カリギュラと天球儀

名取

12年か1348年、あるいは2020年夏




 大時代。




 ……間違えた、大時代。



 とにかく2453年の現在、人類はまさに大航海時代を迎えていた。とはいえ、舞台は海ではなく、星屑の銀河。そう、スペースフロンティア。予てより開発が進められてきた惑星間移動やAI技術が成熟したことで、世界的な宇宙船製造の黄金期が訪れたのである。人々は未開拓の星々を目指し、我先にと宇宙へ羽ばたいた。

 俺はそんな輝かしい時代の――だった。



「嫌だー!!!! 2020年の、それも、夏とか!!! そんなとこにワープするくらいなら、俺はこのまま捕まって死ぬからな!!?」

「キャプテン、落ち着いて下さい」



 右へ左へ宇宙船の舵を切りながら叫ぶ俺に、合成音声の助手が言う。プラズマ砲を撃ってくる背後の敵たちには、追跡を諦める気配が全然見られない。船内に響き渡る警報音でパニクって涙目になっていると、助手が内部構造にアクセスして強制的に音をブチっと切る。

「キャプテン。あなたはよく考えなくても、全宇宙的に重犯罪者なんです。私はそれを責める気は全くありませんが、少なくとも現在の地球における宇宙法において、あなたを受け入れてくれる国や地域は存在しません。それに、このシルバーアルタイル号のプラズマエンジンとワープ機構は激しく損傷しています。このまま通常走行を続けて追っ手のギャラクティカ・PT追跡モデル45台すべてを撒くことは、理論的に言って97%不可能です」

「……残り3%の可能性に賭けようとは思わないのかよ、お前は?」

「不可能です。私の演算機能は正常に機能しています。残念ながら」

 俺はほんの少し落ち着きを取り戻して笑う。どうやらパイロット補佐AI・ベガの皮肉機能は破損していないようだ。

 そしてつまるところ彼女(性別を訊くといつも怪訝な反応をするから実は彼なのかもしれないが)が言うには、宇宙警察の攻撃で、宇宙船の本来の機能の70%を奪われた今の俺が生き延びるためには、壊れかけたワープシステムを使って2020年の夏に飛ぶしかないらしい。

「でも2020年って言ったら、お前……歴史の授業をろくに聞いてなかった俺でもさすがに知ってるぞ。地獄みたいな年だったんだってな。せめて一年か二年、ずらすことはできないのか?」

 尋ねながらも、体全体を使って舵を回す。あえて昔風に改良したカーボン製の大きな操縦桿は、操るのに体力を使うが、そのぶん細かな調整ができる。背後から放たれたプラズマ砲をすれすれでかわすと、流星群にも似た淡い青色の焔がきらきらと輝きながら宇宙の彼方へ消えていく。

「時間をずらすこと自体は、できなくはありませんが……」

 ベガは言い淀みつつ、ワープシステムの詳細画面をメインモニターに表示した。半分以上が赤く点滅している。タイムワープ技術の発展はすさまじく、今や格安の宇宙船にさえ直近1週間前後の世界を移動できるオプションがつけられるのが当たり前となった。しかし今のシルバーアルタイルの有様は、中古船より酷い。

「時間および位置指定プログラムは88%が破損していますので。西暦2020年7月4日の地球以外に選べるのは、1348年7月4日か、12年7月4日です」

「12年は論外だな。そんな原始時代に行けるか」

「西暦12年は厳密に言えば原始時代ではありません。原始時代に戻るにはおおよそ200万年前まで遡る必要があります。ちなみに、12年の晩夏8月31日にはかのカリギュラが誕生しています」

「え……誰?」

 聞くと、モニターに白い彫刻といくつかの電子書籍が映る。

「カリギュラとは第3代ローマ帝国皇帝の通称です。本名はガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。彼はしばしば創作の題材とされ、特にアルベール・カミュが1944年に書いた戯曲は今でも名作のひとつに数えられます」

「皇帝ね……。優しい王様だったのか?」

「いいえ、全く」

 モニターに劇の一シーンが出る。ローマ人っぽい衣装を纏った俳優が、血みどろの剣を持ち、ぞっとするような笑みを浮かべている。

「大半の学説では、彼は理想的な君主として穏やかな治世を行った後、狂気の暴君に変容したといわれています。たとえば彼はあるとき病にかかって生死の淵を彷徨うのですが、回復したのち、『皇帝が助かるならば私の命なんて要りません』と言っていた者たちを文字通り崖から突き落としたとか。他にも残酷な逸話には事欠きません」

「ワーオ……」

 12年もそれなりに地獄だな。やっぱり。

「じゃあ、1348年は?」

「端的に言うと、黒死病が大流行した年です」

「ああペストだな? それは知ってる」

「でしたら話が早い。14世紀には当時の世界人口の約2割が死亡し、15世紀頃になると『死の舞踏』などの芸術作品が残されました。この『メメント・モリ』の精神はバロック芸術にも引き継がれています」

「め、メメ……何?」

「メメント・モリ。ラテン語です。意味は『死を覚えていなさい』。死者を忘れるなという意味ではなく、人は誰でもいつか必ず死ぬということを忘れずに生きなさい、という意味です」

「必ず死ぬ、ねえ」

 人口臓器やハイテク義肢を使い、人類の誰もが半永久的に生きるのが当然となった2453年では、せっかくの先人の警句も虚しく聞こえる。

「で、お前はその二つよりは、2020年のほうがまだマシだと判断したわけか?」

「マシというわけでは」

 ベガはモニターに2020年の地球の記録映像を表示する。

「ただ単に、AIの私が少しでも長く生きられる時代のほうがいいなと思っただけです」

 いや、まさかの自分都合。

「2020年、俗にいう『コロナ』……正式名称『SARS-CoV2』による感染症『COVID-19』の流行が始まります。当初の予測に反して、コロナは感染者および無症状病原体保有者の国外移動によって、世界中で爆発的に広まり、大量の死者を出しました。主な出来事としては、医療崩壊、買い占め、都市のロックダウン、緊急事態宣言、オリンピックの延期など。そしてこれが、2020年夏の地球の様子です」

 モニターに映し出されるのは、巨大な霊園。白い花々が咲き誇り、空は高く、明るい夏の日射しが降り注ぐ夏の日に、人々は泣いていた。失ったもののあまりの多さに。この最悪のときまで何ひとつ深刻に考えず暮らしてきた己の情けなさに。

 そう、この年から世界はめざましい変貌を遂げる。人類は命の重要性を知った。娯楽も仕事も、政治も教育も、人命が危ぶまれれば即座に機能停止となり、すべてが無意味と化す。ならば、何よりも先に盤石にするべきなのだ――命こそを。

「このとき各国が連合して定めた法律により、どのような種類であれ、生命医療の発展に貢献できる研究だけが認められるようになります。違反した者は終身刑あるいは死刑。苦言を呈する者は皆無でした。なにしろ、たった数ヶ月で世界人口の38%が死んだのですから……。『緊急事態は終わっていない。我々が病を何一つ心配せず生きられる生命体になれるその日まで、永遠に続くのだ』とはあまりにも有名なスローガンです」

 人類はとにかく命を求めた。手段は選ばない。ただ健やかで、より良い生を。技術はあらゆる倫理を無視して進み、やがて狂気じみた最適解に辿り着く。


 スレイヴ。


 22世紀初め、遺伝子操作技術によって造られた、心を持たぬ使い捨てクローン。通称、肉のアンドロイド。15歳の姿で生まれ、平均寿命は26歳。元となる遺伝子構造はネアンデルタール人のそれで、情緒発現は多くの場合生まれつきないか、しても薬剤等で制限される。用途に応じて遺伝子操作で特性もカスタマイズされる。たとえば農業用は足腰が強く、漁業用は船酔いしにくい、といった風に。そして俺は――軍事用スレイヴとしてこの世に生まれた。


「なあ、ベガ」

「何でしょう?」

「俺はずっと狂気に堕ちるのが怖かったよ」


 軍事用スレイヴは生まれてすぐ働く普通のスレイヴとは違い、実戦に出るのは1年の訓練の後であった。彼らは一人で戦車百台と同じ働きをする。だが、実戦を経るうちに狂気に堕ちて戻れなくなる個体が殆どだった。常人の何万倍にもなる殺人の快楽と破壊衝動は最終的に自分自身へと向けられ、遅くとも20になる頃には笑いながら自殺するのだ。そのため訓練中の個体には抑制装置が首に付けられていた。異常なほど高い身体能力や直感を抑えるために。

「でも、ここで逃げても意味がない。だって、俺が生まれたのは何時でもない、今この時代だ。過去に行って何をやったって、そこに俺はいないんだ。だから、頼みがある」

「何なりと。キャプテン」

「もし俺がなったら、お前が後始末してくれ」

「お任せあれ。人間一人殺すのがAIにとっていかに簡単なことか、数多のSF映画が証明しています。原始人の妄想の産物には負けますまい」

 ああそういえば、とベガが唐突に呟く。

「紹介しそびれた知識がありました。心理学には『カリギュラ効果』という言葉があるのです」

「へえ。どんなの?」

「人は何かを禁止されるほど、それをしたくなる。……そういう心理を指す用語です」


 ――一度で良いから、満天の星空が見たい。


 きっと、遺伝子異常のせいなのだろう。ないはずの心に生まれた願いのために、俺はある夜、施設を抜け出した。そして見つけた。乗り捨てられた銀の宇宙船を。


「今までありがとう、ベガ」

「こちらこそ楽しかったです。キャプテン」


 メメントモリ。死を想え。


 首の装置に手をかけて、心の中で呟いた。眼下の美しい星々を眺め、できれば月にだけは魅入られぬよう、ひそかに願いながら。

 

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カリギュラと天球儀 名取 @sweepblack3

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