第28話 死神様と怪談(前)
……あぢぃ。
マジ暑い。クソ暑い。超暑い。
もう8月の下旬だから、この暑さは残暑というべきものなんだろうが、それにしても暑すぎる。というか、そもそも立秋って言葉自体がこの異常気象のご時世における暦には適当じゃないんじゃないだろうか。涼しい秋が来るのは、まだまだ先に思われてしょうがない。
あー畜生、どうにかしてこの酷暑を乗り切りたいもんだ。そうだな、アイスとか食べて……と思っていたら、突然橘が声をかけてきた。
「更級。今日は蒸すゆえ、かき氷を食したいのじゃが」
「いや、この辺にかき氷売ってる店ねーよ! つーかこないだかき氷食ったばっかりじゃねーか、どんだけかき氷好きなんだよアンタ!」
「本来ならば汝に作れと申したいのじゃが、流石にさような機材までは持ち合わせておらぬであろうな。ならば……まあ良い。氷菓で妥協してやろう」
「やっぱり買いに行けってか! っていうか、氷菓って具体的には何だよ?」
「ふむ……そうじゃな。『あいすきゃんでー』で良い」
「ふーん……で、味は何がいい?」
「
……そんなわけで、いつものわがままにお答えして、俺は近所のスーパーまで買い物に出かけた。
額に浮かぶ汗を拭って、店内に足を踏み出した。
一歩中に入った途端、身体全体を包み込む冷気が心地良い。本来俺はこういう人工的な風とかはちょっと苦手なのだが、この殺人的な暑さに対抗するには致し方ないだろう。熱中症になったら大変だからな。
俺は氷菓売り場に向かう途中、ついでだからと野菜とか肉とかを物色した。安くなっていた色艶の良いピーマンと、庶民の味方もやしを買い物かごに入れ、目的地を目指した。
……で、そこで、激しく見覚えのある背の高い女性を見つけた。
「姉貴……?」
振り返った彼女は、なんかいろいろ入ったかごを片手に持ちながら、もう片方の手で買い物メモと思しき紙切れを握りしめていた。
「おお、慎哉じゃねーか。こんなとこで会うなんて奇遇……でもねーな」
「まあ、そうだな……。買い物か?」
「当たり前だろ。他に何の用があってここに来るんだ」
「いやそうなんだけどさ……」
「なあ、聞いてくれよ。彰彦の奴がさ、こんな分かりづれぇメモ寄越しやがったんだ。字が汚くて読めやしねえ。帰ったらシメてやる」
そう言って姉貴が突きつけてきたメモを見ると、確かに非常に読みづらかった。彰彦さんは、漫画家をやってるくらいだから絵は上手いのだが、字はとても汚いのだ。でも……。
「ああ、読めねーな。姉貴とどっこいどっこいだ」
「あ? 何だって?」
「あ、いや、……何でもありません」
「ふん、ならいいんだけどよ」
姉貴は自覚していないが、実はかなり字が汚い。その点彰彦さんは、よく「僕は字が下手だから……」と言っているだけ、姉貴よりもマシなのかもしれない。そんなことを考えていると、姉貴が、
「なあ慎哉、今日これからお前ん家で怪談話大会しようぜ。真紀も誘ってさぁ」
と、何やら意地の悪そうな笑みを浮かべて言ってきた。
「はあ!? 何でだよいきなり!」
「だって今日クソ暑いじゃん。古典的かもしれないが、夏はやっぱり怪談だろ。怖い話して涼しくなろうぜー」
「……あのぉ、お姉さん、俺がそういう話苦手だって知ってますよね?」
「おう、もちろん。だからこそ、だよ」
「……」
……相変わらず趣味の悪い姉貴だ。でもまあ毎年のことだし、別に今更取り立てて責めることでもないか。
「というか、真紀が嫌がったらどうすんだよ?」
「場合によっては聞かなくていいって言うから心配すんな。お前は強制参加だけどな」
「いやなんでだよ! 俺に選択の自由はないんですか!!」
そんなわけで、また姉貴が俺の部屋に突撃してくることになったのである。
「はあ? 怪談?」
家に上がり込んできた姉貴に依頼され、またもや橘に呼び出された真紀は、不快そうな顔をして姉貴を軽く睨んだ。
「そうだよ。嫌か?」
「……」
真紀は俯いて黙り込んだ。俺は、
「嫌なら無理しなくていいんだぞ。大丈夫か?」
と言ったが、真紀はかぶりを振った。
「べ、別に、全然ヘーキだし」
……声が震えている。強がっているのは明らかだが、そこを突っ込むと機嫌を損ねそうな気がするのでやめておこう。
姉貴は早速本題に入った。
「橘さん、アンタ長く生きてきたなら、怪談もいっぱい知ってるんじゃないですか?」
「ふむ……怪談か。まあそれなりには存じておるぞ。この時期の風物詩じゃな。汝、聞きたいか?」
「もちろんです」
姉貴は勢い込んで言った。ちなみに橘は、さっき俺が買ってきたオレンジ味の棒状のアイスキャンデーを舐めている。ひとまずお気に召したようで良かった。というか俺は怪談無理だっつってんのに。
橘は咳払いをすると、おもむろに口を開いた。
「では、まず、『番町皿屋敷』から始めるとするかの。汝らはこの話を存じておるか?」
「あー、はいはい。知ってますよ。お菊さんの話ですよね。確かこう、井戸の底から皿を数える声が聞こえてきて、9枚まで数えた後でその声が泣き声に変わるっていう……」
「ギィヤアアアアア!! やめてぇえええええ!!」
俺は思わず絶叫してしまった。やっぱ無理だ、マジで無理。こういうのホント駄目なんだわ俺……。
「おい慎哉、何だよ。ちょっとあらすじ話しただけだろうが」
「もうその時点で無理なんだっつーの!」
俺はちらりと真紀の様子を窺った。
「おい、真紀、お前大丈夫か?」
「……だっ、ダイジョーブに決まってんだろうが!!」
とは言うものの、真紀の顔は青ざめている。……とても大丈夫そうには見えない。そんな俺たちを置き去りにして、橘と姉貴は怪談話で盛り上がっている。
「ふむ、汝、存じておるのか。では別の話をするとするかの。そうじゃな……汝ら、小泉八雲は存じておるか?」
「小泉八雲……なんか『怪談』っていうの書いた人でしたっけ? でも日本人じゃなかったような」
「本名ラフカディオ=ハーン。ギリシャ生まれ。小泉節子と結婚し日本に帰化、八雲と名乗る。妻から聞いた『耳なし芳一』や『ろくろ首』などの物語を『怪談』と題し小説として発表。他、評論も執筆し、日本文化を海外に広く発信したことで知られる」
俺が
「なんだ慎哉、急に語りやがって。……ああ、そうか、お前の好きそうな話題だもんな。流石文豪オタクだ」
「いや、文豪オタクっていうか、興味があって調べただけだよ」
「そういうのオタクって言うんだよ。で、お前、その八雲の小説読んだことあんのか?」
「いや、だから、怖そうだから読んでねーんだよ」
「左様か。では、『ろくろ首』の話でもしてやろうかの」
「お願いしまーす」
「な、ちょっ、心の準備が……!」
俺の話など聞かず、橘は割と平坦な調子で語り始めた。
「……今は昔、あるところに、一人の僧侶がおった。かつては
橘の語り口だと、ホントになんか日本むかし話みたいなノリに聞こえるな。雰囲気出るっつーか。まあ、今橘は幼女の姿なんだけど。
「きこりの家には、主人の他に四人ほどの人の子がおった。僧は暖こう出迎えられ、食と床が与えられた。僧は家の者が寝静まった後、夜遅くまで経を読んでおった。読経を終えて部屋を出てみると、
……えっ!? 何、首がなくなった!? 伸びたんじゃなくて?
「僧は、用心しつつ家の外に出た。そして、近くの森で何やら談笑する声が聞こえてきた故、勘付かれぬよう森の中の様子を覗うた。すると、五つの首が飛び回りながら話をしておったのじゃ。耳を澄ませてみると、どうやら僧を食う算段を整えておるらしい。そうしておるうちに、一つの首が家の方に飛んでゆき、戻ってきた。そして、僧の姿がなく、主人の胴体が動かされたことを告げた。怒り狂うた主人どもの首は、木陰に隠れておった僧を目ざとく見つけると、引き裂いて食らおうとし、僧に飛びかかりおった。じゃが、この僧は豪胆かつ強者での。近くにあった木を引き抜いて応戦した。四つの首はこれに怖気付いて逃げ去ったが、主人の首だけは諦めず襲いかかり、しまいには僧の袖に噛みついた。首はしばしもがいておったが、そのうち動かぬようになった。僧はその首を取ろうとしたが、如何にしても離れなかったそうじゃ。故に僧は、化け物の首とは良い手土産ができたと、豪快に笑うて、そのまま山を下ったという。……これでこの話はしまいじゃ」
……。
今日夜にトイレ行けるかな……。
「へえ、首が抜けるタイプの話もあるんすね。あたし、伸びるタイプしか知らなかったです」
姉貴は興味深そうに聞いている。
「左様じゃ。まあ、これはあらましを儂なりに語り直した形になる故、多少割愛した部分はあるがの。……では、透殿。汝は何か怪談を存じておるか?」
「あたしですか? ええ、まあ、ちょっとは」
「ふむ、ならば話してみよ。現代の怪談というものを聞かばやと思うておったのじゃ」
「あ、そうなんすか。じゃ、遠慮なく」
姉貴のテンションが心なしか上がっているようだ。こういう時は大抵ろくなことにならない。
俺は一抹の不安を抱えつつ、姉貴の話を聞かされることとなった。
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