第2話 きらきら光る
音沢 おと
第2話 きらきら光る
音沢 おと
桜が三分咲きになった。
朝の陽射しは、日々強くなっている。
ばさっと音がして、枝の向こうにカラスが飛んでいった。
八幡神社の境内には、お地蔵さんがいる。赤い前掛けをしたお地蔵さんの足元には、お供え物がある。だが食べ物や飲み物ではない。
「お地蔵さん」
たんぽぽ幼稚園の制服を着た良(りょう)は、母のゆり子と握っていた手を離すと、境内を走り出した。足元が危なっかしい。運動会では、毎年かけっこはビリだ。
「あー」
良の上げた声に、ゆり子は近づき、「どうしたの?」と訊く。
「ねえねえ、僕が、昨日お供えしたおはじき、減ってるよ」
「あら、そうなの?」
毎日、良はゆり子と歩いて境内を通り、幼稚園に行く。毎朝、ポケットに入れておいたおはじきを、一つずつ、お地蔵さんにお供えしていた。
「ほら、減ってる。えーっと、」
と良は数えながら、「七つだよ。確か、僕十、置いたもん」と口をとがらせる。
「へえ、良、すごいねえ。数えられるなんて」
ゆり子は口元を緩める。
「でね、無くなったのが、三だよ」
良は自慢げに、ゆり子を見あげる。園の紺の帽子から覗く笑みに、ゆり子は思わず、抱きしめたくなる。
「だけど、誰が持って行ったんだろ。僕、お地蔵さんにお祈りしたのに」
良が急に悲しそうな顔をする。
「そうだね。良、毎日、おうちから持ってきたおはじき、お地蔵さんにお供えしたもんね。でも、何をお祈りしてたの?」
ゆり子の言葉に、良は唇を噛んで、ぼそりと言った。
「……ケンジくんに、いじわるされないようにって」
良の目が少し潤んでいる。ゆり子は、紺の帽子の上から頭を撫でて、屈み、良の目をじっと見た。
「そうなの。いじわるされてたの。そうか。ママ知らなかった」
「うん、うん」
良は頷き、唇を噛みしめていた。
「ありがとうね。教えてくれて」
ゆり子は両手を広げる。少し汗の匂いのする柔らかな良の体をぎゅっと抱きとめた。
「……ねえ、ママ、せっかくお地蔵さんにあげたのに」
良は悔しそうに言った。
八幡神社のお地蔵さんは、子供の願いを聞いてくれる。困った子供を助けてくれる。
そう話したのは、ゆり子の母だ。
「お地蔵さんは、もともと、子供の成長を祈ってくれるんだよ。それに、お地蔵さんは、一緒に遊びたがっているんだよ」
良は、祖母からもらった古いおはじきを大切にしていた。クッキー缶に入った、祖母の子供の頃のものらしい。
小さな丸いガラスの中に、赤や黄、青、といった色がぽとりと染め付けられている。光にかざすと、きらきらと輝く。
それが、良には宝物のように見えた。
良が毎朝、一つずつ、おはじきをお地蔵さんにお供えしたのは、祖母の言葉を覚えていたからだろう。
「ねえ、ママ、どうして無くなったの?」
良の言葉に、ゆり子は口を噤む。
この境内は幼稚園への近道だ。神社の裏手に幼稚園がある。他の子供たちも当然、保護者に連れられてここを通る。
「僕さ、ケンジくんに、お地蔵さんが僕を守ってくれるんだ、って言ったんだ」
良の言葉に、ゆり子はふうっと息を吐く。
「そうか」
ばさっ、と音がした。
見ると、大きなカラスが近くを飛んでいった。
良が「うわっ」と声を上げる。
「あら、危ないわね。春先は、カラス、気がたっているのよ」
ゆり子は、良の腕をぎゅっと掴み、「幼稚園に急ぎましょうか」と引っ張る。
「う、うん」
良は、少し怯えた顔をしている。
ゆり子は良の手を握る。小さな柔らかい手だ。この手で、大事なおはじきを一枚ずつ、お地蔵さまにお供えして、お願いしていたのだ。
良と歩く。
ゆり子からは、幼稚園の帽子を被った頭と、肩から掛けた茶色の幼稚園バッグが見える。年長になっても小柄な良は、まだ制服にも余裕がある。
ケンジくん、という子供を思い浮かべてみる。クラスで一番大きな子で、四月生まれだから、やることなすこと早いし、言葉も上手く回る。二月生まれの良とは、ずいぶん違う。
ゆり子の手に力が入る。
「ママ、ちょっと、ぎゅうしすぎ」
良がゆり子を見上げる。黒目がちの良の瞳は、きらきらと眩しいほどだった。
「あ、ごめんね」
そのとき、境内の奥の方で、太陽に何かが反射して、きらりと光った。
かあ。
カラスの鳴き声がした。
「あら、またカラス」
ゆり子は良の手を握り、慌てて境内を走り抜けようとする。
きらりと光が降って来た。
足元に、それは転がる。
「あ、おはじきだ」
良が駆け寄る。
かあ、とカラスは飛び、境内の奥の木の枝に飛んでいく。そこには、巣があった。細い枝を集めて作られた巣には、きらりと光るものが見えた。
「あ、カラス」
ゆり子は声を上げた。
「うん、カラスだよ。さっきから、いるじゃん」
良は言いながら、落されたおはじきを拾いながら、首を傾げる。
「カラス、遊びたかったのかなあ、おはじきで」
「ううん」
ゆり子は、良に微笑む。
「春はね、カラス、子育てのために巣を作るの。だから、子供を守るために、気がたつのよ」
先ほどのカラスは、枝の上の巣に戻っている。孵ったひなが、顔をのぞかせた。
「あー、カラスの子のために、僕のおはじき、持っていったの?」
「そうね。多分、カラスはきらきらとしたものが好きだから、子供を喜ばせたかったのかもしれないわね」
ゆり子は、巣を見上げて微笑む。
「そうか、それじゃあ、仕方ないね」
良は頷く。
「僕、カラスにあげる。で、お地蔵さんには、また明日もあげる。明日は、二つ持ってくる」
「お願いするために?」
「ううん。違う。遊ぶためだよ。お地蔵さんも、カラスの子も」
良は、にいっ、と大きく笑った。
「でさ、僕、決めた」
「何を?」
「あのね、ケンジくんに言うんだ。いじわるしないで、遊ぼうって。だって、いじわるしても、されても、つまんない」
驚くゆり子の手を良は握り返し、「ほらっ、急ごうっ」と引っ張った。
了
第2話 きらきら光る 音沢 おと @otosawa7
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