第15話 プテリュクス湖


「な、な、何をされてるのですか!?」


ルノルガの工芸品店を出た後、ヨハンに手を引かれるままに街を散策していた俺たちは、背後からかけられる声に振り向いた。


「誰かと思えばカーラじゃないか、何してる」


「だから、それを私が聞いているのですよっ!」


「この前依頼したものを受け取りに来たんだ。ほら、このかばんに入ってる」


「あ、あのよく分からない絵のやつ、無事完成したのです? それはよかったですねえ。

じゃなくて、ヨハン様!」


カーラは一瞬顔を綻ばせた後、はっと眉根を寄せて俺の背後に隠れるヨハンを指さした。


「先輩方が探しておられましたよ! 安静にしていなければいけないのにと!」


「やっべ」


俺を盾にするヨハンはそう言いながら、さっき買ったフライドチキン風の食べ物を頬張っている。現行犯逮捕である。


「カーラ、僕を探しに来たの? じゃあ他の人も探しに来てるのかな?」


「ああ、いえ、カーラは初めてお使いを任されている最中なのですが」


カーラはそう言って手元からメモを取り出した。

ようやくカーラもお使いを任されるようになったのらしい。もしかすると、この前俺と来た朝市の件がきっかけかもしれない。


「なんだ、ならよかった。じゃあごめんけど何も見なかったことにしといて」


「だ、だ、だめですよ! そんな訳にはまいりません、カーラが怒られてしまいます」


「なんで? カーラは街に買い物に来たんでしょ? なら、買い物だけ済ませて帰れば誰にも怒られないじゃない」


「………あ。それもそうです? ね? ん? 本当に?」


「カーラ、それで納得しかけちゃ駄目だと思うぞ」


顎を摘まんで唸るカーラに、俺は目を細める。


「だから言ったじゃないかヨハン。まだ外出するのはまずいんじゃないかって。俺は責任を負わないとも言ったからな?」


「言ったじゃん。バレなきゃいいって」


「今バレたんだよ、今」


「大丈夫だよ、見てて簡単に買収できるから。はい、カーラ。これで見逃してくれない?」


そう言ってヨハンは手に持っていたフライドチキンを手渡す。カーラは一瞬抗おうとするものの、秒で誘惑に負けたらしく、受け取ったフライドチキンにかぶりついた。


「もぐもぐ。……………………今回だけでふよ」


「ほら、チョロい」


俺は二人のやり取りに頭を抱えた。



「ゴクン。カーラは見逃して差し上げますが、帰ったら怒られるのは間違いありませんよヨハン様」


「別にいいよ、怒られるのなんて。連れ戻されさえしなければ別に」


「その今さえ楽しければそれでいいみたいな考え方、あまりよくないと思うなあ?」


「人生は今の連続なんだよ、兄様。今が楽しければ永遠に楽しいんだ」


「お前その人生観誰に教わった?」


弟がいつか人生の階段を盛大に踏み外しそうな予感に身震いしている所へ、骨についた肉まで食べ切ったカーラが尋ねてくる。


「それで、屋敷にはもう少ししたらお帰り頂けるのですよね?」


「んーん、まだ帰らないよ? 森の方に行きたいんだよね、兄様?」


「うむ」


「も、森の方?」


予想外の行き先にカーラが思わず聞き返す。


「まあ森の方とは言ってもそう遠くはない。プテリュクス湖に行きたいんだ」


「ありますね、湖。しかしどうしてそんなところに用事が……?」


「あれだよ、最近の兄様のよく分からないやつ。なんかまた必要なものがあるんだって」


「またあれですか」


ヨハンとカーラがため息をつきながら目線を交わし合っているが、反論できない。

2人には、俺の研究活動にすでに随分手を貸してもらっている。


「よければカーラも来る? 3人の方が楽しいよ?」


「はぇ?! だ、だめですよ! カーラにはお買い物があるんですから!」


「買い物にも付き合うよ。ねえ、兄様」


「ん? うん、別に構わんが」


「いやいや、遅くなったらむしろカーラが怒られてしまうじゃないですか!」


「んん、まあ、それもそっか」


ヨハンはそれを聞いて一旦納得した風に頷く。

しかしとぼけた顔で俺を見上げて尋ねた。


「兄様、森の方に行くんならお昼ごはん買ってピクニックってのもありだよね」


「長居をするつもりはなかったがそれもいいな。ただ付き合わせるのも悪いし」


「やった。なんだか兄様羽振りがいいみたいだし、たくさん買ってこうね」


「ピ、ピクニック?」


食べ物の気配にピクつくカーラ。


「そうそう、サンドイッチとかデザートとか買ってさあ」


「…………カーラも行きます」


小さな声が聞こえた。見ればカーラがもじもじと俯いている。


「なんだって?」


「カ、カーラも、お供します……。よ、よく考えると、お二方だけで森に行かせるというのは、使用人として、あるまじきことでして、その」


それを聞いてヨハンが指を鳴らして、ニヤリと笑った。


そういう訳で、知れば知るほど心配になる新米メイド(欲望に忠実)を連れ、俺たちはプテリュクス湖を目指すことになったのだった。





『プテリュクス湖』というのは、屋敷から見て南にあるこの街――、の更に南東にある湖だ。森林の中にぽつんと存在する外周2キロ程度の小さな湖だが、領民からの認知度は意外に高い。


この湖には不思議な逸話があるからである。


【ある所に一人の王子がいた。

王子は原因不明の病にかかっており、医者から余命が長くないと宣告されていた。

そんなある日、ふと気休めに立ち寄った湖で、王子は妙に自分の体が軽いことに気付く。病で重かったからだが、嘘のように軽快なのだ。

そこでしばらく身を休めた王子は、その後本当に病から回復し、優秀な魔術師としても名を残すほどになった――】


という、まあよくある類のものである。

この土地に住む者ならどこかの機会に耳にする昔話だが、実際の湖には石碑が立っている訳でも看板が立っているわけでもない。

丘の祠と言い、観光に対する意識が低すぎるのではないかと苦言を呈したくもなるが、元々が大して面白い逸話でもないし、その王子様の名前なども残っているわけではないのでどうしようもない。


まあ今回足を運んだ理由が、例の祠に住む精霊に言われての事であったりするのだが。



『あの湖のそばに生えてる樹の枝を一本持ってこい』



それがセイリュウが俺に耳打ちをした内容だった。

理由は聞かなかったが、流れから察するに魔法と何らかの関係があるのだろうと思われる。


実際に現地に行けば何か分かるだろうか、そう思いながら俺は薄暗い森の中の道を進んだ。踏みならされた道はあるもののやけに草木が生い茂り、油断すると道を外れてしまいそうになる。すると、


「あったよ、兄様!」


「ピ、ピクニックにちょうど良さそうな場所もあります……!」


前方からそんな声が聞こえてきた。

俺が顔を上げると、眼前にひらけた湖が姿を見せていた。

湖面が光を受けてきらめき、ほとりには寝転んでくださいと言わんばかりに背丈の低い草が生えている。鼻先を緑の匂いを含んだ風がなでた。


「おお、こんなに気持ちのいい場所だったか」


湖の水も透明に澄み、小さな魚が水際を泳ぐのが見える。王子様でなくても腰を下ろしたくなるだろう。


「兄様、ここ! ここ!」


芝生に転がったヨハンが地面を叩いて座るように促す。


「ロニー様、ご飯をたべましょう! さあさあ!」


ヨハンからフライドチキンで買収されたメイドも布を敷いて正座し、体を揺らしていた。

俺は露店で新たに買った昼食を、広げた布に置く。


「先に食べていてくれ。荷物もいったんここに置いておく。厳重に包んだとは言っても割れ物だから気を付けてな」


「兄様は?」


「少し森を見てくる。すぐ戻る」


「「はぁい」」


何の木の枝とは言われなかったが、なんでもいいのだろうか?

と思いながら、俺は道から草木の茂るやや奥まった方へ進む。


「いや、この周りに生えてる樹は同じ種類ばかりなんだな。なんという樹かは知らないが……、ふむ、少なくとも屋敷の周りでは見ない気がする」


俺は一つの樹の幹をぺしぺしとたたく。

白と灰色が折混ざったような色合いの太い幹と高い背の枝。ブナの木に似ているが、葉が大きく、くるんと湾曲したような形になっているのが特徴的だ。


「これの枝をもっていけばいいのか? 改めて妙な注文だな」


足元に落ちている手頃な枝を拾い上げる。

大きさなど詳細の指定が無かったので、細長いものから少し太めの物まで数種類拾っておいた。これで文句を言われたら枝ではたいてやろうと思う。


「とりあえずこれでいいか。あとはあいつらの気が済むまでピクニックに付き合ってやるとしよう。本音を言えば、せっかくの実験器具を早く使い――……」


ふと、俺の目の前を一枚の木の葉が舞い落ちていった。

緩やかなジグザグを描くようにまだ瑞々しさを残す葉が、空気の抵抗を受けながら、しかし重力には逆らえずにゆっくりと落下していく。


「――――――」


何の変哲もない。


風に舞うひとつの木の葉が、たまたま俺の視界をかすめただけ。


だが、俺は言いようのない違和感を抱いた。原因は分からないが、直感的に何かがおかしいと思った。俺は地面に落ちた木の葉を摘まみ上げた。まだ青いそれは含まれた水分だけの重みがある。俺は手元から足元に向けてもう一度それを落としてみた。


木の葉はひらりひらりとゆっくり地面に落ちた。


あくまで微々たる違和感だが、青々しい葉にしては落ち方に重みが感じられないのだ。まるで枯葉の様な軌道を描いて落ちているように見える。


俺は落ちてきた先、頭上の樹を見上げた。湖に近づいてからどうも視界が明るく感じているのは、ただ開けた場所に出たからではない。

森の入り口に比べて、頭上に茂る枝葉が一段高くなったからだ。


俺は胸の内に、ある種の予感を抱きながらヨハンとカーラがいる場所に戻った。

サンドイッチを頬張る二人は枝や葉っぱを手に持って戻ってきた俺を見て、怪訝な顔をしているが構わない。

湖のほとりの芝生の上で葉っぱを同じ要領で落としてみる。

すると今度はひらひらと揺らぐことなく、ストンと真っすぐに地面に落ちた。


「――なるほど、こっちは普通。とすればあの木の周りだけがおかしいわけだ。しかし証拠としてはかなり弱いな」


「兄様、お昼食べないの? 兄様の分なくなっちゃうよ?」


「いや、そうだ。ルノルガさんに作ってもらった砂時計があるじゃないか。あれなら対照実験として成立するんじゃないか……?」


「あ、始まっちゃってる?」


「始まっちゃってますね」


俺は鞄をあさると、何重にもくるまれた布の中から目的の物を二つ取り出した。

木製の台座に取り付けられたひょうたん型の薄いガラス。その中には粒度の小さい砂が入っている。この世界には時間はあっても時計がないので、何分用の砂時計かは正確には分からない。だが、これはこれで使い道があるものなのだ。


「ヨハン、これを一つ持っておいてくれ。そして俺があっちから合図をするのと同じタイミングでひっくり返してほしい」


「わあ、これ何? ちょっと綺麗じゃん、見てカーラ」


「ほ、ほぉう、不思議な造形の道具ですね……?」


「いいな? 頼んだぞ? あとは中の砂が落ち切った所で手を上げてくれ」


「うん、手を上げればいいんだね? 例のごとくよく分かんないけど分かったよ」


「うむ」




結論――、

湖近くで測ったヨハンの砂時計よりも、樹の近くで測った俺の砂時計は、落ちて来るのに【5秒】ほども時間がかかったのだった。



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