餌付

「てめぇ.......!! あのクソの知り合いか!!」


 缶コーヒーを握りつぶした先輩(謎)は、怒りの表情をそのままにこぼれ落ちていく激甘コーヒーを見て大きな舌打ちをした。

 震える俺に、「やっぱり、缶はたまに潰れるわよね」と不穏な呟きをして頷いている葉月。どうしよう、割と孤独な戦いかもしれない。


「おい、てめぇら能力者か? いや、あのクソのこと知ってんなら本部の術者か? あ? 答えろや!」


「じゅ、術者ですけどそんなあれで本当に悪気はなくてごめんなさい!」


 とりあえず謝ってしまった。葉月が小突いてくる。ごめんな情けなくて。でも怖い人苦手なんだ。


「ちっ.......」


 大きな舌打ち。先輩(謎)は缶を握りつぶさなかった方の手でガシガシと頭をかいて、明後日の方向を向きながら低い声で話し出した。


「俺ぁ二条 釘一にじょう ていいちだ。ここの建築科、院にいる」


「はい!」


「クソ釘次の兄貴だ」


「はい!」


「分かったら二度と話しかけんじゃねぇぞ。そんであのクソに会ったら言っとけ。消えろってな」


 もう一度自販機を叩いて激甘コーヒーを買った先輩のお兄さんは、ずんずんと荒い足取りで校舎に消えた。その姿を見送った後、たっぷり数十秒。


「.......え? お兄さん!?」


 衝撃。先輩にはお兄さんがいたのか。しかもあんなにそっくりな。二条の遺伝子仕事し過ぎだろ。ほぼドッペルゲンガーだったぞ。


「.......あなた、二条隊長と仲が良いんじゃなかったの? なんで知らないのよ」


「だ、だって先輩1度もそんなこと言わなかったぞ。あれ、そう言えば昔兄妹はいないって言ってた気も.......えぇ!? え、えぇ!!」


 どういう事だ。本物のドッペルゲンガーか、俺が話を聞いていなかったのか。おそらく後者だろう。俺は自分のリスニング能力を信頼していない。


「二条隊長、お兄様と仲が良くないのかしら? あなたはお兄さんと仲が良いのに、兄弟って分からないわ」


「.......ドッペルゲンガーって本当にいると思う?」


「あなたが知らないなら知らないわよ」


 とりあえず管理部に確認しておこう。たぶんいないけど。

 その日はそこで葉月と別れて、オカルトブームの対応の定期報告のために京都へ向かった。


「よう和臣。一般人の前で腕やったって?」


「優止」


 大きすぎる門の前で、片手を挙げた優止と会った。無言で吊った右腕を見せる。


「マジじゃねぇか。大丈夫か?」


「両利きで良かったぜ」


 そう言えば、優止は最近先輩と仲が良い。というかあれだけ嫌っていたはずのウチの兄貴と3人でいるのをよく見かける。

 優止に聞けば先輩に本当にお兄さんがいるのか、ドッペルゲンガーが実在するのか分かるはずだ。


「なあ優止、先輩にお兄さんがいるの知ってたか?」


「は?」


 眉を寄せ動きを止めた優止。ここに来てまさかのドッペルゲンガー説が浮上してきた。たしか海のほうにそんな妖怪がいた気がしなくもないが、まさかそんな真昼間から堂々と、人間としか言い様がない気配で? 食い逃げ爺さんよりタチが悪いじゃないか。


「.......今更か?」


「え?」


「有名だろうが。二条の双子は」


 双子?


「双子?」


 双子?


「そう、双子だ」


 そっくりな双子、一卵性双生児とやらか。あれだけ顔の作りが同じなど現実に有り得るのかは置いといて、兄妹はいないという先輩の言葉を思い返す。思いっきりいるじゃないですか双子のお兄さんが。


「お前.......マジで知らないのかよ。相当有名だぞ」


「そりゃあんだけ似てたら有名人にもなるわ.......」


 なんで知らなかったんだ俺。そもそも先輩の名前からして次男っぽいと気がつけば良かった。


「ちげぇ。二条の双子が有名なのは、不仲で有名なんだ」


「は?」


「相当仲が悪いらしくてな。合わせとくのは危険だっつって兄貴の方は家から離れた大学に行かされたらしい。今年帰ってくるはずが、引き伸ばしになったらしいしな」


「は?」


「いつだったか.......アイツが隊長になる前だったか、相当な兄弟喧嘩でお互い病院送りにして、家の柱折ったらしい。2本。そんで離されたんだと。噂じゃ4年は会ってねぇって話だぜ?」


 恐ろしい。俺の知ってる兄弟喧嘩と違いすぎる。恐ろしい。兄貴ってめちゃくちゃ優しいじゃん。いつもありがとな。


「おう和臣、腕は大丈夫か? 災難だったな、焼肉連れてってやるからいっぱい食って早く治せよ! 大学生なんて怪我してなかろうがいくら食っても足りねぇんだからな!」


 転んだ。


「「はぁ!?」」


「せ、先輩、本当に先輩ですか?」


 優止と一緒に驚いたように俺を見下ろす大男。学生の食欲を過信している節がある、釘次先輩だった。


「あ、あぁ。逆に誰が.......って、まさかあのカスに会ったのか? くそ、そうか大学被ってやがんのか。院に進みやがって.......」


 お兄さんのことをカスとか呼んじゃいけないと思います。そして弟のこともクソとか呼んじゃいけないと思います。


「ちっ。とうとう和臣にもバレたか.......」


 先輩の顔が怖い。犬歯を剥き出しにして怒っている。優止がひっそりと逃げようとしていた。待って、置いてかないで。助けて優止。


「あのカス、なんか言ってやがったか?」


 なんてこと聞くんですか先輩。俺はなんて答えればいいんですか。


「あ、あの.......よろしくって、言ってました」


 ごめんなさい。嘘吐きました。ごめんなさい。


「ちっ。おい和臣、今度あのカスに会ったら言っとけ。てめぇが消えろカスってな」


 なんで会話できてんだ。


「あのカス、先週から大学籠ってイライラしてやがるからな。俺と間違われて暴れなかったか? もし手ぇあげられたんなら、俺がぶっ飛ばしてきてやる」


「え? い、いえ、そんなことは.......」


「はっ、カスなりの自制心はあったか。この間親父に間違われた時はあんだけやったってのによ」


「.......え? この間? 4年も口聞いてないんじゃ.......」


「あぁ? 今あのカスの設計図で庭に小屋建ててんだ。嫌でも毎週顔合わせんだよ」


 あれ、これもしかして。


「あのカスと俺が不仲って噂は事実だ。お互い消えやがれと思ってる」


 実は仲いい双子説が消えた。じゃあどういうことだ。


「俺は15分早く産まれただけのあのカスに兄貴ヅラされんのが気に食わねぇし、あのカスは俺と間違われんのが気に食わねぇ。ガキの頃試しに1週間入れ替わってみたらよぉ、誰一人、お袋ですら気づかなくてな。アイツはあれからグレた」


 先輩はグレなかったのか。


「そして跡目争いだ。アイツは建築やるために二条を継ぎてぇし、俺ぁ術者として二条を継ぎてぇ」


「.......それは」


 二条の表の職業は、建築関係だ。総能本部の建物も二条が建てているし、たしか二条本家のお屋敷はとんでもない凝った造りなのだと聞いたことがある。

 だが、二条は術者の家だ。兄弟で跡目を争うなど、俺達の家の間では珍しくない。

 珍しくないけれど、見たくないものだ。


「だから今、あのカスの設計で俺が小屋を建ててる」


「え?」


 話が飛躍した気がする。


「ま、これでどっちが継ぐか決まんだろ」


「え?」


「おい和臣。あのカスを懐柔する方法教えてやんよ」


 ニヤッと笑った先輩は、俺の肩にその大きな腕をまわして、内緒話をするように小声で言った。


「砂糖持ってけ。会う度砂糖やればおもしれぇモンが見れるぜ?」


 先輩はそう言うと、俺を立たせていつもの部屋に連れていってくれた。

 先輩はいつも通り会議でブチ切れ、八条の当主と喧嘩していた。


 後日。

 大学のキャンパスで、死んだ目で自販機の前に立つ大男に声をかけた。


「あの、」


「.......あ? てめぇ、二度と話しかけんじゃねぇぞっつったよな? あ?」


「こ、これ。甘めに作ったんで.......」


「あ?」


 紙袋を差し出す。さすがに砂糖を渡すのはどうかなと思ったので、甘めに作ったプリンとクッキーを入れてある。


「.......俺ぁ、あのクソ釘次じゃねぇぞ」


「先輩は甘いの嫌いなんで、釘一さんにです」


「.......」


 押し黙った釘一さんは、なんとその場でがさがさと紙袋からプリンとスプーンを出して食べ始めた。


「.......うめぇ」


「よ、良かったです」


 それから数ヶ月後には、俺を見かけると後を黙ってひょこひょこ着いてくる大男が誕生した。

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