第8話 揺れる心➕
さて賈家から楽団に戻ると、
劉先生は帰宅の挨拶もそこそこに
周りの人々に
王珠が凄いことになったと触れまわっていました。
わたしは
今日はもうお休みをするつもりでした。賈家に勤めることが、自分のなかでまだ信じられず
そのことをゆっくり考えるためにも、時間が欲しかったのです。
だから皆の話相手を
劉先生が一手に引き受けてくれたのは、有難いことでした。
家でも養父母の驚いたことと言ったら。
本当に
この街で、賈家を知らない人などいないのだと改めて思いました。
自分の部屋で、わたしは
かけてある絹の掛布を開き
そっと愛用の箏を撫でました。
「わたしの箏でなくちゃダメ、なんですって。
誰だと思う?あの賈家の
大奥様よ。
この間の、宴の演奏を聴いていて
わたしに声をかけてくれたの。
すごいわよね」
わたしは小声で、箏に語りかけました。
人前ではしませんが、
わたしたち楽士は
多かれ少なかれそういう風に、
愛用の楽器に語りかけるのです。
なにしろ相棒ですから。
「でも、わたしに大奥様を
指導なんてできるのかな…」
つい弱音がでました。
「宴では良かったけど、
実際呼んでみたら期待ハズレだった」
賈家の方にそう言われ、劉先生にも
「まだ若すぎると思ったのよ。やっぱりね」
などといわれるのが怖い。
大奥様の言葉はとても嬉しかった。それを励みに、もっと稽古を積んでから
教えるのではダメでしょうか…
これがわたしの本心です。
とんでもない。
そんなことをいえるわけがない。
もう引き受けてしまったのだ。
理性がわたしを叱りつけます。
養母が部屋で考え込んでいたわたしに声をかけてきました。
「やれるだけ、やってみようかと…でも、不安です」
考え込むわたしに、養母は
「そうね。
おまえは才に恵まれた者。
恐れずに前へ進みなさい。
そして失敗は必ず、未来の糧にすれば良いのです。
まだ若いおまえにだからこそ、言ってあげられることです
お父さんともども見守っていますよ」
温かい言葉に、心が決まりました。
「お父さん、お母さん、ありがとうございます」
夜に我が家へ
劉先生からの使いがきて、明日の午後から賈家に行くことが決まりました。
一日置きに
午後から夕方まで、それが大奥様のご希望ということでした。
わたしは箏のお手入れをすませて、
あの日
宴会で演奏した曲の楽譜を取り出し、横になりました。
夜の暗闇のなかでまた、不安が頭をもたげてきました。
「こちらからお断りすることはできるのだろうか。
そのときは劉先生に恥をかかせてしまうだろうか、
そうするとこれから
楽士としてやっていけなくなるだろうか。
養父母はがっかりするだろう。
わたしから、人生の全てをかけた箏曲がなくなったら、もう生きていけない」
目をつぶりました。
闇は人に良くない考えをもたらすものです。
明日の朝の明るい太陽の光のなか、わたしの本当の心が分かるのはそのときです。
気がつくと朝になっていました。
養母の声がわたしを呼ぶのが聞こえてきました。
起きなければ。
今日が始まったのです。
わたしは賈家で働く者の一員となったのです。
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