第3話 ナラザリオ家
コンコン、と言うノックをするとしばしの沈黙ののちに「入れ」という低く短い返事が返ってくる。
「失礼します」
扉を開けると、この世界におけるわが父、ドーソン・F・ナラザリオが執務机に座っていた。ドーソンは一瞬だけ俺をみやると、すぐに手元の書類へ視線を戻す。
「……怪我の具合はどうだ。随分と長く眠っていたようだが」
「おかげさまで、少し傷跡が残る程度で済みそうです。ご心配をおかけしました」
「そうか、それは何よりだな。まがりなりにも当家の長男だ、万一のことがあってはまずい」
「ええ、以後このような事がない様に気を付けたいと思います」
「そうしてくれ。――それで?」
ドーソンは下を向いたまま首をコキリと鳴らした。
「は?」
「用件は以上か? 書類仕事が残っているのだが」
「……はい、ではこれで失礼いたします。お母様は何か言っておられましたか?」
「エリアか? ああ、もちろん心配していたとも。一緒に何度か部屋を覗いたのだがな、なかなか目を覚まさないと気をもんでいる事だろう。挨拶をしてくると良い」
「分かりました。では」
俺は短い挨拶を交わしたのちにドーソンの部屋を後にした。
扉が閉まる際に横目に父の様子を見る。彼はついに最後まで、手元の書類から目をあげることがなかった。
〇
中庭に行くと、木陰のベンチに座る女性を見つけた。
母、エリア・F・ナラザリオである。
「お母様、おくつろぎの所失礼いたします」
「あら、まあ。ロニーではありませんか」
「ご心配をおかけしたと父からも聞きました。ですがこの通り無事に復調いたしましたので、そのご挨拶にと」
「まあまあ、そうかしこまらないでいいのよ。あなたが無事なら私はそれでいいのだから」
「眠っている間に何度か足を運んでいただいたそうで申し訳ありません」
「足を運んだ? ――ええ、そうね。もちろん息子の事ですもの。心配するに決まってるじゃない。それで? 怪我は本当にもういいのかしら? もう少し安静にしていたら?」
「まだ傷が少し傷みますので、もうしばらく療養に勤めたいと思います」
「何かあったらカーラに言いつけて。食事もしばらくは部屋で摂ると良いでしょう」
「お気遣い感謝いたします」
俺はそう一礼し、場を去ろうとする。
するとエリアが俺の背中を呼びとめた。
「ねえ、ロニー」
「はい?」
「ヨハンちゃんを見かけなかったかしら。そろそろ授業の時間なんだけれど、まだ来ないの。家庭教師の先生ももうすぐいらっしゃる時間なのに」
「いえ、まだ見かけておりませんが……。見かけたら中庭でお母様が呼んでいると伝えておきましょうか」
「そうしてくれるかしら。来月には王都の有名な魔術師様が、ヨハンちゃんの噂を聞いてこの家に来てくれるそうなの。だから今のうちから練習しておかなくてはね。ヨハンちゃんは優秀だから、勢いあまって魔術学校にスカウトされちゃうかも。どうしましょう」
「それはすごい。しかし、魔術学校に通えるのは16歳からではないですか?」
「そうね、ちょっと気が急いちゃったかしら。ともかく見かけたら早く来るように言ってちょうだい」
エリアはニコニコとしたまま、木陰のベンチでの日光浴を再開した。
16歳と聞いても、母は弟の話をするばかりで俺の誕生日を思い出すことはなかった。
〇
「兄様!」
俺が屋敷に入り自室へと引き返そうと階段を上った所で、頭上から呼ぶ声がする。
「早速いたな、ヨハン」
「ついさっき兄様の部屋に顔を出したら、姿がなくて驚いてたとこなんだよ!」
そう言いながら12歳の弟が、元気に階段を駆け下りてくる。
「お父様とお母様に怪我の報告をしていたところだったんだ」
「もう大丈夫なの? 血がいっぱい出たって聞いたけど」
「大丈夫。もう少し安静にしてたら傷も治るだろう」
「退屈だったんだよ、3日も眠ったままだから! 死んじゃったらどうしようかと思った!」
「……それは悪かったが、お前が退屈なはずはない。今ちょうど中庭でお母様がお前を呼んでいたぞ? もうすぐ先生が来るんだろう?」
「えー、そっか、もうそんな時間? やだなあ、退屈なんだもんあの先生」
「終わったらまた俺の部屋に来るといい」
「うん、そうする! じゃあ、ちゃっちゃと終わらせちゃうからね!」
「ああ、頑張れよ」
ヨハンは俺の手を握りブンブンと振った後、正面玄関へと降りて行った。
その背中を見て、俺は一つ思い出したように問いかける。
「……そう言えばヨハン、一つ聞きたいんだが」
「ん、なに?」
「お父様とお母様は、俺が寝ている間どうしてた?」
「え? どうしてたって……。うーん、兄様の部屋に様子を見に行こうって言っても忙しいからって来てくれなかったから、よく分かんないけど」
「そうか。ならいいんだ」
「?」
〇
父と母と弟、それぞれに挨拶を終えて自室へと戻ってきた。
ベッドのシーツがいつの間にか取り替えられている。きっとカーラがやってくれたのだろう。俺はため息を漏らしながら、ベッドの端に腰かけた。
「病み上がりで屋敷の中を歩き回ると、さすがに疲れるな」
家族それぞれとの会話は短いものだったが、今の頭で改めて自身の立ち位置を確認できたという意味では、意義あるものだったと言えるだろう。
父と母は俺の意識が戻ったと聞いても、まるで興味がない様子だった。
眠っている3日の間、様子を見にきたと言うのもどうやら嘘らしい。
本心から心配してくれたのは4歳下の弟、ヨハンだけである。
だが今更、薄情だと言うつもりはない。
ロニーと言う人間は16年の間、幾度となく両親の期待を裏切り続けてきたのだ。
これだけ何のとりえもない息子を勘当もせず、表面上でも心配する素振りを見せてくれるだけまだマシと言うべきだ。
加えて、今の俺はそんな肩身の狭さもどうでもよいと思うようになっていた。
むしろヨハンのように習い事に追われることもなく自由に動き回れる時間がある事を、幸運だとさえ思っている。
――――今の俺にはやりたい事がある。
その為には、きっと時間と労力がかかるはずなのだ。
「し、失礼いたします」
背後の扉が再び開かれる。
カーラがお盆に載ったサンドイッチと紅茶を持ってやってきたのだ。
「朝食をお持ちしました」
「ありがとう、いいタイミングだったな」
「あ、はい。中庭からお屋敷に入られるのが見えましたので……」
「皿はそこの机に置いておいてくれ」
「食べたらまたお休みになられますか?」
「ああ、いや、ちょっと書庫に用があるんだ」
「しょ、書庫ですか? お暇でしたら、私が本を持ってきますが」
「大丈夫だ、言っても分から――、待てよそうだな」
俺はそこまで言って、ふと思いとどまる。
「?」
「どうせならまとめて本を持って来よう。大量にあるんだ、カーラも手伝ってくれるか」
「た、大量に本を……? もちろん、お手伝いいたしますが、でもどうしてそんな……?」
「何か実りがあれば、いずれ話すかもしれない。
だが、何の成果もないうちから予想を口にするのは間違いの元だからな。とりあえず運ぶのを手伝ってくれさえすればいい」
「…………」
俺が再度そうお願いをするが、すぐに返事はない。
カーラは顎に手を当てて眉を寄せている。
「どうした?」
「いえ、本当に、いつものロニー様ではないようで……。本当の本当に、怪我は大丈夫なのですよね?」
二度目のその問いかけに思わず笑いがこぼれる。
俺はベッドから立ち上がり、心配げな表情を向けるカーラの頭にポンと手を置いた。
「本当の本当に、大丈夫だ。むしろ曇りが晴れたように頭がすっきりしているんだ」
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