第10話 決闘の行方

二人の試合が始まってから実時間としては5分程度だろう。

しかしその短い間に、数えきれない手数の攻防が繰り広げられていた。


ヨハンはその小さな体と俊敏さを持って裏庭を駆けまわり、マルドゥークに多彩な攻撃を試みる。

だがマルドゥークはそのほとんどの攻撃をいなし、カウンターとして重い一撃を返す。ヨハンもそのカウンターを何とか水魔法で緩和するが、それでも状況はじり貧、ダメージは確実に着実に蓄積されている。


痛みをこらえ息を切らすヨハンに対し、マルドゥークは息一つ切らしていない。


「…………はあ、はあ、昼間はよっぽど手を抜いていたんだね……。勝てる気がしないや」


「恐れ入ります。これでも王都で騎士団長として務めておりましたので、さすがにまだまだ、ヨハン様に後れを取るわけにはいきません」


「王都で騎士団長だって――? 初耳だよ、それがどうしてこんな辺境の侯爵お仕えになってるの?」


「……お話は試合の後、とおっしゃったのはヨハン様では?」


「実力差はもう痛い程分かったよ。本気が見たいなんて言った僕の浅はかさもね」


「浅はかなどと。ヨハン様、これはお世辞でもおべっかでもございません。私は正直最初の一撃で、ヨハン様は負けを認めるだろうと思っておりました。ここまで長引いて、しかも決定打に至らないことに、心底驚いているのです」


「……ありがと。でも魔力の残り具合からしても、多分次が最後だ」


「左様でございますか。では、先ほどの質問には、今のうちにお答えさせていただいた方がよろしいでしょうか……」


マルドゥークは下を向き、数度頷いた後に顔を上げて言った。


「…………部下を殺したのですよ。それも大勢の。

要は左遷でございますね。傭兵にでも落ちぶれようかと思っていたところを、グラスターク家に拾っていただきました」


「――こ、殺した?」


予期せぬ返答にヨハンが声を震わせる。


「ええ、私自身の手で」


「な、何か事情があったんでしょ? そういうことでしょ? 事故だったとか……、マ、マルドゥークがそんなことする訳ないもんね?!」


「おやおや、ヨハン様……」


暗闇の中にマルドゥークの低い声が響く。

いつの間にか、先ほどまでと話し方のトーンががらりと変わっていた。


「たった数分手合わせをしたからと言って、私の事をお分かりになったつもりですか? そこまで親しくなった覚えはございませんよ」


「そんな…………」


遠目に見てもヨハンが動揺しているのが分かる。

対するマルドゥークはゆらゆらと身を揺らし、ヨハンに一歩近づいた。


「ヨハン様、質問にはお答えしました。試合を続けましょう」


「――――」


「参ります」


マルドゥークが前方に手を伸ばす。

手のひらが短く発光したかと思うと、空気の塊が複数射出される音がする。

その弾は見えないが、ヨハンの胸部、肩、膝を捉えて後ろに吹き飛ばした。


ヨハンは慌てて体勢を立て直し、一旦木の幹の影に隠れた。


「マルドゥーク!」


ヨハンが叫ぶ。


「…………なんでしょうか」


マルドゥークは前方に手を伸ばしたまま、見えない弾丸を飛ばし続けている。木の幹に野球ボールでも投げつけたような鈍い音が繰り返し聞こえる。


「もし、僕が勝ったら……! さっきの話をもっと詳しく教えてくれる?!」


「…………」


風の弾丸の音が止んだ。


「勝ったら、ですか。ふふ……、ええ、いいですとも。ただし負けたらなしでございますよ」


「分かった!」


ヨハンがそう叫んだあと、再び辺りは静寂に包まれる。

何か反撃の期を見計らっているのだろうか。


そう思っていると、樹の上からがさがさと何かが移動する音がする。

それは樹から樹へ、素早く移り渡っているらしかった。


「先ほどの不意打ちはお見事でしたが、同じ手が何度も通用するとお思いですか?」


マルドゥークが頭上を見上げながら、ゆっくりとした足取りで進む。

彼の右手が白く発光している。攻撃に備えて、いつでも反撃できる用意を整えているのだ。


――ガサッ。


音がして、彼は即座に首を振った。

しかし見つめた先には何もない。それでも確かに音はしたはずだった。


ガサ、ガサガサ、ガサガサガサガサッ


今度はそこかしこから同じような音が聞こえる。

何かがマルドゥークの足元ではじけ、土へと還って行った。


頭上から無数の水の小さな球が降ってきているのだ。


マルドゥークはにやりと笑った。


「小癪な……」


裏庭の木立は、大きな雹でも降っているかのような状態だ。時々木の枝が揺れるのも、ヨハンがいるのか水の球のせいか分からない。


それでもマルドゥークは集中力を維持したまま、ゆっくりと歩を進めていった。



「――――本気で、これが最後だよ」



葉が揺れる音の中から、ヨハンの声がする。

マルドゥークは声がする前に、気配に振り返っていた。


ヨハンは両手をめいっぱい広げ、両手のひらの上に特大の水の球を2つ用意していた。暗いのでよく分からないが、あれは相当な高速で回転しているのではないか。回転で風を切るような音が、俺のところにまで届いていた。


ヨハンは、マルドゥークが動く前に両手から特大の水の球を放つ。

それぞれは頭と胸を狙い、聞いたことのないような音を立てながら高速でマルドゥークに迫る。


ボッ!!


何かが爆ぜるような音がした。


俺には何が起こったのか分からない。だが、どうやらマルドゥークの体に着弾したのではないらしかった。

マルドゥークは右手と左手を固く握って顔の前に構えた体勢で、その場から動かない。水の球はどこに行ったのかと、俺が眉根を寄せた瞬間――、


ドゴ、ドゴゴオッ!!!


屋敷の方向からすさまじい音がした。

俺は訳も分からず音のした方向を見る。







「…………………………え」


驚きと言い現わしていいかも分からない感情が去来する。

その光景が信じられず、脳が思考を停止してしまったようだ。

しかしそれも当然。


「お、俺の部屋が…………」


何故なら、さっきまで自分が寝ていた部屋の壁に、ダイナマイトでも使ったかのような大きな穴が開いていたのだから。



――ドサ


今度は木立の方から音がする。


「――――あ」


そうだ、ヨハンは。

俺が我に返って二人の方向を見れば、そこには暗闇に立つ一つの影と、力なく横たわる一つの影があった。


横たわっているのはヨハン。

そしてそれに右手を伸ばして、むなし気に見下ろしているのがマルドゥークだった。





詳しい検分が行われたのは、結局翌朝になってからだった。


父と母、フィオレットとマルドゥーク、その他使用人が大勢、そして当然ながら俺も、裏庭に集まり大穴の開いた屋敷を見上げていた。

青ざめた表情のフィオレットが、深々と頭を下げる。


「ドーソン様、この度は何とお詫びをしてよいやら分かりません。当家の騎士があろうことか、ナラザリオ家のお屋敷をこのような有様に……。後日、父を連れて改めて謝罪に参りたいと思います」


その後ろでマルドゥークもまた、沈痛な面持ちでそれに倣っていた。


「言い訳の次第もございません。このマルドゥーク、いかなる処罰を受ける覚悟も出来ております。ただ一抹の温情を頂けるのであれば、フィオレット様をお責めにならぬ様に」


それを受けてドーソンが腕を組みながら唸る。


一方被害者とも当事者とも第三者ともいえる、何ともよく分からない立場の俺は、父母の斜め後ろに立ちながら、見る影もない自分の部屋だった場所を眺めている。

大きくがっぽり口をあけた穴からは、まだわずかに水が滴っていた。

それを見ればやはり、この大穴の原因はヨハンの放った最後の水魔法だったとみて間違いないだろう。マルドゥークめがけて放ったはずのそれが、どうして俺の部屋に飛び火したのかは分からずじまいだが。


しかし不幸中の幸いと言うべきか、穴が開いたのは俺の部屋だけ。床が崩落することも、他の使用人の部屋に被害が及ぶこともなかった。

強いて言えば、二週間分の研究資料が壁の下敷きになり、水浸しになってしまったことくらいだ。

せめてHDDにバックアップでもとれていたらよかったのに――、などと場違いな感想を抱く俺。


頭を下げる二人を見て、しばし黙っていたドーソンが口を開いた。


「頭をお上げください、フィオレット様、マルドゥーク殿。

確かに夜中に屋敷が揺れたのには驚きましたが、持ち主の息子は運よく部屋を空けていた様子、使用人に怪我もありません。壁など直せば元通りになるのですから、そこまで大事にするつもりはありませんよ」


ドーソンがそう言いながらちらりと俺を振り返る。

それはあわやのところで命の危機を免れた息子に対して向けるには、なんとも感情の希薄な目であったが、一応会釈だけ返しておいた。


しかしフィオレットの側は「そうですか、ありがとうございます」とはいかない。

彼女は頬に震える手を当てながら、俺の部屋の方向ではない屋敷の別の棟へも目を向けた。


「いけませんわ、ドーソン様。運がよかったとはいえ事実は事実。もしロニー様が事故に巻き込まれておられればと思うと……、あまりに恐ろしいことをしてしまいました。それに、ヨハン様も……」


「――問題はそこですな」


ヨハンの名前が出た途端、ドーソンがあからさまに表情を険しくした。


「あんな夜更けに裏庭で、ヨハンとマルドゥーク殿が何をしていたのか、それを詳しくヨハンに聞く必要があります。マルドゥーク殿はどうやら、教えてくださるつもりがなさそうなので」


「…………」


そこで初めて、ドーソンの口調に怒気の様な物が感じ取れた。

横の母も同様、マルドゥークを唇を噛みながら睨みつけている。


「ヨ、ヨハン様のご様子はいかがなのでしょう」


フィオレットが尋ねた。


「まだ目を覚ましません。念のため医者を呼んでおりますが、診断結果はこれからです」


「そう、ですか……」


「なんにせよ、詳しい話はヨハンが目を覚ましてからという事に致しましょう。

フィオレット様には予定した帰りのお時間を、一旦見送っていただくよう」


「ええ、ええ、それは勿論でございます。ただ父にだけ使いを出させていただけませんか」


「よろしいですとも」


ドーソンはそう言い、使用人たちにも屋敷へ戻るように指示した。


昨晩、秘密のまま決着がつくはずだった二人の決闘が、予想だにしない結末を迎えることになってしまったものだと、俺はため息を漏らした。


結局、その詳しい成り行きを知る者は、正確に言えばマルドゥークしかいない。

ヨハンは最後の一撃に魔力を注ぎ込んで倒れ、未だ目を覚まさないし、俺と言えば遠巻きに見ていたくせに、肝心の最後の一瞬に何が起こったのかを見逃してしまった。


それでも事の経緯については二人の次に詳しいと言えるのだろうが、仮にこの場で決闘を覗いでいたと証言しても、事態をややこしくしてしまうだけだろう。

なので、成り行きはヨハンに任せるしかない、と言う父の結論には俺も納得していた。


ただ、さすがに言っておかなければいけない問題が一つ残っている。

俺は母を連れて屋敷に戻りかけるドーソンの背中に声をかけた。


「お父様」


「――――あ? なんだ」


「それで……、私は当面、どの部屋で寝起きすればよろしいでしょうか?」


「? 寝起きとは……………………。ああ、そうだったな」


そこでドーソンは今更のように、俺の言っている意味を理解した。

まさか壁のない水浸しになった部屋で今まで通り過ごせとでもいうつもりだったのか。――まあ、ヨハンの事が心配で、俺のことなど頭の隅にもなかったのだろうが。


「三階に空いている部屋があったはずだ。そこを使え。部屋に元あるものは好きに使ってかまわん」


「…………3階の……」


「カーラ!」


「ひゃ、はわわい!?」


「ロニーの部屋の移動を、手伝ってやれ」


「か、かしこまりました!」


家財道具の移動ならもっと力仕事に向いた使用人がいるだろうにと思うものの、ドーソンは興味なさげに屋敷へと帰って行く。

頭を打っても、部屋に穴が開いてあわや死ぬところとなっても、父の関心は引けそうになかった。


「すまんなカーラ。どうやらお前は俺の専属使用人として認識されているらしい」


「い、いえいえ! カーラでよければ何なりと、お手伝いさせていただきますが、あの、お部屋はどこに移られるのです?」


「…………3階の空き部屋を使えとさ」


「ええ?!」


俺がそう言うとカーラは口をあんぐりと開けた。


「もしかしてあの、埃まみれの倉庫の事です?!」


俺はため息をつきながら頷く。


「どうやらそうらしい」





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