枕詞

 仕事があっさり終了したため、俺達は残りの長い時間、随分贅沢な社員旅行を楽しむことが決定した。


「花田さん、大浴場行きましょうよ。俺、大きい温泉とかあんまり行ったことないんです。ここ、濁ってるのとそうじゃないのがあるらしくて」


「お楽しみいただけているようで何よりです! お背中流しましょうか?」


「むしろ俺が流すべきでは? あ、肩もみましょうか」


 浴衣を持って大浴場へ向かう。夕飯の時間までまだまだあるので、風呂からあがったらみんなをトランプに誘おうと思う。


 結論から言うと、大浴場は広かった。予想の3倍広かった。テンションも予想の3倍上がった。

 本気で花田さんと背中を流しあって、大きな風呂に浸かる。三分も浸からない内に露天風呂のにごり湯に移った。湯に浸かりながら、大きく息を吐く。おっさん臭いとか言わないでほしい。マジで染みる。


「.......花田さん、俺温泉好きになったかも知れないです.......」


 じんわりと体の奥から温まる感覚。気持ちいいし、疲れが溶けていくようだ。


「隊長は最近お疲れのご様子でしたからね。良い湯治になったようで!」


「花田さんの方が働きすぎなんですよ。俺は勝手にへばってるだけです」


 濡れないようにタオルの上に置いたランプの中で、トカゲがうっとりと首を傾げた。恐らく暖かいのが嬉しいのだろう。お湯に入れるとどうなるのかは怖くて試せない。


「.......あー、本当に来てよかった.......。仕事も楽だったし」


「どうやらここの先々代は女将に何も伝えず亡くなったそうです。女将は本当に、自分が能力者だと言う事しか知らないようで。この宿にまつわる裏の物事は何も知らなかったようですが、総能に協力的で助かりましたよ!」


「普通逆らおうなんて思いませんよ.......」


 芯まで温まった、と感じて湯から上がろうとしたところで、花田さんにあと10秒、と引き留められた。今のちょっと父さんっぽかったな。やっぱり花田さんも父親なのだと感じた。すいません後で反抗期について相談したいんですけど。


「.......傷、消えませね」


「え? あぁ、これですか。まあ見た目は術じゃ治りませんしね」


 肩にある銃創を見て、水滴だらけのメガネをかけた花田さんが少し眉を寄せた。なんだか出るに出られなくなって、茹で上がりそうだが我慢して温泉に浸かる。


「脇腹の傷も、大きく残ってしまいました」


「男の勲章ってやつですよ。そう言う花田さんもさっき、腹にめちゃくちゃな傷跡ありましたよね? バッキバキに腹筋割れてたし」


「いやぁ! 昔ちょっとやんちゃしてまして!」


「え、まさか刀傷.......!?」


 明るくなった雰囲気に、風呂から出ようと2人して立ち上がった。途端。




「わぁー! 葉月! 中田さん! 見て見て、露天風呂大っきいわよ!」


「外のお湯は濁ってるのね」


「素敵なお風呂ですね! シャンプーも良いとこのですよ!」




 とりあえず静かにもう一度湯に浸かった。さっきまで存在意義を微塵も感じていなかった岩のオブジェに2人で隠れながら、熱いのにも関わらずダラダラと冷や汗を流す。え? 何? 嘘でしょ、何? え?


「.......花田さん、花田さんこれどういうことですか!?」


 小声で花田さんに話しかける。花田さんはくいっとメガネを押し上げながら、若干震える小声で返事をしてきた。


「.......混浴、なのでしょうね」


「聞いてないですけど!?」


「.......貸し切り状態ですから、掲示がされていなかったのかも知れません」


「そんなハプニングあります!? このままだと俺達社会的に死にますよ! マジのセクハラじゃないですか!」


 ラッキースケベ、などという単語を作ったやつ。出てこい、死刑にしてやる。こっちは死活問題なんだよ。社会的にも物理的にも。


「.......春子さん、ごめん。そんなつもりは一切無かったんだ。信じて欲しい。裕子にも申し訳ないことをしたと思っている」


 まずい、花田さんが俺より先に現実逃避をし始めた。ここは俺が何とかしなくては。


「花田さん.......お互い殴って気絶しましょう。完璧な無実を作るには、今意識を失うしかないです!」


「.......できません! 隊長を殴るなど!」


「いつも杉原さんにやってるじゃないですか! さあ! 遠慮なくぶん殴ってください!」


「くっ.......! ダメですやっぱり出来ません! 隊長の首が折れてしまいます! ヤツの半分ほどしか太さがないじゃないですか!」


 なんだか、今すぐ目を固く閉じて大声で誠心誠意謝った方がいいのではないかと思い始めた。いや、これが最適解だろう。この状況で良くやった俺の脳みそ。


「花田さん、大声で謝りましょう。そして一旦女子組には出てこいってもら.......って.......」


 ふらっとしたと思ったと同時に、鼻からつっと何かが落ちてきた。あ、まずい。


「隊長!?」


「.......俺、暑いの苦手なんだった.......」


 花田さんがタオルで俺の鼻を押さえ鼻血を拭う。あぁ、クラクラする。完全にのぼせた。


「.......花田、さん。後は.......任せました.......」


「隊長ぉーー!!!」


 俺達の冒険は、これからだ!!

 ご愛読ありがとうございました、七条和臣先生の次回作にご期待ください!!!







「ちょっとー! 七条和臣に、副隊長ー! 話し声でいるの分かってるから! そろそろ出てよー! 結構待ったんだけどー?」


「私達も露天風呂に浸かりたいわ」


「和臣隊長ー! 大丈夫ですか? 今なら私達室内なので、ご心配なさらず! うふふ、もちろん期待と想像はご自由にどうぞっ!」




 花田さんが信じられない速さで俺を湯から引き上げた。ちゃんと忘れずにトカゲのランプも引っ掛けて、俺を担いでだっと脱衣場へ走ってくれた。



 それからほんの少し経って。



「うっ、うっ.......!」


「隊長.......! お気を確かに!」


 部屋で座布団を枕に床に寝そべり、横に座った花田さんがうちわで扇いでくれる。まだガンガンと痛む頭を両手で隠しながら、嗚咽を漏らして泣いた。


「また、弄ばれた.......!!」


「いや、そんな思いつめてるなんて思ってなくて.......。ごめん、七条和臣」


「温泉を楽しんで、2人で仲良く話してるのかと思ってたのよ」


「ここまでのぼせるなんて.......大丈夫です。すぐに良くなりますよ」


 花田さんと一緒にうちわを扇ぐゆかりんに、冷たいペットボトルを首に当ててくる葉月。中田さんはたまに無理やりスポーツ飲料を飲ませてくる。


「花田さぁん.......! なんか凄い疲れましたぁ!」


「隊長ぉ.......!」


 花田さんが腕で目元を覆った。あまりにも辛い。


「和臣、ごめんなさい。こんなに我慢しなくても良かったのに」


「するだろ.......!? 俺はラッキースケベという言葉に屈しない!! 職場の人間関係も大事にしたいんだよおおお!!」


「.......おばかね」


 すっと、頭を持ち上げられた。そして、座布団よりも高めのなにかに頭をのせられる。確かな体温と肉感を感じる、これは。


「ほら、七条和臣。葉月の膝枕よ、良かったじゃないの! 私のより柔らかいわよ!」


「あら、また鼻血出ちゃうかもしれませんねっ!」


「.......もうそろそろ隊長をいじめるのはやめてください! 本当に、お疲れなんです.......! 誠実に、女性に気を使っただけなのに.......!」


 花田さんが男泣きしていた。みんな賑やかに話している。その、横で。


 俺は。


 俺の顔をのぞき込む葉月の柔らかな表情から、目が離せなかった。

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