第27話 葛城薫という男(後)

 「終戦の日は、8月15日ですけどね」


 葛城さんは、軽くため息をついた。


「わては玉音放送を聞いとらんのですよ。その頃にはとっくに現地で果ててましたし」

「……」

「せやから、戦争が終わったっちゅう実感が持てなくて」


 俺は戦争経験がないから分からないが、当事者にとってはそういう感じだったのかもしれないな、と思った。


「……あの、葛城さんは、どちらに行かれたんですか?」

「わては……南の方です。東南アジアですね」


 ロシアなど北の方に行かされた人たちは、抑留されるなど酷い待遇を受けたものの、命だけは助かったというケースが多かったという話を聞いたことがあった。一方で南の方に行った人たちは、劣悪な環境下に置かれたこともあって、病気で亡くなった人が多かったという。


「衛生環境は最悪でしたよ。それに栄養状態も……。わては仲間が次々と死んでいくのを間近で見ていました。戦功を立てられへんかった未練を、息も絶え絶えに呟きながら、みんな……」


 ……何も言えなかった。


「……かくいうわても、何もできずに死んだ兵隊のうちの一人なんです。わては、戦場で、流れ弾に当たって果てました。なんともあっけない死に方でしたよ。でもまあ、即死やなかったんで、今までの人生を振り返るくらいの余裕はありました。まだまだやりたいことはぎょうさんあるなぁ、思て……。そして、わては死の間際に、どうしても妻子に会いたいと強く願うたんです。そうしたら……」

「……そうしたら?」


 葛城さんはふっと軽く息を吐いて、微笑を浮かべてこっちを向いた。


「気ぃついたら、わては真っ暗な闇の中にいました。なんや妙に身体が軽くて、どないなってしもたんやろ思てたら、目の前に誰か立ってるのが見えたんです。誰や思て、よう目を凝らしたら、えらい別嬪さんやと分かって」

「別嬪さん……?」

「ええ」


 葛城さんは笑みを深くした。……美形の笑顔の破壊力はすごいな。男の俺でもちょっとどきりとしてしまった。なんて、そんなことは今どうでもいい。


「それが、橘様だったんですよ」


 え、ここで出てくんの……?


「あのお方はわてに、死神にならんかって言わはりました。汝にはその素質があるって。……まあ、最初は何のことやらという感じでしたけど」


 そりゃそうだ。そんな訳分からん状況で死神云々とか言われても、混乱するに決まっている。


「まあ、それで、いろいろお話をうかがっているうちに、死神の仕事に興味が湧きましてね。……それに、死神になれば再び肉体を手に入れて、現世に降りることができると聞いたもんですから、もしかしたらもう一回家族に会えるんちゃうか、思いまして」

「……なるほど、それで死神に……」

「ええ。それで、わてはあのお方の提案をお受けしました。……橘様は、わてに、家族の様子を見に行くことを許してくださいましたから、わては早速生前住んでいた家に行きました」


 葛城さんはまた一口水を飲んだ。


「……家は、空襲で焼けてしまっていました。それで、わては、家族を探し回りました。この身はもうこの世のものではなくても、残してきた家族の安否がどうしても気になりまして。……ああ、家族はみんな無事でしたよ。郊外の親戚の家に疎開していたようで」

「そうでしたか……それは良かった」

「……本当は、生きて帰りたかったんですけどね」


 葛城さんは寂しげに笑った。


「でも……それでも、わては嬉しかったんですよ。二度と会われへんと思うてた家族に、もう一度会えて。たとえ向こうには気づいてもらわれへんかったとしても、会えんまま彼岸あっちへ行くのよりはずっとええ、と思いまして」

「え、ご家族には気づいてもらえなかったんですか?」

「ええ……橘様曰く、元人間の死神は、生前関わりのあった人間には見えへん……というか、認識してもらうことができへんみたいなんですわ」

「そうなんですか……初耳ですね」

「まあ、普段こんな話は誰ともしまへんから、当然ですよ。……それで、わては橘様に感謝してるんです。もう一回家族の顔を見る機会を頂けましたから。それでわての未練が晴れるわけやありまへんけど、ともかく嬉しかったのは確かなんです。それ以来、わてはあのお方に誠心誠意尽くすことを誓いました」


 な、なんか急に重くね? ……とは思ったが、葛城さんが橘に従順なのにはそういう理由があったのか。


 それにしても、なんかいろいろ新情報を聞けた気がするな。まあ、それが実際に俺にどの程度役立つかは分からないけど。


「長々と話してしもて、えらいすんまへんでした。こんな年寄りの言うことに耳貸してもろて、ほんまおおきに。……ほな、そろそろ作業に戻りましょか」


 葛城さんはそう言うとおもむろに腰を上げ、大きく伸びをした。……というか、葛城さん、どう頑張っても30代ぐらいにしか見えないから、年寄りって言われてもなあ。でも、精神年齢はもっと上か……。









 戦争、か。


 人道的に絶対やっちゃいけない行為なのは間違いないが、それでも人間は何回も繰り返してきたんだよな。


 戦争は多くのものを犠牲にする。人の命はもちろんのこと、人間以外の生命や、環境や、その他諸々が、全部一瞬にして失われてしまうのだろう。


 戦争で勝ったところで、死んだ人は帰ってこない。失ったものは戻らない。それが分かっていながら、どうして人間は争いを繰り返してしまうのだろうか。……橘なら、「人の子は愚かである故、致し方ないことじゃ」とか言って片付けちゃうのかもしれないが。


 でもまあ、非力な俺がここで一人かこったところで何にもならないよな。


 俺は半ば諦観にも似た感情を抱いていた。


「更級さん、はよ来てください。置いてきますよー」

「ああ、今行きます! ちょっと待っててください」


 葛城さんに急かされた俺は、慌てて木に立てかけておいたスコップをひっ掴んで、もう50メートルぐらい先にいる葛城さんの後を追った。



 


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