第9話 夜中、裏庭で。


「自室で?」


俺は思わず聞き返した。


「ええ、お食事はカーラに運ばせさせますので、本日の夕食は自室で摂っていただくようにと――、ドーソン様が」


「ああ、なるほどね」


俺はそこまで言われて理解する。

ジェイルは頷く俺を、扉を開けた向こうから無感情な瞳で見下ろしていた。


「これはヨハン様、ひいてはナラザリオ家にとって重要な場でございますので、なにとぞご理解を」


「理解してるよ。俺にとってもヨハンは可愛いからな。大人しく部屋にこもっているとする」


「それでは」


ジェイルは音も無く扉を閉め、去っていった。

せっかく着替えたのにな、と思いながら俺はベッドに腰かける。

ため息が一つ漏れた。


まあ言いたいことは分かる。

せっかくの会食の場に出来の悪い長男がいたら、楽しい雰囲気も半減だろう。それに俺の方だって変な気遣いを受けながら食事をとるのはごめんだ。


だけれどそう言ってすぐに割り切れるのは【山田陽一】の方だけだ。

【ロニー・F・ナラザリオ】はどうしても思ってしまう。


僕がもう少し優秀ならば。

ヨハンまでとはいかなくても、せめて人並みの才能があれば、引け目なく家族と食事くらいは出来たのではないか、と。


ベッドに横になると、思いのほか疲れていたことを実感する。


朝起きて、ヨハンへ協力を仰ぎながら魔術書とにらめっこをし、玄関でフィオレット嬢と遭遇し、祠へ行って精霊と会った。そりゃあ疲れもする。

というかなんだ三つ目のイベントは。フィオレット嬢の来訪と同列で並べるな、馬鹿か。なんで午前中まで物理法則云々に頭を悩ませていた男が、幻想上の存在と知り合いになり、あまつさえ次も会う約束を取り付けているのか。こんなものを書いて宿題として提出したら日記帳を投げつけられる。


ごろん――、と俺は寝がえりを打つ。


精霊は言った。

今のこの世界はまだ、魔法のうわべの部分しか見ていないと。だからもどかしいと。

つまり、今の魔法文化にはまだまだ発見されていない未知の部分があるという事だ。


それが本当だとすれば、俺にとっては喜ばしい事実と言えた。

研究の余地が残された題材ほど、科学者にとって魅力的なものは無い。精霊によって裏付けられたというのは皮肉だが、差し当たっては重力と魔力の関係性、水の発生源、もし水魔法が解明できても、その先には他属性の魔法の原理――。

まだまだ先は長い。

ロニーの一生を使っても、解明はしきれないかもしれない……。

だが、そのくらいでなくてはやりがいはない。科学とは……、地道な積み重ねだ。

くれぐれも焦りは禁物である……。


――――。


――――。





遠くで人が話すような、微かな音で俺は目を覚ました。


気づけば、部屋は真っ暗。

窓からは星空が見えている。


「結局あのまま眠ってしまったのか……。んん、今何時だ?」


俺は覚醒しきらない頭で、のそのそとベッドから立ち上がった。部屋の灯りをつける。


すると、机の上に夕食が置いてあることに気付いた。


「カーラか。せっかく持ってきてもらったのに申し訳ない」


俺はトレイに乗せられている少し乾いたパンを口に放り込み、水で流し込んだ。


他の部屋の灯りが消えているところ見るとおそらく時間は夜中の二時か三時。

眠りについたのが夕食時だったことを考えれば、たっぷり五時間以上は眠ったらしい。

以前の世界であれば夜中に起きてダラダラとテレビでも眺めるという方法があったが、この時代では夜中に起きても手持無沙汰なだけだ。


そこで俺は、自分が目覚めたきっかけを思い出した。

どこかで誰かの話し声が聞こえた気がしたから、俺は目を覚ましたのではなかったか。


廊下を覗く。通路は真っ暗で誰かが起きている気配はない。

俺は部屋に戻り、今度は裏庭へ面する窓を開いてみる。


「――――」


「――――」


話し声はどうやら外から聞こえているようだ。しかし、背の高い草木に阻まれて誰の姿も見えない。


ちなみに俺の部屋は他の家族の部屋から少し離れた二階の端にある。裏庭に面している部屋は少なく、使用人部屋を除けば俺の部屋だけだ。


「こんな時間に誰が話して…………、あ、そうか。あの二人か」


そこでようやく、ヨハンとマルドゥークが夜中の裏庭で手合わせの約束をしていたことを思い出した。


「俺が見ていると知ったらヨハンは嫌がるだろうが、正直気になるな」


実力派の騎士と、神童と評されている二人の魔法のぶつかり合い。

魔導書には書いていない生の魔法。

これを逃せば、そうそう目にする機会もないだろう。


見たい。ぜひとも見てみたい。


俺はもう一度寝付くにはまだかかりそうだと判断し、二人の秘密の決闘を覗きに行くことに決めたのだった。





「来たね」


ヨハンが、気だるそうにこちらへ近づいてくるマルドゥークに言う。


「……はあ、気が変わっておられればよいと期待していたのですが。こんな時間に起きておられるのも、本来はよろしくないでしょう」


「へへ、楽しみで寝付こうにも寝付けなかったよ」


星空の下、木々の葉の隙間から差す月光が二人の姿を微かに照らしている。

ヨハンは不確かな足元を確認するように、地面をぐりぐりと踏みしめた。


「じゃあさっさと初めて、さっさと終わらそう。誰かに見られたら僕も困る」


「そういたしましょう。言っておきますが、一回限りです。アンコールはございませんよ」


「そこまで聞き訳が悪くはないよ。本気を出してさえくれればだけど」


「約束ですよ?」


「うん」


俺は勝手口の鍵を抜け、裏庭への通路を通って二人から少し離れた岩の後ろに隠れていた。

二人の会話は小声なせいもあって、微かに聞き取れる程度。姿も夜の闇と木陰に紛れて判然としない。魔法を観察しようというにはコンディションが最悪だが、バレると双方に不利益がありそうなので致し方ない。


「ルールはノックアウト制。もしくはどちらかが負けを認めるまでです。音を出してはまずいので剣の使用は今回に限り禁止、そのほか庭の木々を過度に傷つける行為なども禁止です。もし違反した場合、問答無用で反則負けとさせていただきます」


マルドゥークが腰に差していた剣を樹に立てかける。ヨハンもそれに倣った。


「剣の使用なしはいいけど……、このルールって、マルドゥークが早く終わらせたいからわざと反則負けするなんてことにならない?」


「それで納得いただけるのであれば、私はわざわざこんな場を設けたりはしませんよ」


「それもそうか」


「では開始の合図は、頭上の月が雲から顔を出した瞬間といたしましょう」


「わかった」


頭上を見上げれば、ちょうど大きな雲に月が飲み込まれたところだ。途端に、辺りが真っ暗闇に包まれる。


「………………」


ごくり、と俺の唾をのむ音すら聞こえてしまうのではないかと心配になるほどの静寂。他には葉が微かに擦れる音が聞こえるのみだ。


背中の方向を振り返れば、20メートルほど後ろに灯り一つもついていない黒い大きな屋敷の影が見える。ここから見て二階の一番右側が俺の部屋のはずだが、改めて、よくかすかな話し声に気づいたものだと感心した。


もう一度強い風が足元を吹き抜けた。

それに応じて頭上の雲の動きも早まり、隠れた月が雲の端まであとわずかと言う所までくる。


「――――」


「――――」


ヨハンとマルドゥークが体に力を込めるのが伝わる。

瞬間、関係のない俺にも、空気がピンと張りつめたのが分かった。


更に少しの静寂の後、裏庭にかすかな光が差した――、と俺が思ったのと二人が足元を蹴ったのはほぼ同時だった。


姿は未だ判然としなくても、影の大きさが違うので見分けは一応つく。

まず先制を仕掛けたのはヨハンだ。


ヨハンは前方に跳びながら、右手に魔力を注ぐ。

すると生じる一瞬の魔力の光――これは昼間見るよりも分かりやすい――、だがそれは一瞬のうちに水の球に姿を変え、マルドゥークの頭めがけて射出される。

しかも一つではない、放たれた魔法は計3つだ。


ヨハンが前方に飛びだしたのに対して、マルドゥークは試合開始の瞬間後ろに跳ねていた。ヨハンが先手を取ろうとしていたことを理解しての動きだろう、豪速で飛んでくる水魔法を最小限の動きでよける。

水魔法は後ろの木や地面に当たり水しぶきとなって消えた。

マルドゥークがそれを横目に見やる。


と思った瞬間、既にヨハンは追撃を始めている。

ヨハンが今度飛んだのは上方向だった。


12歳の少年が自力で飛べるはずのない高さ、地上2メートルほどの高さにヨハンは跳ね上がり、回転蹴りの要領でマルドゥークの頭にかかとを振る。

しかし、そこも読まれていたのか、マルドゥークは瞬時に屈み、蹴りを躱した。


「――――!」


外すと思っていなかったのだろう、ヨハンは驚きの声を漏らしかける。

だが追撃の体勢を整えようにも、今の自分がいるのは空中だ。高く飛んだ分、着地にも時間がかかった。


一撃目、二撃目を避けに徹したマルドゥークだったが、その隙は見逃さない。

屈んだ体勢から掌底を突くように無防備なヨハンの腹部に右手を伸ばした。


「失礼」


瞬間、壁に思いっきりぶつかったような鈍く低い音が響き、ヨハンの体が真後ろへ吹き飛んだ。


「がっは……!」


目測5メートルは飛んだのではなかろうか。

裏庭の樹木に背中をぶつけたヨハンはうめき声を漏らす。衝撃で頭上の木の葉がいくつか降り注いでいた。


俺はあわや骨折ではないかというような一撃を見て思わず立ち上がりかけた。

しかし、攻撃をした側のマルドゥークが驚いたように声を上げる。


「お見事です、ヨハン様……!」


「…………どうも」


ヨハンが首をひねりながら、立ち上がってそれに応える。それを見る限り、見た目ほどのダメージは負っていないらしかった。


「咄嗟に背中に水魔法を展開して衝撃を和らげるとは、すさまじい反射速度でございます。二手目の水魔法を起点とする跳躍も見事でございました」


「試合中だよ、感想なら後で聞くから」


「左様ですか」


短い会話を交わしたのち、二人は改めて戦闘態勢を取る。


俺はヨハンが無事そうであることに安堵しながら、先ほどのマルドゥークの発言内容を反芻した。


ヨハンが無事だったのは背中に水魔法を展開したから。俺の角度からは見えなかったが、ヨハンは樹にぶつかる瞬間、水魔法をクッション代わりにしたらしい。

跳躍したのも同様、足元に水魔法を発現させて跳躍力を上げていたのか。


手のひら以外から魔法を出すことは出来なくはない、ただ難しいという話だった。

今思えば妙に言葉を濁していた気がするので、あの時は俺に気を使って謙遜をしていたのかもしれないが、先ほどのヨハンが一体どこから魔法を発動させたのかが分からなかったのでは何とも言えない。

正直言って魔法を発動する際の光さえも一瞬で見えなかった。


手のひらから発動させた魔法を足の裏に使ったのか、それとも足の裏から魔法を発動したのか。後でぜひとも真偽を聞いてみたいが、怒られそうで気が引ける。

ともかく俺が読んだ本よりも、実践的かつ高度な技法を目の当たりにしたのは間違いなさそうだった。


それだけで、見に来た甲斐があると言うものだ。


「参ります」


衝撃を和らげたとは言えやや体が重そうなヨハンに、マルドゥークが飛びかかる。

ヨハンは水魔法を放って動きをけん制するが、難なくそれを回避するマルドゥーク。彼は、あともう二歩で届くと言う所で右手を下から上にアッパーをかました。


当然拳は届かない。

しかし彼の右拳が光を帯び、また鈍く低い音が響いた。


同時に、ヨハンが顎を下から撃ち抜かれたように宙に浮く。

それに数舜遅れるように、頭上の木々がざわざわと揺れた。


――――なるほど、彼は風魔法使いなのか。


俺はそこでようやく気が付いた。

風魔法はまだ手付かずの研究対象だが、手元から風を巻き起こす魔法のはず。現時点では温度差を利用したものではないかと言う仮説を立てているのみだが、彼の今の攻撃を見るとその程度で説明できる物ではないらしい。

今のは風と言うよりも、空気の塊で殴ったような音だった。


顎への容赦のない一撃。

素人目にも、脳への影響が心配になるような攻撃だ。

あそこに立っているのが俺なら、一度思い出した前世の記憶がまた吹っ飛んでいただろう。


「――――?」


そこでマルドゥークが目の前の光景を疑う。

攻撃を見舞ったはずのヨハンの姿がないのだ。目の前にあるのは先ほどヨハンが叩きつけられた木の幹だけ。マルドゥークは一体いつ見失ったのかと、暗い裏庭を見回した。


ゴッ――!! という先ほどよりも重く鈍い音が聞こえた。


そう思った瞬間、姿を消していたはずのヨハンが地面に降り立つ。そこで俺は、先ほど下から殴りあげられたヨハンが、木の枝の上に登っていたのだと気づいた。

そして枝から飛び降りる際の勢いも載せて、風魔法をお見舞いし返したのだ。


頭頂部を殴りつけられた形のマルドゥークが思わず体勢を崩す。


「――ッ」


「やーっと当たった! 」


ヨハンは顎を押さえながら、痛快そうにそう叫んだ。


「…………まったく、本当にお見事ですよ……!」


俺から表情は見えなかったが、マルドゥークは恐らく笑ってそう呟いた。


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