第10話 真紀の先輩(前)

 「えーと、牛乳、キャベツ、ほうれん草……っと、あとは……」


 俺は近所のスーパーに買い物に来ている。そろそろ食料が尽きてきたので、補充しないといけなくなったのだ。まあ、それもこれもどっかの死神が俺の分まで食いつぶしてしまうからなんだが。


「更級。これを買ってはくれぬか?」


 隣には例のごとく橘がいる。今日は何を思ったのか若い女性の姿だ。長い黒髪を三つ編みにして左肩から垂らしており、淡い茶色のワンピースを着ている。履いているのは黒いショートブーツだ。あと、俺にとってはあまり重要な事項ではないが……巨乳である。何カップだ……? Gくらいか? ……いや、こういう下世話な話は好きじゃない。この辺でやめておこう。……でも、それにしても、はっきり言ってなかなか魅力的な容姿なのが少々しゃくに触る。そしてその手には知育菓子があった。パッケージに「ぬるぬるぬるぬ」と書いてある。


「え、何? それが欲しいのか?」

「うむ。以前より興味があったのじゃ」

「へえ、これにか? でもこれ、子ども向けのだぞ?」

「関係なかろう。儂が欲しておるのじゃから、汝は文句を言わずただ買えば良いのじゃ。それとも何じゃ、儂の命令に背く気か?」


 そんなわけないじゃん。アンタと出会ってから、常に逆らったら即死刑みたいな状況に置かれてるんだぞ、俺。はっきり言うとさ、俺、長生きしたいんだよね。だからそんな命を粗末にするような行為は絶対しねーよ。


「いや、そういうつもりじゃないんだけど……。分かった、買えばいいんだろ?」

「ふん、分かればよい」

「……ところで、アンタ、なんでそんな格好なんだ?」

「そんな、とは?」

「いや、だからその、今日はアンタ女の人の姿じゃん。なんか意味でもあんのか?」

「儂の気分じゃ。それ以外に理由などない」

「え、ええ……」


 俺は困惑した。なんだ、気分かよ。じゃあそういう格好はやめてもらえませんかね? 気が散るんで。今のアンタの容姿、かなり俺の好みのタイプなんだよ……。


 俺は別に多くの人にモテたいとは思っていない。お互いに心を通わせあったただ一人の相手と良い関係を結べたらそれで十分だと思う。……だが、問題はその相手に未だ巡り会ったことがないということだ。俺は特別不細工ではないと思うが、かといって美形でもない。まあ普通なんだろう、多分。あと、俺には特にこれといって誇るべき長所があるわけではない。それから、俺はおしゃれというものと無縁な男だ。興味がないのである。それもまた俺が色恋とは縁がないことの原因なんだろうな……。


「というか、俺の知り合いにでも会ったらどう説明するんだよこの状況?」

「案ずるな。逢い引きの最中だといえばよかろう」

「どこの世界にデートスポットにスーパーを選ぶ奴がいますか!?」











 家に帰ると、俺はすぐに仕事を始めた。副業の翻訳の仕事が締め切りを控えているのだ。


「ん? 待てよ、ここは文脈的にこっちの意味の方がいいのか……? いややっぱ変えない方がいいかも。あ、じゃあここも……」

「汝、もう少し静謐せいひつにできぬのか。気が散って仕方がないであろう」

「あー、悪い悪い。つい習慣でな……口に出して確認しないとダメでさ。……ってか、アンタ何やってんだ?」

「見て分からぬか? 先ほどの知育菓子を作っておるのじゃ。これは色が変じるのじゃな。なかなか興味深い。幼子向けとあなどるなかれ、更級」


 見ると橘は、さっきの菓子をこねくり回していた。確かに色が変わり、粘り気が出ている。その完成品を、橘は物珍しそうにしげしげと眺めている。成人女性(の姿をした奴)が子ども向けの菓子を嬉々として作っているのを見るのは、なんともシュールな気分だった。


 と、その時、チャイムが鳴った。


「え、前回に引き続いて来客かよ。今度は誰だ? というか、この話ワンパターン化してきてないか?」

「文句を言わずに応対した方が良いのではないか? 何が不満だか存ぜぬが」

「あー……はいはい」


 マジでもうちょっと話のパターン増やした方がいいと思うけどな。小説家の立場から言わせてもらうと。まあでも、俺は物語の登場人物だから、作者に口出しはできないんだよな……。実に残念だ。


 とりあえず、俺は玄関まで行ってドアのレンズをのぞき込んだ。そこには、見知らぬ男性が立っていた。見た所二十代から三十代くらいのようだ。


「だ、誰……?」


 俺が戸惑っていると、


「誰じゃ? 見せてみよ」


と、橘は言い、つかつかとドアまで歩み寄ってきた。そして、


「……ああ、此奴か。案ずるな、儂の部下の一人じゃ。開けるがよい」


と言った。


「え、部下? ってことは、真紀と同じってことか?」

「うむ。此奴もまた元は人の子じゃったからのう」


 マジか。新キャラかよ……。今度は一体どんな奴なんだ? というか、何の用があって来たんだ?

 とりあえず俺は、「はい」と短く返事してドアを開けた。


 そこに立っていた男性は、思いの外顔立ちが整っていて背が高かった。……まあ、俺よりは低かったのだが。


「……こんにちは。はじめまして。更級さん、ですね? 突然失礼いたします。私は死神の葛城かつらぎと申しますが、ここに葵は来ていないでしょうか?」


 葛城と名乗ったその男性は、丁寧に挨拶して用件を簡潔に言った。


「あ、どうも、こんにちは……。えっと、そうです、私が更級です。葵というのは、葵真紀くんのことでよろしいでしょうか? 彼なら今日は来ていませんが」


 我ながら、これだけ怪異現象ともおぼしき状況に立ち会ってきたため、対処に慣れてきたなと思う。つられてつい丁寧な口調になったが。


「ああ、そうですか……。分かりました。彼がここに来たら、私に連絡するように伝えていただけますか?」

「あ、はい。分かりました」


 俺がそう言うと、葛城さんは、


「よろしくお願いします。では……」


と言って、立ち去りかけた。その時、


「葛城。汝も精が出るのう」


と、橘が彼に呼びかけた。すると、


「あ、た、橘様……! こちらにいらしたのですね! お会いしとうございました!」


と、橘の姿を認めた彼は、パッと顔を輝かせ、心底嬉しそうに言った。


「して、首尾の方は如何いかがしたのじゃ? 儂に何か報告すべきことがあるのではないか?」


 すると葛城さんは表情を曇らせた。


「……はい。実は、大変情けないのですが、またつるばみに逃げられまして……」

「何? また逃げ出したのか。全く、汝らは何をしておるのじゃ。彼奴からはゆめゆめ目を離すなとあれほど申したであろうに」

「申し訳ございません……。この葛城の不徳の致すところです。どうか私に相応しい罰をお与えください」


 葛城さんは深くこうべを垂れた。


「まあ良い。彼奴の怠け癖は儂も知るところじゃ。とにかく、く彼奴を捕らえよ。処罰云々うんぬんの話はそれからじゃ」

「承知いたしました。ではこれより奴の捕獲に参ります」

「うむ。良い報告を待っておるぞ」

「はっ」


 何の話をしているのかは分からないが、どうやら逃げた誰かを追っているようだ。まあ俺には関係ないんだろう。そして、今度こそ葛城さんが帰ろうとすると、彼のポケットから着信音みたいな音が鳴った。「少々失礼いたします」と彼は早口に呟き、ポケットからスマホのような端末を取り出して耳に当てた。


「もしもし? 俺です、葛城です。どうしました? ……ああ、本当ですか! それは良かった。今はどうしています? ……ああ、そうですか。ではそのまま縛っておいてください。俺もおいおい行きますので。お疲れ様です。では」


 どうやら誰かと通話していたらしい。葛城さんは話し終わると端末を軽くいじってからポケットにしまった。


「如何したのじゃ」

「あ、はい。どうやら橡が捕らえられたそうです。今は冥界にて緊縛されているとのことです。えんじゅさんから連絡がありました。彼が見つけて捕まえたそうです」


 またなんか新キャラらしき名前が出たが、部外者の俺は口を挟まない方が無難だろう。


「おお、誠か。あとで彼奴を労わねばな。……そうじゃ、それでは汝も昼餉を共にせぬか? く必要も無くなったのであろう?」

「ま、誠ですか⁉︎ それは恐れ多い……いえ、でも、本当によろしいのですか?」

「無論じゃ」

「ああ……ありがたき幸せ。ところで、どこで食すのですか?」

「何を言うておる。ここに決まっておるであろう」


 ……予想通りの展開になった。もうこれくらいでは動じなくなってしまった自分に驚きだ……。この流れだとなんか一、二話に一品は飯を作らないといけない感じだな、うん。はあ、全くしょうがねえな……。


 俺は覚悟を決め、キッチンへ向かった。

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