第9話 決着がついたと思ったのですが、どうやら違うようです。

 ガキィッ。

 魔剣と悪魔の爪が何度も交差する。時々火花を散らし、二人の影が舞っていた。


 それにしても……ヴァレリオ殿下に、グラズと対等に剣を交えることができる力があることに驚いた。

 時々、悪魔の爪が殿下の体をこするようにして通り過ぎていく。もし少しでも軌道がずれたら、鎧を身につけていない体はあっという間に切り裂かれてしまうだろう。


 前世でのグラズの戦いを見たことあるだけに、ヴァレリオ殿下の凄さが際立つ。

 でも……こんな戦いを見ていると次第に動悸が激しくなってくるのを感じる。だんだん、見ていられなくなってきた。

 手のひらに、額に、汗がじわりと浮くのを感じた。


『いつまでやるつもりなの?』

『驚きましたね。彼は……おそらく、ここにいるどの騎士よりも強い。しかし……』


 頭に響くグラズの声のトーンが、やや下がった。


「ほら、剣が下がってきましたよ」

「く…………」


 殿下は悪魔と距離をとった。肩で息をしつつ、剣を杖のようにつき自らの汗を拭った。苦しそうな表情だが、それ以上に悔しそうにも見える。


 その時、部屋に、数人の騎士と入れ替わるようにして、フード付きの灰色のクロークを纏った者が入ってきた。

 彼らは、呪文を唱え始めている。


『グラズ、気付いている?』

『もちろん。悪魔封じでもするつもりでしょう。決着をそろそろ付けます。彼の技量は目を見張るものがありましたが、体力は誤魔化せません』

『うん……もう、やめて』

『そうですね。我は構いません……しかし、彼がそれを許さない可能性がありますが……』


 いつも自信満々のグラズが言い訳をしている。ヴァレリオ殿下は……それほどまでに?

 彼は肩で息をしながら、悪魔を睨みつけて言った。


「まだだ。まだ、やれる」

「その意気です」

「……? 貴様はいったい?」


 再び、二つの影が踊り出す。

 彼らは言葉を交わすように斬り合っている。だけど、ヴァレリオ殿下の劣勢は明らかだった。悪魔は余裕で彼の剣を躱している。


「もう、お仕舞いですか?」

「はぁ……はぁ……いや……次で決める」

「良い覚悟です。では私も、本気で貴方を倒すことにしましょう」


 ジャキンと音を立て、悪魔は爪を揃え、両手を広げ構えた。

 一瞬の静寂の後、ヴァレリオ殿下が床を蹴り、悪魔との距離を一気に詰める。私は接近する直前に彼が呪文を唱えたのを聞き逃さない。以前、レナートと戦ったときと同じことをしようとしている。


「【加速ヘイスト】」

「なっ!」


 初めてグラズが焦りの表情を見せた。さらに一歩、ヴァレリオは悪魔の胸先に踏み込み、渾身の一撃を見舞った。剣の切っ先が相手の喉元に触れ、その軌跡をなぞるようにすっと青い線がひかれ、滲む。グラズの流す血は青かった。


「やった!」


 遂に、ヴァレリオ殿下の剣はグラズに届いたのだ。私はそれが嬉しく、つい声を上げてしまう。


 グラズは、あれくらいの傷ならすぐに自分で治してしまうだろう。それでも私は、嬉しくてたまらなかった。だいたい、打合せた通りに行動しなかったグラズが悪いのだ……調子に乗った罰だ。

 と……思うものの、部下が傷付けられたのに喜んでしまったことにちょっとだけ良心が痛んだ。ああ、ちょっとだけだけど。


 ヴァレリオ殿下の必殺の攻撃は完全に防御を捨てたものだった。悪魔が無防備となった彼の心臓に爪を突き立てようとするのが見える。

 いくらグラズでも、本来の目的を忘れたりはしないはずだ。ここで王子を倒してしまったら、収集がつかなくなることは目に見えている。グラズは賢明な悪魔だし、攻撃する振りだけだろう。

 しかし……。


 騎士達がいる方向から何者かの「ケケケッ」という嫌らしい声が聞こえた。その声は甲高く、人の声らしからぬ印象を受ける。そして、何かが風を切る音が聞こえる。

 視界に入ったのは、一本の短剣ダガーだった。


「【加速ヘイスト】ッ!!」


 私は無意識に呪文を唱えていた。時の流れが変わったのを感じる。

 短剣ダガーがとても、とてもゆっくり動いているように見えた。その向かう先に視線を滑らすと、標的が分かった。

 騎士の方から飛んできたはずなのに……グラズではなく、なぜかヴァレリオ殿下に向かって飛んでいる……?


「殿下、危ない!」


 私は思わず、大声で叫んでしまった。しかし、直ちにまずい行動だったと後悔する。

 ヴァレリオ殿下が振り返り、顔を向けた先に短剣の切っ先が迫っていたのだ。


 お願い。避けて……!

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