テレソロジー

 朝起きて、顔洗い、テレワークステーションないしはリモートプラットフォームに腰を下ろし、カメラとモニターでミサキさんと生活空間をつなげる。今日も一日、代わり映えしない日常が始まるが、代わり映えしない日常だと思えるようになってきたことが驚きだった。

 

「ちっすちっすっす」


 ミサキさんの挨拶を真似て声をかけると、言い出しっぺはサウンドオンリーで返してきた。


「ちっすちっすッス。ちょーっと待ってて下さいね? もう終わるんで」


 メイクだろうか。

 おれはモニターを見ながら顔と髪をチェックし、寝覚めのコーヒーを取りに席を立った。さて今日は何をしようか。一緒にゲーム? なにを配信するかの検討会? 予定は未定のままだがやることはだいたい定まってきている。

 刺激が足りない――ことはない。


「ちっすちっすッス!」

 

 あらためて元気よく耳に飛び込んできた声に目を向けると、


「……え、それ……」


 ミサキさんは白肌を惜しげもなく晒していた。といっても、もちろん全裸ではない。両肩は丸出しで、首の後で結ぶ、いわゆるホルターネックタイプのビキニである。マットな質感の黒い生地がたわわな胸を寄せ上げ、同色の帯が体の正面で扇情的に交差している。

 

「去年買ったっきり、けっきょく着れなかった水着、蔵出しッス!」

「え、ああ、水着か……」

「……さすがにこんな私服の人はあんまりいないかと思われマス」

「えっと、どうですかね? カリフォルニアとかなら」

「西海岸! ここ日本ッスよー」


 ケラケラと笑い、ミサキさんは両手を頭の後ろでクロスし、しなをつくった。


「で、どうッスか?」

「えっと」

「せくしー?」

「ですね。セクシーです。すごい似合ってますよ」

「へへへ……」

 

 ミサキさんははにかむように笑いつつ、両肩を抱き寄せるに腕を巻いた。すでに形成されていた胸の谷間がいっそう深みを増して、押し上げられた拍子に瑞々しく弾んだ。いつもの黒縁眼鏡にあどけない表情、なのに体は激しく大人。可愛いと艷やかに巧みに共生している。

 今日も遠くの同居人は見目麗しく、


「どうッスか? 目のやり場に困っちゃう感じデス?」


 すぐ調子に乗る。

 おれは小さく吹き出し、目の前の空気をひとつまみつまんだ。


「ちょっとだけ」

「えー? ちょっとッスかー? 最近、ちょっと引受しまってきたのに」


 ミサキさんは不満げに頬を膨らませ、お腹を撫でた。前よりもちょっとすっきりしたウェストには幽かに筋肉の筋が浮かんでいる。触れればほんのり沈む柔肌に、しっとりとした質感が乗っている。

 目の保養にして、目の毒だ。視界に入れた時点で映像が網膜に焼き付き、記憶が都合のよろしいフィルターをかけて厳重に保管してしまう。今日から悶々とする事由がひとつ増えたのだ。

 正直、困る。

 困るが、一度でも見てしまったのなら仕方がない。記憶から消すのは難しいので、いっそ盛大に楽しませてもらうのが定石というやつ。


「ところでそれ、下はどうなってるんです?」

「え? 下デスか? 見たいデス?」


 ミサキさんが悪戯っぽく目を細めた。まるで誘うような文言――いや、まるででなく、完全に確実に絶対に誘ってきてるしからかいにもきている。駆け引きというには些細すぎるやりとりなのだが、なぜだか胸が高鳴る。やはり代わり映えしない日常も、ミサキさんと過ごせばそれだけで刺激じゅうぶん楽しめる。

 たまには手のひらの上でコロコロされるのもいいかと思いつつ、おれは物欲しそうに言った。


「見たいなー。下どうなってるのか気になるなー」

「ふふふ……欲しがりさんッスねー」

「そりゃもう。ミサキさんならいつでも欲しいですよ」

「おぅふ。不意打ちはナシッス。眼鏡が曇っちゃうじゃないッスか」


 言ってるうちに、ミサキさんの眼鏡が本当に薄っすら白めいた。分かりやすすぎて可愛い。

 おれはニヤケそうになるのを必死にこらえて、声を低めた。


「ほら、ミサキさん。立って見せて」

「……なんか、言い方がえっちになってません?」

「気づきました?」

「き、気づきました? じゃないッス! もー! ほんと、もー!」


 ミサキさんは片手を上下に振りつつインカムを撫でた。この一月で、おれはもう知っている。怒った振りをしている。ミサキさんが本当に怒ってるときはノーリアクション、オア、チベットスナギツネアイ。いまのところ向けられたことはないがカチキレたときは無言だ。検討会用に撮り溜められたゲーム実況(予定)動画で見た。


「ほら、ミサキ。立って、下も見せて」

「ちょっ! それは、さすがに……」


 ミサキさんは片手で口元を隠し視線を外した。逡巡している。ちょっと押しすぎたかもしれない。それもこれも、この一月で押しへの弱さをすっかり露呈してしまったミサキさんが半分くらい悪いのだ。おれは悪くない――いや、悪いところもあるかもしれんが、


「誘ってきたのはミサキさんですよー?」

「あ、えと、それはそうですけど……」


 口元を隠す手の下で、肘を抱きかかえるようにして、ミサキさんはゆらーんゆらんと左右に揺れた。猫の尾のようにくねる体からすると葛藤それ自体を楽しんでいるご様子。オーバーリアクションゆえに読みやすく、読みやすいところも愛おしい。もうひと押しすれば見せてくれそう。だけれども。


「じゃー、いっかな」

「うぇっ!?」

 

 ミサキさんの頓狂な声に、おれは思わず笑ってしまった。ちょっと突き放すをしただけなのに。


「……騙したッスね?」


 ミサキさんの唇が尖った。

 おれはもうどうにもならないニヤけ面をほったらかして聞き返す。


「騙すだなんて。そんなことないですよ?」

「……絶対ウソッス」

「ウソじゃないです。ミサキさんが嫌なら、おれは絶対に無理強いなんてしません――けど」


 おれがじっとカメラを見つめると、ちゃんと意図を汲んでくれたのか、ミサキさんの動きが徐々に小さくなり、もじもじしだした。


「ミサキさん、おれに見せたがりだからなあ」

「にゅあ! ひどいっ! 違いマス!」


 ミサキさんは顔どころか肌までほんのり赤くし、両手を振った。


「違いマス! 自分、そんなえっちじゃないッス! 訂正願いマス!」

「え? 違うんですか?」


 おれはあえて大げさに驚いてみせ、ちょっと悲しげな声をつくった。


「おれはミサキさんのそういうとこが自分に向いてると思うと嬉しかったんですけどね」

「えっ、えっ?」

「不特定多数ってわけじゃなくて、おれに向いてるわけですし」

「えと」

「えっちなのもいいと思うんですよ。おれは。嬉しいし」

「ちょ、ぅぁ、ゔぇえ」


 ミサキさんが両手で顔を覆った。撃沈。いまはまだモニター越しだけれども、もうじきこのて照れる様子を間近で見れるのかと考えたら、いつも以上にドキドキした。


「ミーサーキー、さん」

「はぁい……」


 ミサキさんは両手で顔を覆ったまま小さく息を吐き、ゆっくりと腰をあげた。手を回したくなるくびれを下がり、腰骨の突起より僅かに低い位置で薄っすら食い込むボトムスが映った。

 おれは背筋をなで上げていくゾワゾワに身震いした。ウェブカメラの低画質でも分かる肉感的な太ももを見ているだけで口の中に唾が溜まる。


「じゃあ、ターンしてみてください」

「ふぇ!? えっ!?」

「後ろも見せてほしいなーって」

「ううぅぅ……ほんっと、ほんっと……ッ!」

「ほんと、なんですか?」

「いじわるッス!」


 恥ずかしそうに声を震わせておきながら、ミサキさんは素直に後ろを向いた。プリプリと引き締まったお尻を、ミサキさんが後ろ手に隠そうとしていた。その指先の落ち着かなさが却って欲望を煽ってくるのか、おれは思わず、おお、と呻いた。

 途端、ミサキさんが慌てて反転、ガタガタと画面が揺れて、ミサキさんを上から写した。チベットスナギツネほどではないが照れの入ったジト目だ。


「……えっと」

「……ちょっとえっち過ぎッス。反省して欲しいッス」

「……でも、もうちょっとだけ見せてほしいなって」

「…………ちょっとだけッスよ?」


 ミサキさんは、なんだかんだ優しかった。

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