第24話 大きすぎる力


「――――――――――は?」


目の前の光景の理解が出来ない。

頭上に浮かび大きくゆっくりと回転しているのは、湖の水を丸ごと浮かべたあまりに大きすぎる水の球。


ぽっかりと大きな穴をあけた湖だった場所には、驚いて跳ねる魚が見える。


「――――」


言葉が出ない。

顎が外れるかと言うほどあんぐりと口を開けた俺は、思わず杖を手からこぼしてしまった。


するとその動きに連動するように浮かんでいた水の塊が支えを失って、あるべき場所に落ちていく。


轟音が森の中に響いた。

その衝撃で大地が大きく揺れ、津波の様な水しぶきが起こり、森の鳥たちが一斉に空へと飛び立った。水しぶきから逃れるように森の方へ駆けるが、当然間に合うはずもなく頭から水をかぶってしまう。


俺たち三人は目線を交わし、とにかくすぐに屋敷へ帰ろうという事になった。



果たしてこれがきっかけだったかは分からないが、ずっと機嫌が悪かった空模様はいよいよ色を濃くし、俺たちが帰り路を上る頃には、パラパラと小さな雨粒をこぼし始めたのだった。





もう少し俺の性格が違えば、この事に喜んでいたのかもしれない。


すごい――。俺ってもしかして、最強になっちゃったんじゃね――? これでもう二度と、俺の事をろくでなしなんて呼べる奴はいないぞ――。

そんな風に。


しかし、残念ながら俺はそういうタイプではなかった。


思わず思ってしまったのだ。

思わずにはいられなかったのである。


せっかく手に入れた自分のこの力を、


怖い、と。





「どどどど、どうされたのですか!!??」


びしょ濡れのまま屋敷へ着いた俺とダミアンたちを、カーラの驚きの声が迎えた。


「……ちょっとな……」


「た、確かに雨が降ってきたとは思ってましたが、いくらなんでもずぶ濡れすぎでは!?」


「とりあえず風邪をひきそうなんだ、着替えさせてくれ。ダミアン様たちの分の毛布も頼む」


「わ、分かりまひりました!!」


初めて聞く返事をしながら、屋敷の奥へカーラが駆けていく。

俺は振り返り、改めてダミアンとマドレーヌに頭を下げた。


「本当にすみません。今日この後お帰りになるという所だったのに、こんなことになってしまって」


するとダミアンは、何を馬鹿なと言う表情で首を振った。


「謝るのは君ではない。私たちが同行を希望し、湖で魔法を使うようにせがんだんじゃないか。だから謝るのは私の方だ。心底驚かされたのは事実だが……」


そうフォローをしてくれるダミアンの表情も、行きの表情と比べるとさすがに固い。王都最高の魔術師にそんな顔をさせるほど、さっきの一件は常識の埒外だったのである。帰り道も明らかに言葉数は少なかった。


「ともかく着替えさせていただきましょう。

ダミアン様はさておき、ロニー様と私が風邪を引いてしまいますわ」


「なあ、なぜ自分の主人をさておいた……?」


玄関先でそんなやり取りをしていると、カーラが他の使用人たちを連れてすぐに帰ってくる。山の様なタオルをかぶせられ、ダミアンたちは奥へと連れていかれた。


「ロニー様もこちらへ」


俺を風呂に案内したのはカーラではなく、今まで顔を見た事しかないメイドだった。


彼女は俺の頭を丁寧に拭き、上着を脱がして熱い湯を用意する。

まるで急に貴族の息子にでもなったみたいだと思ったら、俺は貴族の息子だった。


「扉の外におりますので、またお声がけください」


「あ、ああ、分かった」


そう返事をした所で、ふと足元に転がる陶器の破片の様な物が視界に入る。

退出しかけたメイドは俺の視線の意味に気付き、流れるような動作でそれを拾いあげる。


「失礼しました。先ほどカーラに掃除をさせたのですが……、後で叱っておきます」


「いやいや、やめてあげてくれ……。花瓶でも割れたのか?」


「ええ、先ほど大きな地震がございましたので、その時に物がいくつか落ちたのでございます」


「地震……」


「お気づきになられませんでしたか?」


「そうか、この屋敷まで揺れたのか……」


メイドの言う地震が、湖での一件であることは明白。自分が為したことの影響の大きさを改めて痛感させられた。


「とにかくカーラにはよく言い聞かせます。ロニー様が怪我をするところだった、と」


「いい、いい。最近のあいつは、巡り巡って俺に文句を言ってきかねないきらいがあるしな」


とにもかくにも俺は風呂に入り、冷えた体を温めた。

湯船に首まで浸し、起こった事を思い出す。


ついさっきの現象は、控えめに言っても一度目の魔法の暴走の時と規模の大きさが違う。空気中に水を生み出すことと、既にある水の魔素に働きかけるのでは勝手が違うのかもしれない。杖の樹皮を取ったことによって魔力の流れ方がまた変わったのかもしれない。あの湖近辺に魔力が満ちていることもあったんだろう。


――だとしても、王都最高魔術師が言葉を失うほどには【あれ】は異常だった。

いや、異常でなくてはおかしい。

もはや魔法とか物理法則の枠に収まっていい現象ではないじゃないか。誰がどう見たってそんな可愛いものじゃない。


【天災】だ、あれは。


俺はどうしようもなくざわつく胸元を掻きむしった。

駄目だ。今はとても冷静になれそうにない。

しばらく魔法を使う事も控えた方がいいかもしれない。


そうだ、ダミアンを見送ったらセイリュウの所に行こう。

あいつなら今回の事を客観的に判じてくれるに違いない。


それを思いつくと、少しだけ心が軽くなったのを感じた。





自分の部屋に戻って新しい服に着替えた俺は、窓の外を見て落胆の息を吐いた。


「雨が強まってきたな……」


外はいつの間にか土砂降り。

帰るのがもう少し遅ければ、あの一件がなくてもずぶ濡れになっていたようである。


「朝食でございます」


「……ああ、ありがとう」


先ほどのメイドがトレイに乗せられた朝食を部屋へ運んでくる。俺は受け取った皿からサンドイッチをつまみ一口かじるが、あまり食欲が湧かず、すぐに皿に置いてしまった。


「雲の色がひどく濃いので、しばらくは雨が続くかと思われます」


出来れば今日のうちに顔を出したいと思っていたが、さすがにこの雨の中を祠まで行くのは大変だし、今や使用人にも見咎められてしまうだろう。

少なくとも今日は諦めた方がよさそうだ。


朝食を何とか食べ終え部屋で窓の外を眺めていると、ドアがノックされた。

さっきのメイドとはまた別の男の使用人だった。


「ダミアン様がお発ちになられるそうでございます」


「ああ、もうそんな時間か」


俺が部屋を出て階段を降りると、ちょうどヨハンと対面する。


「あ、兄様。朝ごはんの時いなかったけどどうしたの?」


「――、ちょっとな」


「ふうん?」


さすがに今朝起こった事を話す気にはならず、俺は曖昧な返事をするに留めた。ヨハンは不思議そうな顔をしていたが、それ以上は聞いては来なかった。


玄関につくと、すぐ目の前に馬車がつけられダミアンとマドレーヌが立っているのが見えた。ドーソンやエリアと既に言葉を交わしているようだ。

俺たち家族は一列に横並びになった。


「改めまして、この度はこのような辺境までご足労頂き、誠に感謝の念に堪えません。特に息子たちにとっては、非常によい学びの機会となった事と思います」


「よい出会いとなったことを私も嬉しく思います。ロニーとヨハンについては……、いえ、この子たちなら何も心配せずとも勝手に名前が耳に入ってくることでしょう。王都でその日を心待ちにするとしますよ」


ダミアンはそう微笑み、俺とヨハンに小さくウインクをした。


「さて、予定外に滞在が伸びてしまったこともありますので、早く王都に戻らなければ」


「足元が悪いのでくれぐれもお気をつけて」


「ありがとうございます」


彼女は可愛らしく微笑み、マドレーヌと共に馬車に乗って雨の中へと姿を消していった。

馬車が見えなくなったところで、隣のヨハンが小さく俺に呟いた。


「……なんか、意外とあっさりしてたね」


「まあ、急いでいるという話だったからな」


「そか」


そうは言ったものの、もう少し何か言われるかと思っていたのは確かだ。

朝の湖の一件をすこし過敏に考えすぎていたのだろうか――? と考えながら、俺は自室の扉を開いた。

すると、


「やあ、ロニー。さっきぶりだな」


つい数分前に見送ったばかりのダミアンが、窓枠に足をかけてこちらを見ていた。


俺は慌てて廊下に誰もいないことを確認し扉に鍵を閉めた。

なんだか反射的にそうしなければと思ったのだ。


「な、なな、なんでここにいるんですか……!?」


「はっはっは、驚いたか?」


「驚くでしょ、そりゃあ……!」


「帰る前に君と二人で話をしたかったのだがどうにもその機会がなくてな、こんな方法になってしまった。許せ」


ダミアンは窓枠に器用に腰かけると頷く。

ここ一応三階なんだけども、と思うが、他の驚きポイントの方が勝っているのでスルーせざるを得ない。


「馬車を待たせているので手短に話そう。話と言うのは君の魔力についてだ」


「それは、つまり……、朝の湖の件ですか?」


「より正確には昨日の手合わせの件も含めて、だがな」


ダミアンはそう言って、両手で同じような指の輪っかを作って見せた。


「魔力の及ぶ範囲は魔力量に比例する。まそれは皆が知るところだが、問題は、君の場合その魔力の及ぶ範囲が化け物級だという点だ。あの湖がさして大きくはないと言っても、外周2㎞ほどはあったろう? つまり君の魔力の及ぶ範囲が、その規模だという事になる。

これがどれだけすごいか……。魔力量には自信があった私も、せいぜい100mが限界だと言えば少しは分かるだろうか?」


ダミアンは特に俺の返答を待つ様子もなく、淡々と事実を述べる。


「あの場所に魔力が満ちていたことを考慮しても、君の力の大きさは否定しようがない。魔法を向ける先を気を付けなければ、今後どのような事が起こりうるか私にも分からない」


「――――」


俺は苦い唾を飲み込んだ。

それは既にセイリュウに言われたことでもある。

俺の力は、人を殺すことだってできると。


ダミアンは薄く微笑んだ。


「そう深刻そうな顔をするな。私は君を脅かそうと思ってこんなことを言っているのではないんだ。これはあくまで一応の為の忠告なんだから」


「そ、そうは言っても」


「今朝の一件に浮かれたりせず、真剣に受け止めている事に私はむしろ好感を持つよ。あれだけの魔力が目覚めたのが君でよかったと思う。そこらへんの馬鹿だったら何をしでかすか分からないがその心配もないだろう。仕事柄、人を見る目はある方でね」


気休めにも聞こえたが、少なくとも俺の目にはそれが無理に嘘を言っている風には見えなかった。ダミアンは続けて、人差し指を立てる。


「これで君を安心させられるかは分からないが、ひとつ考慮すべきなのは、今朝のあれは16年間ためた魔力分をごっそり消費したものなのではないかと言う点だ。君の中に溜まった魔力があるという意見については私も同意するが、あれほどの規模の魔法を乱発すればいくら君と言えど早々に貯蓄分が底をついてしまと思う」


「――――あ」


そこで俺は、確かにその事を失念していたことに気付いた。

魔法が人間側の魔力量に比例するなら、その分の魔力が俺の中から消費されたという事だ。


「な、なるほど」


「な? そう言う意味でも、私は驚きはしたが大きく心配はしていないんだ。あれはまだ力が発現したばかりの君の【魔力の暴発】ともいえるもので、調節さえ出来れば今朝のようなことは起こらないはずだ」


ダミアンの意見は、俺にとっても腑に落ちるものだった。

魔力がたまる仕組みをダムに見立てて考えれば、要は『放水バルブの回し加減』の問題。たまった水の量が多いとは言っても限界はあるし、バルブを閉めれば事故にはならないのだと。


「まあ、有している力を正しく自覚した上で、気を付けてくれ給えということだな」


「そ、そう言われて少し気が軽くなりました、ありがとうございます。しかし、それを忠告するためにわざわざ戻ってきてくれたんですか?」


「いや、これはあくまで確認だ。おせっかいの部分だな。本題は別にある」


「?」


先の忠告以外に何かあるのだろうかと不思議に思う俺を、ダミアンは真剣なまなざしで、一呼吸おいてからこう言った。



「ロニー。

君は、王都へ来る気はないか?」



俺は一瞬何を言われたのか分からず、思わず聞き返す。


「…………な、何ですって?」


「もっと正確に言えば、私の元に来る気はないか、だな」


「いや、だからえっと、どういう意味ですか? 俺が王都へ? 何をしに」


狼狽える俺を見て、ダミアンは窓際の机の上に目を落とした。


「無論これだよ」


そう言って机の上の紙の束を手に取る。

俺の一か月の研究成果『魔法物理学基礎』がまとめられたものだ。


「昨日の食事の席でも簡単に話を聞いたが、君の魔法の研究は実に面白い。いや、極めて新しいんだ。精霊が与えたもうた魔法の力に、こんな角度から研究に取り組んだ者を私は他に知らない」


ダミアンはそう言いながら、パラパラと紙をめくる。


「無論、これをよく思わない者もいるだろうが、それでも実際未知の魔法を発見せしめているわけだし、君の研究が魔術の発展に大きく役立つことは疑いようがないと私は思う。この才能を埋もれさせておくのは国家の損失だ」


「つ、つまり、王都で魔法の研究をしないかということですか……?」


「そうだ。資料の数や研究の環境を鑑みても、王都の方がなにかと都合がいいはずだ。とやかく言うやつは私が黙らせると約束しよう」


「――――」


俺はすぐに言葉が出なかった。

今後、魔法の研究を長い目で続けるつもりだったことは確かだが、王都へ行くという発想は思いつきもしていなかったからである。


回り切らない頭でも気づく。

もしかして今俺は、人生での重要な決断を求められているのではないか、と。


「はっは。まあ、すぐに答えが出るものではないだろうな。だが君が是と言えば、すぐにでも話を進める準備をしておこう。詳しくは王都についてから手紙を書くから、それを見てくれ。じゃあな、ロニー」


「――――え、えっ?」


ダミアンはそう提案だけ言い残し、俺の返答を待たずに窓枠を蹴って姿を消してしまった。慌てて窓の下を見下ろすも、すでにそこに姿はない。


まさしく風のように現れ、風のように消えてしまった。


「ええ…………?」


一人部屋に残された俺は、ダミアンからの話を何度も何度も脳内で反芻するのだった。

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