第7話 冷たい美貌➕

奥の間に通されたわたしと劉先生は、

大奥様の前に跪き両手を

顔の前に掲げ、袖で顔が隠れるようにしてご挨拶をしました。

これが中国での、高貴な方に対する正式なご挨拶です。


でもわたしは、そのあとも

ずっと緊張で

顔をあげることが出来ませんでした。

広いお部屋の中、

下げた目線のまま、

少しきょろきょろすると、あちこちに見事な調度品が飾られていて、いい香りが満ちていて

こんな立派な邸宅にうかがったのは、初めてのことでしたから。


どうやらお行儀の悪さに気付かれてしまったのでしょう、

「もっと近くへ来て頂戴」との

大奥様の声に、はっとしてわたしは顔を上げました。

よく通る、静かな声で、

「よく来てくださいました劉先生、王珠さん」

大奥様がそう言いました。、

わたしは失礼なのも忘れ、まじまじとそのお顔を見つめていました。

ほっそりとしたお姿。

小さなお顔にきりりとした目のちからの強い、冷たい美貌がそこにありました。

正直に言うとそのとき、少し怖い気がしました。


でも大奥様はわたしの無礼な振る舞いに、少しだけ戸惑ったように

片方の眉を上げただけで、お話を始めました。

恐らくわたしのまだ若い様をみて、これからしつけなければと

思ったでしょう。

「使者に言付けたとおりです。

王珠さんに箏曲のお稽古をとおもっております」

大奥様のそばに控えていた祥容が、

「このようなことは

滅多にないのです。

賈家の大奥様がお稽古ごとをするならば、

いくらでも

都から楽士を呼び寄せることができるのです。けれど、

大奥様が是非に

王珠さんと仰るので、本当に、特別です」

と、この話の前代未聞さを強調しました。

確かに、普通に考えれば、

帝の楽団にいた楽士ですら招くことのできる賈家です。

どうしてわたしなのでしょう?

嬉しいより怖い。

そんな気持ちに襲われて隣の

劉先生を見ました。

先生もまた、困惑していました。

「それはいいのよ」

大奥様が、祥容がまだ言いたそうにするのを遮りました。

「私が、決めたのですから」

大奥様は、切れ長の目で、じっとわたしを見つめました。

「そう、あのときの楽士。

間違いない」

劉先生がしどろもどろに

「お言葉ですが、この王珠、

まだ楽士として日の浅い若輩者で…大奥様に御教授など…」

と言いかけたのを、

大奥様はさっと

手を振って止められました。

「つい2,3日前に、隣県の楊知事のところで、王珠、

おまえの箏を聴きました。

私はおまえが

爪弾く箏曲が好きなのです。

おまえとともに箏を弾じたいのです。

おまえが断るのならば、私は箏の稽古などしません」

キッパリとしたお言葉でした。


それで劉先生は

何も言えなくなってしまい、

わたしはどうしてこのようなことが起きたのか

不思議でたまらない一方で、わたしの箏曲をそこまで気に入ってくれたことに、打ち震えるほどの感動を覚えました。

わたしの箏を、これほどまでに

必要としてくれる方。

こんなに早く出会えるなんて。



わたしは、震える声で、大奥様の目を見返し言いました。

「お、大奥様、どうか、

よ、よろしくお願いいたします。

い、一生懸命につとめさせていただきます」

膝の上で

ぐっと握っていた両のこぶしのなかが、汗でびっしょりでした。

額からもわきからも、じっとりと汗が吹き出してきました。

わたしの人生が大きく動きだしたのを感じました。

劉先生がぽかんとした顔で隣のわたしをみていました。

大奥様のお顔にかすかな笑みが、浮かびました。

そしてすっとたちあがり、

「決まりですね、

では、私からはお給金のほかに

おまえにいろいろと作法を仕込んで上げましょう。

これからおまえは様々な

上流の方々の集う場所へ行く機会が増えるのですから…

では、あとの詳しいことは、ここにいる私付きの召使いの祥容に聞きなさい」

ふわりと着物を翻し、大奥様は奥へと行かれました。

赤い大きな花が刺繍された美しい着物だとその時わかりました。

わたしはじっと、その後ろ姿を見つめ

どうかこの美しい奥様を

わたしの箏で

もっともっとお助けできるように。

と呟きました。







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