孤独と個室

志央生

孤独と個室

「あなたの夢はなんですか」と聞かれたとき、私は答えに戸惑った。小学生の頃、何かの授業で私にそう尋ねた教師は、当時の男子が憧れるものをいくつも例に挙げた。

 野球選手、消防士、警察官・・・・・・、ただ私にはどれもピンとこず、口をつぐんで俯いたのを覚えている。

 だって、そうだろう。子供が夢を持っていて当然という価値観を押しつけられて、困らないわけがない。夢があることが当たり前ではないのだ。少なくとも私は、その当時も今も夢というものを抱いたことはない。


 人生の多くは同じ作業の繰り返しだ。子供の頃は学校に行って勉強をして、中学も高校も同じだった。社会に出れば、勉強が仕事に変わる。

 ゆえに人生に生産性なんてものはない。そう考えていた。

「なにか趣味とか楽しみとか、無いんですか」

 会社の飲み会で、同期の男が私に聞いてきたとき言葉に詰まった。口をつけたビールの苦みだけが口の中に広がる。

「僕はですね、アウトドアが好きでですね。キャンプとかよく行くんです」

 酔っているのか、普段は話しかけてこない男が私の肩に手を乗せて自慢げに話す。

「趣味など無くても生きていける。そんなことをするくらいなら、どうすれば仕事の効率が上がるか考えるべきだろう」

 嫌みのように私は言って、ジョッキのビールを飲み干す。

「まったく堅物だな。そういうところが面白みがないんですよ。だいたい、休みの日まで仕事のこととか、社畜ですよ。僕はそうはなりたくないんですよ」

 ケラケラと笑う男に私は怒りを覚える。確かに業務外の時間をどう使おうと個人の自由だ。だが、勤勉に仕事をこなす私と、この男との差は大きい。趣味に時間を割くことで、出世から遠ざかり大した役職にも就けず定年を迎える。きっと、この男はそうなるだろう。

 私はそう思いながら席を立つ。トイレへと急ぎ、男性用の個室へと入った。小便器がふたつと、個室がひとつの間取りで、私が入ったことによって小便器しか空きがなくなった。

 足音がふたつ聞こえて、連れだってトイレに入ってきた。

「あぁ、飲み過ぎた」

「馬鹿だな、まだまだあるんだぞ」

 そんなやりとりを聞きながら、ふたりの内のひとりが先ほど私に絡んできた男だとわかった。

「それにしてもさ、あの真面目君、とことん社畜だよな」

 水の流れる音がする。

「だな。ったく、あいつが馬鹿みたいに仕事するから俺たちができねぇみたいに見られるしな。まったく、足並みを揃えられねえのかな」

「それだよな、ひとり仕事できますみたいな顔をして、お前はただそれしかないだけだろうが、ってな」

 ケタケタと笑う声が鼓膜を震わせる。

「そういえばさあ」

 だんだんと声は遠くなっていき、やがて完全に聞こえなくなった。個室にひとり、私は座ったまま立ち上がれなかった。

 急に自分が惨めに思えたからだ。ただ自分にできることをやっていただけで、迷惑をかけているつもりなどなかった。仕事をすることが、少しでもいい役職に就きたいと思うことがダメなのだろうか。

 できない、やらない奴が悪いはずなのに、なぜ私は責められたのだろうか。

 趣味にかけるのも、夢を持つのも自由だろう。なら、私が仕事に身を捧げるのも自由であるべきだ。

 唇を噛み、居なくなった男たちの笑い声を思い出す。それから、少し耳を澄ませる。

 換気扇のファンが空しく回る音がするだけだった。


                                     了

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孤独と個室 志央生 @n-shion

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