第18話 予期せぬ覚醒


氷魔法――。


以前の世界の創作物では当たり前に登場していたポピュラーな魔法だが、この世界には存在しない魔法である。


冬に池が凍ったり降る雪が溶けるのを見れば、この世界の人々も水が凍る現象を知らないわけではないはずだ。

しかしそれは魔法と無関係のものであり、「考えるに値しない当たり前の事」と捉えている多くの物事の一つらしかった。


この世界に続く魔法文化の中で、いまだ氷魔法が発見されていないことを考えれば、試行錯誤した結果、不可能だった事なのかもしれない。

だが、魔法も物理法則の延長上にあるという科学的見地に基づけば、実現可能なものであると俺は確信していた。だからこそ俺はヨハンにこの考えを明かしたのである。



結論から言えば、氷魔法は発現しなかった。



しかし、俺の確信は深まった。

氷魔法は実現可能だ。まだ時間がかかるというだけである。





俺は中庭の芝生に寝転がり、空を見上げていた。

部屋にこもりっきりだった体に昼下がりの日光がしみ込んで、疲れが浄化されていく。手には何となく持ってきたプテリュクスの枝がある。


木を刈り込む庭師や中庭を通り過ぎる使用人の姿がちらほらと映るが、例のごとく俺に話しかけることはない。ちらちらと横目で見てすぐに目をそらすだけだ。


俺は本来、こうした人目に付く場所に降りてくることを好まなかった。

だけれど、相手がせっかく見て見ぬふりをしているのに、こちらが気を遣うのはばかばかしいと最近気付いたのだ。もともと自分の家の中庭で寝転んで責められる言われもない。


「…………」


目を閉じれば全身にゆっくりと眠気が降りてくる。

だが寝ようと思っても瞼の裏に浮かぶのは、先ほどまで自室で行っていた実験の事だ。



『何故、水魔法は氷にならなかったのか』



実験自体は、ヨハンの魔力切れという形で終わった。

元々の魔法の発現時間には限界があり、慣れないことをさせたせいでそれに拍車がかかったようだ。色々と予想された実験結果のうち、最も可能性の高かった帰着といえる。


そもそも実験には失敗がつきものなのだ。一発で上手くいくことなどごく稀である。

それに今回の実験も、望む結果に至らなかっただけでちゃんと【収穫】はあったのだ――。


水は氷にこそならなかったものの、かすかな温度の低下が見られた。

体感だが常温より数度(5℃)ほど水温が下がったのである。つまり分子の動きを抑えたことにより温度が下がるという理論自体は的外れではなかった。

ただ、下がった温度幅はわずかで、その後10分ほど続けてもそれ以上水温が下がることはなかった。


ヨハン曰く、どうしてもうまくイメージが出来ないのだそうだ。


「魔法が人のイメージに影響を受けることは間違いない。回転するボールがイメージしやすいのに比べて、無数の粒の動きを止めるというのがイメージしにくいというのは分かる話だ……。ならば試行回数が問題なのか、それとも脳内のイメージと魔法の関係性について先に研究を進めた方がいいのか……」


俺はプテリュクスの枝をくるくるとまわしながら独り言をつぶやく。


「ロニー様?」


「……………………、ん?」


ふと自分を呼ぶ声があったことに気付き、閉じていた瞼を開ける。

そこには不思議そうに俺をのぞき込むカーラの姿があった。


「め、珍しいですね。こんな所でお休みなんて」


俺は身体を起こして応える。


「ああ、少し考え事をな。気分転換を兼ねて外に降りてきてみた」


「最近はまたずっとお部屋にこもられてましたからね。少しはお外に出られた方がいいと、カーラも思います。ま、またピクニックなどもいいと思いますよ。お弁当などを持って」


「そうだな、それはいい。カーラにはその間、俺の部屋の掃除でも頼むとしよう」


「む、むぐぐぅ……!」


俺が少し意地悪を言うと、カーラは悔しそうに唇をかむ。

そのしぐさに俺は思わず吹き出した。


「カーラは何か用事中か?」


「あ、はい。ちょっと裏庭の倉庫に探し物に行けと言われまして」


「そうか。お疲れ様」


「と、と、とんでもないことでございます……。で、では、急ぐように言われておりますので……」


カーラはそうぎこちない会釈をすると裏庭の方向へ足へ向けた。

その背中を目線で見送りかけて、俺はふと思い出したことがあり呼び止める。


「そうだ、カーラ」


「は、は、はゎい?」


「カーラはそう言えば、どんな魔法が使えるんだっけ?」


「カ、カーラですか? 私はそれほど魔法が得意ではないのですが……、あ」


そこまで言って俺が魔法を一切使えないことを思い出したのだろう、口を手で押さえるカーラ。俺はその事に気付いていない振りをしてその先を促す。


「カーラが使えるのは、風魔法です。つむじ風を起こす程度ですけど」


「これだけ魔法の研究云々言っておきながら、カーラの属性を聞くのはそういえば初めてだったな」


「そ、そうですね。ロニー様がご興味があるのは水魔法だけなのだと思い、特に言わなかったのですが……。それに風魔法ならヨハン様の方がお得意ですし」


「なるほど」


風魔法についてはヨハンとも多くを語っている訳ではない。

マルドゥークとの手合わせの際に目の当たりにしたものの、その段階であまりにも検証できる要素が少なかったので、見る目にも分かりやすい水魔法を優先したのだ。


だが、水魔法の研究に一区切りがついた今、他の属性に目を向けてもいいタイミングなのかもしれなかった。俺はそう思い、カーラを見上げて尋ねる。


「ちょっと見せてもらってもいいか?」


「えっ、今、ここでです?」


カーラは驚いた様子で、辺りを軽く見回した。


「ああ、軽くでいいんだ」


「は、はあ、カーラの魔法なんかが参考になるかは分かりませんが……」


ともあれカーラは一呼吸おいて、手のまっすぐにのばすと魔力を込めた。

手のひらから少し先の空間が淡く発光し、小さな音が聞こえるほどの風が巻き起こる。宙を飛んでいた虫がそれに煽られて体勢を崩した。


「こ、こんなもので、よろしいでしょうか」


「……ふうむ。魔素というものを仮定した今だと、前ほど不思議に見えなくなっているものだな。むしろ水魔法よりも単純……、空気中の魔素に干渉してそれを動かせば風は起こるはず、か」


「ま、まそ……?」


「なあ、カーラ。風魔法を使う時、どんな風にイメージしてる?」


「イメージ、とは?」


「風を起こす時に頭の中でどういう映像が浮かんでいるか知りたいんだ。さすがに何も考えていないってことはないだろう?」


「なんというか、ほぼ無意識で、何も考えていないに近いと思うのですが……」


そう言いながらカーラは、手元で風魔法を再現する。

そして少し考えた後に言った。


「手のひらから風が飛び出してくるようなイメージでしょうか……。おそらく、他の方も同じような感じだと」


「そのままだな」


「そ、そのままですよ? 世の中にはもっとすごい方もいらっしゃると思いますが、少なくともカーラにはこれが限界です」


とりあえず一番初めに想定していた温度変化による風邪の発生ではないことは確かだ。魔素を操作していること自体は水魔法と同じ。水を生み出すステップがない分、原理はシンプルなのかもしれない。問題は、現象がシンプルな分、観測が難しいという点か。魔素を前方に押し出しさえすれば風が起こるのか、それとも水魔法のように別の何かに働きかけて、結果として風が生じているのか――。


「えーと、ロ、ロニー様。カーラはいつまでこうしていればよろしいんでしょうか……?」


カーラが心配そうな表情で俺の名前を呼ぶ。


「ああ、すまん。ありがとう、参考になった」


俺が慌ててそう言うと、カーラは安堵の吐息を漏らした。


「よろしければもうカーラは行きますが、ロニー様はまだしばらくここに?」


「ああ、考え事がもう少しでまとまりそうなんだ」


「そうですか、まだ何かご用事があれば仰って下さい」


遠ざかっていくカーラを横目で見ながら、俺は再び芝生に寝転んだ。


とにかく、風魔法についての研究も並行して行うとして、目下の目標はやはり水魔法の研究をさらに進めることか。あまり気を急いてもいけない。さっきは魔力切れまで魔法を使わせてしまったから、またヨハンが万全な状態の時に研究を進めるべきだろう。

――こうなると、俺が魔法を使えない事の弊害を改めて感じる。人に頼まなければ現象を再現できないという不便さは、いかんともしがたい。


ヨハンとまではいかなくても、せめて些細な魔法でも使えれば……。


俺はそう考えながら、脳内のイメージのままに手を空に向ける。

手にはプテリュクスの枝。目の前には開けた中庭がある。









次の瞬間だった。


ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン、という轟音、いや、爆音が起こり、空からプールをひっくり返したような水が降ってきたのだ。


中庭は瞬く間に水浸しになり、その余波は俺にも及んだ。


「――――ッ!?」


俺は何が起こったのか分からない。

かーれが目を丸くしながら駆けて戻ってきた。


「ロ、ロ、ロ、ロ、ロニー様、い、い、い、い、今のは……!?」


「わ、わ、わ、わ、分からん。何が起こったんだ!?」


「ロニー様が魔法を使われたように、カーラには見えたのですが……!」


「馬鹿を言うな! 俺にこんなことできるわけないだろう! カーラがやったんじゃないのか?」


「水魔法は使えませんよぉ! それにしても、この考えられない水の量は一体……!?」


水しぶきでずぶぬれになった俺とカーラは、改めて中庭を見た。しかし大きな水たまりだけを残し、すっかり何事もなかったかのようだ。

空を見上げる。しかしもちろん、雨粒一つ落ちてきそうにない快晴だった。


だとすれば、これは………………。


と、今の現象に思案を巡らせかけた俺をカーラがつつく。


「あ、あ、人が集まってきました。ロニー様、さっぱりわけがわかりませんが、とにかくここにいるのは、あまりよくないように思います……!」


カーラが指さす方向を見れば、言った通り異変に気付いた使用人たちが騒ぎながらこちらへ来ていた。


「そうだな! 後ろめたい所など一つもないが、一旦ここは退散しておこう。服も濡れたことだし!」


「そうですね! カーラも用事を頼まれていたので!」


「ああ!!」





俺は服を着替え終えた後も、原因不明の動悸に襲われて落ち着かなかった。

屋敷の廊下から中庭を見下ろせば、もうすっかり水は乾いてしまっている。


つまり、あれは異常気象などではなく、間違いなく魔法によるものだったということだ。

俺はベッドの端に座り、着替える間もずっと手に握りしめていた枝を見つめた。


いくら思い出しても、いくら他の選択肢をあげてみても、自分が魔法を使ったのだという答えが存在感を際限なく増していく。


「俺が、魔法を……?」


胸に去来する言い表しようのない感情に、俺は目をつむった。

まだ証明されたわけではない。怖くて確認もできていない。だけれど心がざわついて仕方がない。


俺は瞼を開き、あの精霊の元をすぐに訪ねなければならないと決めたのだった。

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