第16話 魔素
ルノルガさんに依頼した砂時計は2つ。
まったく同じ時間に落ちるようにと念を押したものだった。
それがひっくり返す場所によって明らかな時間の差が生まれた。
何度やっても、砂時計を入れ替えても、結果は同じだった。
とすれば、これは偶然でも気のせいでもない。実験によって得られた結果と呼べるだろう。
しかし焦ってはいけない。
おれが得たのはあくまでたった一つの情報で、それが何を意味するのか、原因が何なのかは証明していないのだから。
「砂の落ちる時間が違うって……、それどういう意味?」
ヨハンがさっぱり理解できないといった風に尋ねる。
「重力が……、いや、砂が上から下に落ちるのを何かが妨げている。
そう見るべきだろうな」
重力という概念自体がないこの世界では、上から下に物が落ちるのはただ当たり前のことで意味などはない。要はニュートンがリンゴに気付く前の段階なので、俺は少し言葉を選ぶ。
ただ木の葉が空気抵抗でまっすぐに落ちない事や、水に沈めた小石がゆっくり沈むことは感覚的には理解しているはずだ。
「じゃあ落ちるのを妨げてる、何かって何さ」
「……それはまだわからん。だが予想はある」
「予想?」
「おそらく、【魔力】によるものだ。
魔力の流れがあの樹だけ他と違うのではないか。たとえば流れる魔力が多く、周りにまでこのような形で影響を及ぼしており、つまり――」
俺はそこまで喋ってふと我に返った。
目の前でヨハンとカーラがポカンとした表情でこちらを見上げている。
俺は自分のテンションがいつの間にか随分高まっていたことを自覚し、一度大きく息を吐いた。
「…………帰って色々と調べてみる必要があるということだ。騒がしくして悪かった」
いかんいかん。結果を求めて先走ってはいけない。焦って事実を見誤っては本末転倒だ。地道な事実の積み上げこそが、科学なのだから。
ただそれでも、今回のことで今まで溜め込んできた仮説に何らかの答えが与えられるのではないかという予感が、内から静かに呼びかけているのを確かに俺は感じていた。
「さて、じゃあ気を取り直して昼飯にするか。よいしょっと……」
俺はそこでようやくマットの上に腰をおろし、大量のサンドイッチとデザートが入っているはずのバスケットを見た。
入っているはずの、バスケットを……。
「…………」
「ち、ち、違うんです、これは。ヨハン様が、忙しそうだから食べちゃっていいって、おっしゃるからで、カーラはちゃんとロニー様にも残すつもりで……!」
空っぽのバスケットを見て固まる俺に、カーラがわたわたと必死で弁明し始めた。
「あ、カーラ、僕のせいにしないでよ。食べちゃっていいかもって言っただけで、実際食べたのはカーラなんだから」
「ええぇえ、うそ、うそですよ、ロニー様。食べちゃえ食べちゃえって、ヨハン様が!」
「そんなこと言ってないよ!」
「い、い、言いましたよぉ!」
半泣きで無実を主張するカーラと、首を振るヨハンを俺は見比べた。
ヨハンはため息をついて俺に判断をゆだねるように言う。
「兄様は僕とカーラ、どっちを信じるのさ!」
「こういう時は大体そそのかすヨハンが悪い」
「あいてっ!」
ごつん、と俺はヨハンに拳を落とした。場に笑いが起こる。
昼食はとれなかったが、湖畔で親しい誰かと過ごす午後は何物にも代えがたかった。
○
【実験結果 メモ】
①プテリュクス湖近辺に自生する【例の樹】について
屋敷に帰り、書庫から植物図鑑を引っ張り出した。
結果――、領内ではプテリュクス湖畔、領内を縦断するライヒト川の上流にのみ分布している【プテリュクス】というそのものずばりな名前の樹であることが判明。
かつてはより広範囲に分布していたが、現在は目にする場所が減っているそうだ。←詳細な原因は不明。
図鑑に記載されている特徴を下記列挙。
高木(6メートルから8メートル) 落葉樹。
幹は冬が白色、春から秋は灰色が混ざる。
発芽、成長が早い。葉の形が湾曲しているのが特徴的。
目が粗いため木材には不適。
夜に枝を切ると、断面が一瞬あわく光る。←要確認
※プテリュクス湖のエピソードと関連があると思われる。
※魔力との関連性については記載なし。
①-1
砂時計を用いた実験結果。
プテリュクスの枝は、枯れ枝から新鮮な枝までかなりの量を持ち帰った。
何もしなければ砂時計は全く同じ時間で測り終わることを確認。体感だがおよそ3分程度だと思われる。
枝を砂時計の周りに巻き付けてみた。
約一秒ほどの差異が生まれることが判明。
樹木の近くほどの効果はないが、明らかな差が生まれた。
↓
数度の試行実験の結果枝の向きが重要であることが判明。
根元側から枝先側に向けて力が働いている事がほぼ確実になった。【重要】
根元側を下、先端側を上にすべてそろえると時間差が2秒に増えた。⇔逆にすると結果が反転、砂が落ちる速度が速まった!
(この枝を指定したセイリュウの意図はいまだ不明。
だが現状、プテリュクスには相当量の魔力が流れており、それがこの現象を引き起こしている可能性が高い)
②
ヨハンに協力を仰ぎ、水魔法で生成した水(以下、魔法水)をビーカーに用意。
(ヨハンは俺がこれを使って何をしでかすのかと今も後ろで訝しんでいる)
アルコールランプ用の容器を用意したが、現時点で純度の高いアルコールが用意できなかったため油で代用。
三脚台にビーカーを乗せ、間に厚めの鉄板(本来は石綿のついた金網などが使われるところだが断念)をはさんで、下から熱する形にした。
対照実験として同じセットをもう一つ用意し、ただの井戸水を汲んだものをビーカーに入れた。
②-1
二つのビーカーを同時に加熱開始。
予想:①沸点が変化する? ②全く変化なし?
驚くべきことが起きた。
気泡が全体に生じ始めたタイミングで、魔法水を入れた方のビーカーの嵩が一気に減ったのだ。
目盛りがついていないので正確な数値を出すことは難しいが、通常の水の入ったビーカーの10分の1ほどの量に減ってしまった。(一部残っている水がある事にも注意)
→沸点が下がり、突如水蒸気になった?
もう一度同じ実験を行い、気化する瞬間をよく観察した。
→淡い光が生じていることを確認。
つまり、水魔法で生成される水は一体の温度を超えると【魔力】に戻るのでは――?
※後ろのヨハンが「当たり前だよ」と言っている。
この世界で水魔法は料理には使われないのは、火にかけると消えてしまうからだそうだ。飲料水としては使えるがあまり好まれないらしい。
俺は寡聞にしてこの事実を知らなかったが、水魔法の適性がある者は当たり前に知っているようである。
(追記:その後、水魔法に関する本の中にコラム的な記述を見つけた。
水魔法で生成した水は飲料水にも植物の水やりにも適さない。あまり喉が潤わないし、花の育ちもよくないからだそう。
→これらの原因が魔法水が魔力に還元されるからだとすれば、温度変化だけが原因ではないことになる。最有力は時間経過か)
②-2
試験管に入れた魔法水と水を数時間放置する実験。
・蓋をしていない試験管 それぞれ1つずつ
・布で蓋をした試験管 それぞれ1つずつ
・コルクをした試験管 それぞれ1つずつ
【室温20℃前後】
10分経過 いずれも変化なし
30分経過 いずれも変化なし
1時間経過 すべての魔法水入りの試験管が揮発 10分の1に。
【湯に入れた状態での計測】※実験器具で温度を保つことが難しいと判断し、40度程度の風呂で実験
15分経過時点で全ての魔法水入りの試験管が揮発 10分の1に。
【室温10℃前後】※地下の醸造庫にて実験
10分経過 いずれも変化なし
20分経過 いずれも変化なし
30分経過 いずれも変化なし
1時間経過 すべての魔法水入りの試験管が半分に
3時間経過 すべての魔法水入りの試験管が揮発 10分の1に。
以上の実験から時間経過と温度変化の相乗効果によって変化が起きている事が判明。
魔法水が魔力に還元される際に、蓋の有無は一切の影響がないらしい。常温では50分と60分の境目ほどで一気に揮発したが、温度を下げると揮発の速度に明らかなブレーキがかかることが分かった。
③
以上二つの実験より、魔力と言うものはいくつかの性質を兼ね備えたものであると考えられる。
一つは、周りの空間に重力以外の方向性をを働かせるもの。
(水魔法で水が浮いて回転していること。プテリュクスが育つ方向に指向性が働いているのもこのためだと考えられる)
二つ、魔力が変質する瞬間には発光が起こる。
発光のメカニズムは今の所一切不明だが、淡く白い光が発生するのは共通している。
三つ、水を大幅に嵩増ししているのもまた、魔力であると思われる。
こればかりは電子顕微鏡で調べてみない事には定かではないが、空気中の水分子を魔力が繋ぎ、水分子と同様の性質を果たしているのではないか。
時間が経過する、もしくは熱することによって結び付ける魔力の働きが弱まり、魔力は魔力へ戻っていくと仮定すると、一応の筋が通る。
水魔法とは、空気中の水分子を媒介として【水もどき】を生み出す事なのではないか。であるならば、水分子をつなぎとめる魔力もまた、分子単位の大きさで働いているはず。
今後、これらの働きを持つ魔力一つ一つの単位を【魔素】と呼ぶこととする。
〇
魔素、と言う文字をペンでぐりぐりと丸で囲う。
「――ふう」
そこで俺はペンを置き、息を大きく吐いた。
気付けばピクニックに行った日から、1週間ほども経過している。その間俺は必要な時以外はろくに部屋からも出ず、こもりっきりで研究結果をまとめていた。
振り返れば、ヨハンが俺のベッドですやすやと寝息を立てているのに気づく。
ヨハンにはまた随分と力を借りてしまった。
だが、初めはいやいや水魔法を使っていた彼も、実験結果に予想外の違いが生まれ始めると、積極的に意見をくれるようになった。
来週王都から特別指南の先生が来るそうで、本来はもっと魔法の稽古に精を出すべきなのに、実験の後半などはほぼ俺と部屋にこもりっきりになっていた。使用人たちが怪しんで部屋をかわるがわる覗きに来る始末である。
ただ、兄として、もしくは科学者の末席を汚すものとして、ヨハンが科学的な考え方を興味深いと感じてくれたのは素直にうれしい事だった。
俺は改めてメモの山に目を落とす。
これらの実験結果たちが【魔素】というものの働きによるものだとして、俺はどうしても試したいことが一つあった。
確証はない。だけれど、分子単位の【魔素】を操っているのだとしたら、ひょっとすると可能ではないかというものがある。
それにはまた、ヨハンに多大な協力を仰がなければならないのだが。
「もしこれが実現すれば、魔法世界における大発見と呼べるはずなんだ……。もし、実現すれば……」
俺はそううわごとのように呟きながら、ヨハンがすでに眠るベッドにダイブしたのだった。
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