第4話 研究開始


俺はサンドイッチを頬張りながら、まず一冊目の本に目を通した。

文字が日本語ではないにもかかわらず、内容が理解できることに妙な感覚を覚えるが、構わず読み進める。


既に知っている事実だろうとも、一から順番に情報をまとめることが肝要だ。





この世界には大きく分けて3つの大陸がある。

今俺がいるのはその中で最も小さな大陸にある国の一つ『マギア』である。


この世界の地図がどれほど高精度かは知らないが、地図の右端と左端はどうやら繋がりを持っているようだ。

記憶の限りでも、この本の中の記述でも、宇宙と言う概念はこの世界にはない。だが窓の外には太陽が照り、夜には星空が同じように見えていた事を考えれば、惑星という形を取って恒星の周りをまわっている可能性が高い。


だがあくまで、可能性が高いにとどめておくべきだと思う。

地球の歴史を鑑みても『天動説』が『地動説』へ移り変わるには多大な労力を要したし、世界が平らだと考えられていた時代もあった。

そもそも世界線が違うのだから、別次元の概念で成り立っているという事もありうる。


着目すべきは、この世界もおおむね24時間で一日がサイクルし、四季があり、晴れや雨があるという事実だろう。


これは地球における物理法則が、この世界でもある程度通用するという証左だ。

重力があるので雨は地上に降って来る。雨が降って日光がさせば、熱エネルギーで水分が蒸発し空気中に反射して虹もかかる。

俺がこうして呼吸が出来ているのは空気中に酸素があるからだろうし、という事は突き詰めれば原子と分子も存在する可能性が高い。


科学技術が発展していないだけで、元の世界とこの世界の物理法則は非常に近しい――、一旦そう仮定しても問題ないはずだ。


「ここまでを前提として、この世界で科学技術が発展しない唯一にして最大の原因が、これという訳だ」


俺はひと際分厚い本を、積み重なった山から引き抜いた。

タイトルは『正・魔法歴史書』である。


この世界は物理法則の他に、もう一つの要素【魔法】によって成り立っている。

いや、むしろ重きをおかれているのは圧倒的に【魔法】の方で、誰もが魔法を扱うことが出来るという前提で全ての文化が形成されているのである。

(俺のようにこんな年齢になっても一切の魔法が使えないような奴は、数十万人に一人だ)


おかしな話だが、俺のような欠陥品の体の中にも【魔力】が流れているらしい。血液が流れていない人間がいないように、この世界の誰しもに当たり前に流れているのが【魔力】なのである。


そしてこの書物曰く、それは人間にだけ流れているものでもない。

【魔力】とは【精霊】が与えた万物の源――、ゆえに、動物、魚、植物にも魔力は流れているし、地面や水の中、空気中にさえ魔力は存在している。


……これが果たして、この世界感独特のスピリチュアルな表現なのかどうかは判然としない。


だが、この【魔力】というものを、仮に【素粒子の一つ】と仮定するとどうだろう。

人間の中にも、動物の中にも、自然の中のどの物体にも、それは含まれている。そう考えれば俺にも理解が出来るようになる。

要はその未知の素粒子が、元の世界とこの世界の明確な違いであり、魔法という文化を生み出している原因である、と。


「だとしても、それが他の物理法則に干渉してくるというのは不思議だ。魔力自体は火でも水でも電気でもない。それが個人の意思によって大きく結果を変えるのは何故なのか……」


「兄様、何やってるの?」


「うおっ!!」


唐突に横から声がしたので、思わず本を落としそうになる。


「ヨ、ヨハンか。随分早かったな」


「何言ってんの。さっき話してから5時間は経ってるよ? むしろいつもより長引いちゃったんだ」


「いつの間にかそんなに経っていたのか……。にしても、ノックくらいしないと驚くだろう」


「したよぉ、何回も。随分集中してたみたいだね」


「ああ、ちょっとな」


ヨハンは「ふーん?」と言いながら本の山を見上げた。


「兄様って本とか読むタイプだっけ、しかもこんな大量に」


「しばらくは部屋で静養が必要なんだ。読書くらいしか時間をつぶす方法がないだろう?」


「暇なら僕と遊べばいいのに」


「ヨハンは勉強や稽古で忙しいじゃないか。大丈夫、俺のことは心配するな」


俺がそう言っても、ヨハンは納得しきれない風に首をひねった。


「……やっぱりなんか変だ。喋り方も前の兄様と別人みたいだよ。自分の事も『俺』なんて言ってなかったし、ノックにも気づかないくらい本にのめり込んでるのも初めて見た」


ヨハンはそう怪しむような目を向けながら、俺の椅子の周りをぐるぐると回り、体を指でつついてくる。

一人称が変われば、そりゃ違和感はあるだろうなと思うものの、前世の記憶がよみがえったなんて説明する訳にもいかない。どうしたものかとため息をついていると、ヨハンが不意に指を立ててこんなことを聞いてきた。


「僕の好物を言ってみてよ」


俺はすぐに意図を理解する。


「町のパン屋のベーグルサンドだろ」


「僕と兄様で一番やった遊びは?」


「かくれんぼだな、次が宝探し」


「最後にやった時のボードゲームの勝敗は?」


「俺の負けだ、通算3勝652敗目」


「今一番僕が飼いたい動物」


「毛がふさふさな猫」


「お父様には言えない最大の秘密は?」


「買ってもらった指輪をトイレに流した事」


「正解だなあ……」


ヨハンは腕組みをして唸る。

当たり前だ。いくら出来の悪い兄だったと言えど、ヨハンと過ごした12年の年月が失われたわけではない。もう一つの記憶がよみがえったというだけなのだから。


「じゃあ本当に兄様なんだ」


「当たり前だ、見たら分かるだろ」


「でも明らかに雰囲気が違うんだよ。なんて言うんだろ、爺くさくなったというか」


「爺……!? い、いやまあ、頭を強く打ったからな……。その影響じゃないか? じきに元に戻るだろ」


「まあ兄様が兄様なら、僕は別にどっちでもいいんだけど」


「いいのかよ」


ヨハンはそんな所で一応納得してくれたらしく、俺の隣の席に腰掛ける。


「それで? 何の本を読んでたの? うわ、すごい。メモがびっしりだ」


「いい機会だから魔法の歴史について復習してたんだ。これでなかなか目から鱗な情報もあってな、ほらこれとか」


「…………」


メモを指さしてヨハンに見せると、ヨハンの目線が紙ではなく俺に注がれていることに気付く。


「僕は別に、兄様が魔法を使えなくても兄様が好きだよ」


しまった、気を遣わせてしまったと思い、俺は慌ててヨハンの頭を撫でた。


「そんな心配げな顔をするな。俺は別に劣等感からこんな事をしてるわけじゃないんだ。単純に魔法について勉強し直したいと思った。その権利くらいはあるだろう?」


俺は弟のきれいな黒髪に触れながら弁明するようにそう言う。

対するヨハンは無言で口をとがらせるだけだった。


賢く優しい子だ、と思う。

良くこうもまっすぐに育ったものだと感心する。


出来そこないの兄と良く出来た弟。これは世界を隔てても聞き飽きたような設定だ。

両親から諦められ、居ないものとして扱われている俺。両親から期待と愛情を掛けられ、実際それに応えて余りあるほどの才覚を示したヨハン。

身体能力、頭脳、魔法能力、いずれをとっても俺が及ぶことは一つもない。


もっと擦れた子に成長してもおかしくはなかった。

実際に両親は、兄のようにだけはなるなと繰り返しヨハンに注意をしている。ヨハンの教育にあたって、俺は分かりやすく駄目な見本なのである。


しかし、ヨハンは決して俺を見下すことがなかった。

あくまでも兄として慕い、接してくれている。

魔法が使えなくても好きだと言ってくれている。


今までその言葉にどれだけ救われたか分からない。ヨハンがいなければ、俺はとっくのとうに逃げ出していたことだろう。


両親はヨハンを跡取りにしたいと思っているはずだ。俺もそれを願っている。

だけれど生まれの順番はいかんともしがたく、そう簡単にはいかないから悩ましい。


「分かったから、もういいよ」


ヨハンがいい加減恥ずかしそうに俺の手を振り払う。


「せっかく暇なんだから遊ぼうよ。何する? ボードゲーム?」


「そうだな。この本をもうちょっとキリのいい所まで読んだら……」


俺はそう言いかけて、ふと思いつく。


研究には実験が必要だ。だが実験するにも俺は魔法が扱えない。ならどうすればよいのか。

手伝ってもらえばいいのだ。


「なあヨハン、俺の勉強に付き合ってくれる気はないか?」


「え!? やだよ!!」


即答かつ、全力で拒否された。


「成績はいいくせに相変わらずの勉強嫌いだな」


「今日はみっちり稽古だったんだよ? なのになんでまた勉強しなきゃいけないのさ!」


「いやいや、お前が勉強する必要はない。ただ少し魔法を見せてほしいんだ」


「……魔法を見せる?」


不思議そうに首をかしげるヨハンに、俺は机の上の本を手にとって見せた。


「本を読みなおして愕然としたんだ。この世界の本には【魔法の扱い方】は書いてあっても【魔法の発生原因】は書いていない。まあ、誰もが生まれた時から使えるから当たり前なんだろうが、俺に言わせれば根本的な部分をすっ飛ばしてる。現にこの立派な本だって、精霊への感謝を抱き~とか、強く念じて前に飛ばし~、出来るまで繰り返し~とか抽象的な記述ばかりだ。これは全く以て科学的ではない」


「…………カ、カガクテキ?」


「どうして魔法が何もないところから生まれるのか、念じた通りの現象が起こるのか、まずはその原理を知るべきなんだ。原理を解明すれば、俺に魔法が使えない理由も分かるかもしれないし、手順に沿って俺にも魔法が使えるようになるかもしれない。科学とはそういうものだ」


「な、な、何言ってるかよく分からないけど……、に、兄様はやっぱり魔法が使えるようになりたいってこと?」


「うん? いや違うな。俺はただ原理を解明したい。その結果、俺が魔法を使えないとしても、それもまた十分な研究結果じゃないか」


「ああ、何言ってるか一個も分からない」


ヨハンは妙にテンションの高い兄を見て怪訝そうな顔をした。

だけれど、俺は知の喜びにうちふるえている。


だって、この世界にはだれも解明しようとしていない美味しそうな不思議現象が転がっている。ワクワクするなと言う方が無理な話ではないか。


「前までの俺はただ出来ないと決めつけて諦めてた。でもその実、何も努力なんかしてなかったんだ。あえて言おう、今までの俺は愚かだったと。だがその16年間の無念に、今の俺が報いてやる。奴らに、魔法の方程式を叩きつけてやろうじゃないか」


俺は笑みを浮かべ、空中で拳を握った。横のヨハンが呟く声が聞こえる。


「ほ、本当に頭打っておかしくなっちゃったんだ……」

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