。


「『カイル、君の水魔法の射出動作は見事だ。このまま反復練習を行えば、精度と威力はますます上がるだろう。だが強いて言えば、弾の数を増やすと一気に精度が落ちるのが欠点だな。さしあたって、次の授業までに【3つの水の弾を同時に違う的に当てること】を目標としてもらいたい。まあ君なら、少し練習すれば出来てしまうだろう』……」


「…………み、3つの的に同時に……」


「裏庭にカイル用の的を立ててある。今日はそれを使うといい」


「……ぁあったよ。言っとくが俺は俺でやる。ローレン、てめえは余計な邪魔しに来んじゃねえぞ」


「『P.S.――』」


「あ?」


「『ローレン先生への敬いを忘れず、言う事をよく聞くように』だそうだ」


「うぜえ! 死ね! 俺はてめえを先生とは思ってねえ!」


「分かった分かった、自主練頑張れよカイル」


「黙れ!!」


悪態をつきながらカイルは建物の角を折れた先、裏庭へと消えていった。

俺はその背中を見つめてため息をつく。すると俺とカイルのやり取りを見ていたレレルが駆け寄ってきた。


「せ、先生、あの」


「――ああ、すまんレレル。後回しにしてしまって」


「いえ、とんでもありません。え、えっと、ごめんなさい、魔法、あの、上手く出来ませんでした」


レレルがそう申し訳なそうに下唇を噛んで言う。

俺はその場にしゃがんでレレルに目線を合わせた。


「レレルはまだ魔法を前方に押し出すのが苦手か?」


「はい、いや、えっとあの、ごめんなさい」


「なにも謝る必要なんてない。

真面目なお前の事だ。前回言った通り練習はしてきたんだろう?」


「はい。一応、毎日先生の言った通りにイメージを反復してみてるんですけど、でも、なかなかうまくいかなくて」


「ふむ、うまくいかなくて……、か。じゃあ、そこのところを詳しく教えてくれないか」


「……く、詳しく?」


「毎日どういうイメージで練習をしたか、上手くいかないとはどういふうに上手くいかないのか。全く進歩がないのか、わずかでも変化があったか、それとも前よりもうまくいかなくなったか。そもそも上手くいかないというのはなんだ。レレルにとっての理想の水魔法はどんな状態だ? こればかりはレレルの感覚が頼りなんだが」


「え、え、え、えっと……!」


「――ああ、すまん。まくし立ててしまったか」


「いえ、先生の言ってること分かります! でもすぐには……、じゃ、じゃなくて、言葉で言うのが難しくて、ちょっと文字にまとめてもいいでしょうか! そしたら上手く伝えられる気がするんです!」


「それはいい考えだな。マドレーヌさんに紙とペンを借りてくるといい」


「はい!」


俺が微笑むとレレルはびしっと背筋を伸ばしてから、屋敷の方へ駆けて行った。

カイルが感覚派かつ天才気質なのに対し、レレルはまだまだ魔術が苦手のようだ。だが魔術に対する意欲は見て取れ、俺の言う事を懸命に飲み込もうと努力する。

なにかひとつ手がかりさえつかめば、ぐんと成長する予感を秘めていた。


「――ローレン先生!!」


「どわあっ、いて!」


俺がしゃがんだ体勢のままレレルの消えた方向を見ていると、背中からすごい勢いで突き飛ばされる。

声の主は当教室最年少の少女、ルフリーネである。


「もぉっ! ねえ、まだ!? ルフ、ずっと先生が来るの待ってるのに!!」


「……それは悪かったが、毎回呼び方が腕白すぎるんだよなあルフリーネは」


「わんぱくなくらいがちょうどいいって、おじいちゃんは褒めてくれるけどねえ!」


「……なあルフリーネ。もしかしてだが、おじいちゃんにもこんな感じでタックルしてないよな……?」


「してる!」


「それは本当に気を付けた方がいいぞ」


俺は飛び跳ねるルフリーネに手を引かれて中庭の端に向かう。

そこは芝生が途切れ、地面が顔を出している場所だ。

ルフリーネの魔法属性は土。ちなみにここに来るまで、俺が今まで目にしたことがある土魔法のはヨハンの許嫁であるフィオレットと、ダミアンの魔法のみだ。

ナラザリオ家で目にした書物にも水と風以外の魔法の記述は多くなく、俺にとってもまだまだ未知の魔法属性である。


「さて、じゃあいつものようにやってみようか」


「うん!」


俺とルフリーネは土の上にしゃがみ込み、額を突き合わせるように地面を見下ろす。魔法の発動を促すとルフリーネは両手を地面に押し当てる。そのまましばらく待つと、まるで地面の下にもぐらでもいるかのようにモコモコと地面が蠢き始めた。


「あは、きゃはははははっ」


ルフリーネはそれを受けて笑い声をあげた。手のひらがくすぐったいらしい。

俺は地面に動きがあった範囲の大きさを親指と小指を使って測る。


「――む、この前より魔法の届く範囲が大きくなってるな。もう俺の指じゃ足りない、物差しがいるぞ」


「ほんと? ルフ上手になってる?」


「そういうことだろう」


「あのねあのね、先生がこの前、同じ魔法を使うのでもいろいろなやり方をためしてみようって言ったでしょ?」


「ん? ああ、言ったな」


「ルフね、目をつむったらうまくいくことに気付いたの! 今もそうしてるの! 見て! ……あ! 先生が見えなくなっちゃった!」


「ほお……、目をつむったらか。

視覚情報を遮断することによってイメージに集中しやすくなるからか、それとも別の理由か……。そもそも土魔法の原理の解明は他の属性に比べておろそかになっているんだよな。フィオレットやダミアン様の土魔法が応用的なものだとしても、石や砂の粒などの魔素に干渉して振動を起こしている――、これが基礎の部分とみて間違いはなさそうか……?」


「先生が難しいひとりごとを言い始めた……。あ、そうだ今度はこれ見て」


「ん?」


「どーん!!」


ルフリーネがふと小さなこぶしを掲げたかと思うと、おもむろに地面めがけて振り下ろした。瞬間、周囲の地面が水のように波打ち、こぶし周辺の土がしぶきの様に跳ね上がる。


「ぶおっ!?」


そして俺の顔に直撃した。

地面に拳を付ける勢いを利用した土魔法の応用――、こんなことも出来るようになっていたのか。


顔面から土をかぶった俺を見てルフリーネがきゃっきゃと笑う。

もちろん当のルフリーネ自身も泥まみれだ。しかも彼女が着ているのはお高そうなひらひらの服。さっきまでいかにもお嬢様然としていたはずの彼女は、途端に幼稚園の砂場ではしゃぐ幼稚園児のような姿になってしまった。


「…………ルフリーネ」


「!」


俺が声を低くして名前を呼ぶと、笑っていたルフリーネがしゅばっと肩をすくめる。


「取り返しのつくうちに服を洗ってきなさい。……今すぐに」


「ひっ、あう、ごめんなさい~!」


ルフリーネは自分がやりすぎたことを悟ったのか、俊敏な動きで屋敷の中へと逃げ込んでいった。素直で明るくいい子なのだが、いかんせん年相応にお転婆なところがある。

俺は彼女の小さな背中を見ながら、やれやれとため息をついた。


まあ、汚れてもいい服で来なさいといってあるので、ジスレッティ家からすればいくらでも替えがあるのかもしれないが、この状態で家まで帰らせるのはなんとも誤解を招きそうである。

こういった部分は土魔法ゆえの弊害とも言える。気を付けなければなるまい。


「――さて、レレルはまだか。ということはあの気分屋さんを見つけなければならない訳だな……」


俺は腰を上げ、中庭を見渡した。

4人いたはずの生徒たちは散り散りになり、今や俺しかいない。

俺は中庭の茂みの中や、建物と塀の隙間などを覗き込んだ。なんだか猫でも探している気分になるが、過去にそこで眠りこけていた実例があるので彼女は侮れないのだ。


黒い長髪のいつも眠たげな少女、アメリジット。

欠かさずこの教室に通うところをみるとやる気がないわけではないのだろうが、いかんせん気まぐれで集中力が散漫になりがちなところがある。光魔法の出来もその日の気分や体調でムラが出る。調子がいい日はカイル顔負けの成果を出したりするので、集中力さえ養えば化けると、ダミアンも言っていた。

あと彼女はとてもよく寝る。場所や時間を問わずとてもよく寝る。

おそらく今も暇を持て余して寝心地のいい場所を見つけに行ったのだろうと思われた。


俺がそれらしい場所を順番に探していると、裏庭の方角から口論らしい声が聞こえてきた。


嫌な予感を得て、急ぎ足で声のする方向へ向かう。

すると案の定、そこには言い合いをしているカイルとアメリジットの姿があった。


「もう~! 信じられない! 服がびしょびしょじゃないのぉ!」


「はあ!? どう考えてもそんな所で昼寝してるほうが悪いだろ!」


「魔術の練習をする前に、周りに人がいるかどうか確認するのは常識でしょぉ?!」


「人が魔術をしているような場所に隠れて寝てんのは常識的なのかよ!」


「もぉ、せっかく人が気分良く寝てたのに……。謝ってよカイル!」


「だ、れ、が謝るか!! 謝るのはてめえのほうだろ、アホ女!」


「アホ女っていうほうがアホ女なのぉ!!」


「少なくとも女ではねえよ!?」


俺は遠くからしばらくその口論を眺めていたが、はっと我に返りあわてて止めに入る。


「おいおい、やめないか2人とも。およそケンカの原因は分かったが、それにしても言いすぎだぞ――――、うおあぶねっ」


駆け寄る途中で、水気でぬかるんだ足元にあやうくこけそうになる。

見ればカイルのために用意した的もずいぶんへこみが目立つようになっており、熱心な練習の跡が見て取れた。

その際の流れ弾が裏庭でまどろんでいたアメリジットに被弾した、ということなのだろうが、きっとカイルに悪意はなかったろう。


だからお互いが一度謝れば丸く収まるはずなのに……、


「おい! このアホ女連れてけよローレン! うるせえし邪魔だ!」


「ちょっと、先生ぇ! 私が気持ちよく寝てたら、このバカが水浸しにしてきたの! どう思う? ひどくなぁい? 絶対私悪くないよねぇ!」


「いいか、とりあえず冷静になれ2人とも。お互いに言い分があるのは分かるが、少なくともバカだのアホだのはただの悪口だぞ。まずはお互いに謝ってだな」


「え! 私悪いことしてないわぁ!? まあ百歩譲ってカイルが謝ったら考えてあげなくもないけどぉ」


「はあああああ?! なんで俺が先に謝らなきゃいけねえんだよ!! 俺はダミアンの言いつけどおりちゃんと練習してたんだぞ!」


「私だってローレン先生を待ってて休憩してただけだもん!」


「じゃあローレン、結局てめえが悪いじゃねえか! 生徒のお守も出来ずに教師名乗ってんじゃねえよ!」


「そうよ! 私のために安心してお昼寝できる場所を確保してよぉ!」


「やばい、矛先が俺に向き始めた」


俺が熱のおさまらない2人の剣幕にたじろいでいるところへ、背後から新たな声がする。


「ローレン先生! 着替えた!! 着替えてきたよ!! ルフ偉い~?」


「せ、先生、まとまりました。読んでみていただけますでしょうか」


「――ん、あっ! だめだ、ルフリーネ!! 走ってくるな!!」


「あぇっ!?」


特大の嫌な予感がし、駆け寄ってくる2人にあわてて叫ぶが間に合わない。

振り返った時にはすでに、服の汚れを落としたばかりのルフリーネが、ぬかるんだ地面に足を奪われすでに宙を滑空し始めていた。


このままでは頭からぬかるみに突っ込んでしまう。

俺は急転換してルフリーネと地面の間に体を滑り込ませた。


どしゃあ――! 


という音とともにあばらに鈍い痛みが走る。そして全身を包むどぅるどぅるとしたいやな感触。幸い身を呈したスライディングで最悪の事態は回避したかに思えたルフリーネだったが、衝撃に驚いて声をあげて泣き始める。


「あぐ、ああああああああ、こわかったあああ、せんせええええええ」


「…………う、わ、わかった。とりあえず一度どいて……」


「――ああ!!」


俺のうめくような声を遮るように、悲鳴を上げたのはレレルだ。


「せ、せ、せっかく書いた紙が泥まみれになっちゃった!! どどどどど、どうしよう……!!」


背後からは引き続きケンカをする二人の声が聞こえる。


「早く謝りなさいよ、カイル! 先生が泥まみれになっちゃったじゃないのぉ!」


「いやこれは俺のせいじゃねえだろ!?」


「…………」


泥に埋まる俺は、阿鼻叫喚の様相にもはや起き上がる気力がわかない。

するとガラガラッとすぐ横の窓が開かれる音がし、少し笑いを堪えたような声が掛けられる。


「あらあら、楽しそうですわね。ローレン先生」


俺は答えた。


「………………………………はい、とても……」

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