式神召喚

DA☆

式神召喚

 いつ頃からか、どこで覚えてきたのだか、クラスの男子に式神を出してくれなどと冗談半分で言われるようになった。もう半分はマジメなんだから困った話だ。


 われはアホかという答えを繰り返した。まったく神主の娘などに生まれつくものではない。


 式神ってのは、あれだ、今はやりの陰陽師が使役する精霊のことだが、彼らの手元に入ってくる小説やマンガの中では、それを呼び出すのはたいてい巫女であるという縮図ができているようなのだ。まぁ、確かに「かんなぎ」の役ではあるのだろうけれど、彼らはたかだか鎮守の社に何を期待しているのだろう。


 そもそも日本で神職っていうのは、超能力を駆使する人のことじゃない。祈祷師の意味さえ薄く、むしろコミュニティの統括者という認識が正しいと思っている。権力と信仰のどっちつかずで、どちらも偉ぶるほどのものじゃなく、そのていどの曖昧さを日本人は崇拝という行為に求めてきた。そして崇拝すべきものが戦争ですり替えられたあげく、こと都会では跡形もなくなくなってしまった今日に至ってもだらだらと求め続け、その結果が、昼間っからテキ屋どもと酒タバコをかっくらう両親の姿である。


 ま、悪いコトしてるわけじゃないので放っておいているが、あいつらは十五の娘に対する情操教育をなんだと思っているのだろう。そのくせ茶髪にしようかなと口走ったら、勘当せんかという勢いで怒鳴られたのだ。




 一週間後に例大祭を控えた秋の日のことだった。


 神の座所を清めるとかそういうんじゃなくて、自分の家に吸い殻だの空き缶だのが散らばっているのが許せないので、放課後、家に帰ってきたら必ず掃除をすることにしている。


 ときどき、着替えすらさぼってジャージですますこともあるが、その日はちゃんと白衣緋袴を身につけていた。境内のゴミを拾い、掃き清める。それだけで終われば楽なのだが、裏の林の中にやらしい本が落ちていたり、賽銭箱にガムや粘着剤が仕込んであったりするから、もっと隅々まで気を配るのが常だった。だから、拝殿に上がる木の階段の陰で、汚い男が寝ているのも、すぐに発見できたのだ。


 昨今はホームレスが紛れ込むなど別段珍しいことでもない。縁や階段の下には金網が張ってあり、奥には潜り込めないようになっているが、それでもほんの少し残った出っ張りを雨避けにしようとする輩は少なくなかった。


 とはいえ、男に足下からぎょろりと睨まれるのは、さすがに顔から血の引く思いだった。こういうときはすぐに近くの交番に電話するのが決まりで、あたしは慌てて身を翻して走り出そうとした。───とたんに袴の裾をつかまれた。こんなことならジャージにしておくんだった。今度は『思い』じゃなくてはっきり顔から血が引くのを感じた。気管に何か詰まるような衝撃があって、声も出せなかった。


 ところがだ。


 汚い男はあたしの怯えた表情にしばらくとまどったようだったが、すぐに、いきなり土下座した。さらには訳のわからない声で何やらまくし立て始めた。どうやら、身の危険を感じてるのはあたしより男の方のようだった。


 訳のわからない声はほんとうに訳のわからない声で、悲鳴や混乱とも違う、明らかに文法からして別の国の言葉だった。たぶん、中国語で、ひたすら謝っているらしい。密入国者か何かなのかな。どうやらお上に突き出すのだけはご勘弁ということらしい。


 やがて男はぽんと手を叩いた。上着を脱いで、ランニングシャツ一枚きりになった後、枕替わりにしていたリュックをがさごそやり出すと、何かを両手に握って取り出した。その手をさっと握ったり閉じたり合わせたりして───てのひらが突然ぼうっと青く燃え上がったじゃないか! 火の玉のようにゆらゆらしている。指を近づけたら、やっぱり熱かった。


 手の中にマッチやライターがあったとは思われない。いま思えば、発熱反応や、炎色反応といった、理科の授業でやった化学の技術を応用しているんだろうけど───しくみがわからず、あたしはほんとうにビックリした。そうかと思えば、その火を大きくしたり、小さくしたり、指先に移動させたり、炎の色を変えたり、───あたしは、境内が火気厳禁なのも忘れて、その手品のような魔法のような炎のショウにしばらく見惚れていた。


 男はそんなあたしを見て微笑した。自分のとっておきの芸を見せれば許してもらえるかもしれないと思っていたらしい。


 実際には、それでも警察へ通報、がスジだったと思うけれど、結果的にはその時間稼ぎが許しを出すことになった。そうしてあたしが炎を眺めているうちに、外で寄り合いをしていた親父がひょっこり境内に姿を現したのだ。どうしよう、と相談したら、少し考えた親父は、携帯を取り出してどこかへ連絡を入れ、氏子のひとり───というよりは昼から酒盛りに集まるろくでなしの一員───である、中国人を呼びつけた。


 氏子と親父との相談が始まり、男はその人の家に厄介になることになった。後で聞いた話では、男の名前はリューといい、大道芸で身を立てられないかという話をしていたそうだ。


 あたしが親父や氏子を取りなしたように映ったのか、リューさんは去り際に、恩に着ますというようにあたしに向かってぺこぺこと頭を下げていた。




 例大祭の日はすぐにやってきた。


 日頃は閑散としたうちの神社も、この日だけは人でごった返す。あたしも学校を早退して、神事に備えた。帰ってきたら、通りのあちこちで屋台の設営が始まっていた。石段下の駐車場も、今日は車があらかじめ移動され、いくつかの屋台と、小さなイベント用のステージが作られていた。その近くに、身なりをこしらえたリューさんがいて、にこやかな笑顔であたしに手を振っていた。あの火の芸を、ステージで披露するらしい。見に来てほしいと訴えているようだった。


 見に行きたかったけれど、行けるかどうかはわからなかった。今日だけはよそからの応援も来て、厳密な儀式がいくつも行われる。あたしも舞を奉納しなくてはならなかった。


 すべての神事をひととおりすませても、あたしにはまだ仕事が残っていた。


 今日だけ雇ったバイトさんが帰る夕方以降、社務所でお守りやおみくじの授与をするのは、中一の頃からあたしの仕事なのだ。両親はどうしているかというと、祭りの実行委員会本部に入り、御神酒を振る舞っている。むろん自分らも飲む。ったくもう! 怒鳴りつけてやりたかったけど、授与の窓口は、実行委員会本部のテントが見える向きにない。参道からも少し離れていて、おみくじやおまもり以外の目的で人が来ることはまれな場所だった。


 最初のうちは、ご近所のおばちゃんとか子供とか、仲睦まじいカップルとかが頻繁にやってきてにぎやかだった。あたしがいることを知っている友達も何人か来て、巫女装束を冷やかしていった。


 夜も更けてくると参拝者が減り、ときおり来る人も酔客が多くなってくる。酔っぱらいの相手は親で慣れてるとはいえ、楽しい話ではなかった。


 だから、午後九時も回ってそろそろ片づけを始めようとしていた頃、軒先に現れたマスクをつけた男はしらふだったので、むしろあたしは安心したのだ。


 並べられた品をしばらく見渡した後、ここにあるもんやけどな、と男はぼそりと言って、窓口の灯火が逆光になるあたりを指差した。そのあたりに陳列している品はないはずだったが、薄暗くてよく見えなかった。


 どれですか、とあたしは窓口から身を乗り出した。


 とたんに腕をつかまれ、頬のあたりに冷たいものがあてがわれた。幅の広い、サバイバルナイフだった。


 リューさんに袴をつかまれたときと同じように、息が詰まった。でも、今度は相手の様子に変化はない。ホントのホントに、危ない状態だと気づいた。声を出すなと男が言った。とても出せそうになかった。金を出せと男が言った。とても動けそうになかった。早くしろ! と語気が募った。


 ここから実行委員会のテントが見えないということは、この場所がテントから死角になるということだった。そんな窓口に、あたしひとり。人通りが途絶え、逆に御初穂のそろうこの時間を狙っていたんだ。


 どうしていいかわからなかったし、どうしようもなかった。御初穂を納めていた木の箱を、震える手でつかんだ。


 一瞬、リューさんが微笑みながら見せてくれた炎の芸が、なぜか頭の隅をよぎった。あの人はいい人だったのに、と思った。


 そのときだ。


 強盗の背後で砂利を踏む音がした。視界に突然現れたのは、リューさんだった。


 後から聞いた話では、ステージで芸を見せた後、見に来なかったあたしの居場所を尋ねていたそうだ。だけどちょうどこのタイミングで現れたというのは、いったい何の偶然だったろう。


 強盗が振り向いて、見とんなワレ失せろ! 低い声で言って、ナイフをリューさんに向けて振り回した。あたしの手をしっかりとつかんだままだった。リューさんは閃くナイフを前に、近づけずにいた。


 強盗の注意がそれたこの隙に、あたしに何かできればよかったのだろうけれど、あたしの手は震えたままで、体もがたがた震えたままで、怖くて怖くて、何もできなかった。


 リューさんが中国語で何か言っている。意味はわからなくても怒りが伝わってくる。


 ついに怒り心頭に発したリューさんは行動に出た。


 ───それは、リューさん一世一代の大技だったかもしれない。


 口の中に何かを放り込んだかと思うや、───強盗の顔面に向けて、口から、鮮やかな七色の巨大な火炎を吹き出したのだ!


 突然の遠距離攻撃を避けきれず、強盗の頭は炎に包まれた。ぎゃああああぁ、と激しい悲鳴をあげて、強盗は火だるまになった。むろんあたしからは手が離れ、よろけながら火を消そうと頭をかきむしる。火の粉が飛び散り、築数十年を数える古びた社務所にもあっという間に七色の炎が燃え移った。炎の色が、木の燃える、オレンジ一色に変わっていく。


 騒ぎと悲鳴を聞きつけ、火を見ていっぺんに酒が抜けた顔で駈けてきた親父が、ふらつきながらも去年設置したばかりの防火スプリンクラーのスイッチを入れた。


 一斉に水が放出され、火はすぐに鎮まった。あたりは水びたしになったが、幸いぼやと呼べるものにも至らず、火は強盗にやけどを負わせ社務所の壁に焦げを作るにとどまった。強盗は祭りの警備担当者に取り押さえられ、警察より先に病院送りになった。


 あたしが一連の出来事に茫然自失としている間に、我に返ったリューさんは集まってくる人垣を突き飛ばしかき分けて、その場から逃げ去った。そのままどこへともなく姿を消してしまい、祭りが終わった後も、行方はようとして知れなかった。


 世話人だった氏子の中国人は、こんなおおごとをしでかして、ヤツは恩を仇で返しやがったと仏頂面だった。たとえあたしを守る理由があったとしても、また相手が強盗だったとしても、炎で人を傷つけ、建物を損ねた罪は、火を扱う人間が犯したがゆえに重い。彼自身がそう悟って、もう戻るまいと去っていったのだろう。


 またホームレスのようななりで、どこかを流浪しているのだろうか。




 式神というのは、神様でも魔物でもなくって、陰陽師安倍晴明に仕えた大陸渡来の技術者だという説があるそうだ。庶民の知らない技術を駆使したがゆえに信奉され、神格化されたのだという。


 それなら───リューさんは、まさしく式神で。


 あたしは巫女の身分で、式神を召喚してしまったんだ。あまつさえ暴走させたんだ。きっと、あたしが、未熟だったから。


 神職がコミュニティの統括者だとするなら、なおさら式神を扱えなくてはならないのだとあたしは知った。異なる力を。異なる技術を。異なる文化を、堂々とまとめ上げる。


 あたしは式神使いになろうと思った。修行を、始めなくちゃ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

式神召喚 DA☆ @darkn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ