小さな術者と大きな術者
どうしよう。
私が何とかしなくちゃ。私が何かしなくちゃ。
でも。
「.......どうしよう」
ランドセルを握りしめて、足を肩幅に開いた。
「清香ちゃん、聞いてる?」
「あ、うん.......」
春休みの図工の宿題で使う画用紙を買いに行った帰り。
いつもの友達となぜか一緒に着いてきた男の子達の5人で電車に乗っている。
「なんだよ七条、電車恐えのかよ! .......なら、お、俺の隣り.......」
「ちょっと、みんな静かにして。電車の中だよ」
「ええー、他のお客さんなんていないのに?」
「七条うるせーなー。真面目ぶりっ子かよ!」
いつもなら「ぶりっ子じゃない。あなたみたいに考えなしの子供じゃないだけ」ぐらい言い返すのに、今はそれどころではなかった。車両の端の座席から目が離せない。
「遅くなっちゃったね、私ママに怒られちゃった」
「ウチはメールしたら許してくれたー」
「俺らは全然余裕だよな!」
夕方。日が落ちかけて、電車の中はオレンジ色に染まっていた。
「.......七条、怒られたのか?」
「.......うん.......」
「ええ! 清香ちゃんごめんね、私達が寄り道したから.......」
「.......え? ご、ごめん。聞いてなかった.......」
ええー。もう、清香ちゃんったら。
楽しそうに笑う皆を見て、絶対に私が何とかしなくちゃと思った。
電車の隅に座った黒い何かが、じっと私達を見ていた。
札なんて3枚しか持っていない。それもこの間おばあちゃんと一緒に書いた簡単な物だ。これを投げたところで退治できるだろうか。私は葉月お姉ちゃんみたいに上手に霊力を流せる訳でもないし、お兄ちゃん達みたいに難しい術が使える訳でもない。
でも、私しか見えていないのだから。
私が守らなくちゃ。
「清香ちゃん」
「.......なに?」
「清香ちゃんは中学校どこ行くの? 八鏡中?」
「.......違うよ。
「ええー! すごーい! あの川の近くのお嬢様学校だー!」
「し、七条は女子校行くのか!?」
「うん.......」
どきんっと心臓がはねた。黒い何かが席を立って、やっぱりこちらを見ていた。
黒い何かの正体には、もう気がついている。
「私達は隣町の公立中だよ。離れちゃうね.......」
「でも仲良くしてね! 中学校行っても遊ぼう?」
「.......うん。仲良くしてね」
「七条! お、俺さあ!」
「あれ?今駅すぎて.......電車間違えた?」
「「ええ!」」
みんな騒ぎ出す。お願い、静かにして。
楽しそうにするならもっと楽しそうにして。
こんな程度じゃ全然ダメ。もっと違いを見せつけて。
「どーすんだよ、次の駅ってどこだ?」
扉の上の路線図を見ようと歩き出したみんなを止める。
「ダメ!! ここにいて!!」
「清香ちゃん.......?」
どうしよう。どうしよう。黒い何かがゆっくり近づいてきた。
羨ましいって。
いいなぁって。
なんで俺はって。
何が違うんだって。
お前達も、こっちに来ればいいって。
「.......ぁ」
黒い何かの、顔が見えた。
「清香ちゃん? 大丈夫?」
「七条、気持ち悪いのか? 座ろうぜ」
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
ぐちゃぐちゃの顔。血だらけの顔。私達が憎くて憎くてたまらないと、殺してやりたいと訴える瞳。
「.......っ!」
みんなの前に立って、人の霊に向かい合う。
おばあちゃんに習った。人の霊とは関わったらダメだって。妖怪と違って、私達と同じルールで動いているからって。
純粋に憎くて、私達生者を殺すんだって。
「.......!!」
ぎゅっと札を握って、座り込みそうなのを我慢する。
血だらけの霊は、ゆっくりと口を開いて。
『.......こロ死たィ』
私がやらなくちゃ。だって私は術者だし、今何とかできるのは私だけだから。皆は何も見えてないし、皆はまだ子供だし。私はお姉さんだから。
『に苦イ! にくい憎イ憎い! 何も考えず生きるお前達が憎い!!』
泣くな。絶対に泣いちゃダメだ。おばあちゃんに習ったでしょ、心の持ち方が1番大事って。
『殺してやる!!』
指が欠けた血だらけの手が、私に伸びる。
札を投げて、術をかける、それだけ。おばあちゃんに習った事をやればいい。習ったのだからできる。当たり前だ。練習したのだからできる。当たり前、なのに。
「.......お姉ちゃぁん.......!!」
ぎゅっと目を瞑った。
ががっと音がして、開きかけのドアから足がねじ込まれた。電車は、いつの間にか駅に着いていた。
「よお、小学生達。この電車どこ行きか知ってる? ていうか俺はどうやったら帰れるか知ってる?」
開ききっていないドアから無理やり入ってきて、ニコニコ笑っているのは。
「.......和兄ぃ.......!!」
「お姉ちゃんじゃなくてゴメンナサイネ」
私の頭をぐりぐり撫でながら、和兄は霊に向かい合う。足は肩幅に開いて、余裕そうに笑いながら。
「こんにちは。随分と遠くから来たみたいですね。乗り継ぎが上手くいったのかな?」
「!? 和兄!?」
霊に話しかけるなんて。関わったらダメなのに。
やっぱり和兄はダメだ、私が守ってあげなくちゃ。でも、足も手も固まって動かない。
『憎い!! 憎い憎い殺したい!!』
後ろの皆が落ち着かない様子で寄ってきた。皆顔色が悪い。何かを感じているのだろうか。
「自力であっちに行けないなら、俺が手伝ってあげる。.......得意なんだ。【
和兄が指環をした人差し指を向けると、ふわっと糸が霊を包む。
『.......にくい』
「嘘だよ」
もう血だらけでは無いおじさんの霊は、怯えたような目をしていた。
『.......羨ましい』
「うん。あっちでも手に入るよ、ほら。帰りな」
ぎいっと音を立てて、ドアが開いた。電車は走っている途中だし、開いたのはドアではなく扉だった。
「じゃあね。お疲れ様」
和兄は手をふって霊を見送った。
そして、ニコニコ笑いながらこちらを振り返った。
「なあ。みんなはこの電車どこ行きか知ってる?」
その後皆で最寄り駅に帰って。和兄は高校生なのに、他の子達と話して1番大声で笑っていた。
「兄ちゃんまたね!! 今度絶対遊ぼうね!!」
「おう!」
「お兄さんばいばーい!」
「ばいばい」
皆が帰った後、和兄とバス停へ歩く途中で。
和兄は突然私を抱き上げた。
「わっ! 和兄!」
「頑張ったな。よく皆の前に立った。よく泣かなかった」
当たり前でしょ。皆を守ってあげなくちゃいけないんだから。私だって術者なんだから。
「.......怖かったぁ.......っ!!」
和兄が優しく私の背中を撫でるので、どっと我慢していた何かが溢れてきた。
「だ、だって! わた、私も、術者だっ、から!」
「清香は偉いよ。頑張ったな」
「で、でも!! あんな、に! ぐちゃぐちゃの、霊、なんて! 初めてっ、だからっ!!」
「うん。清香はいい術者だな、初めてであれは凄いよ」
「で、でも!! 和兄がっ! 私の、歳の、時は! もう、仕事してたって!!」
そうなのだ。和兄は10歳の時に免許を取って、術者として働いていた、らしい。なら私だって、出来なきゃいけないのに。私は全然、プロの術者からは程遠い。
ぎゅっと和兄の腕に力がこもる。和兄は震えた声で言った。
「.......ごめん」
「か、和兄?」
「ごめん.......!!」
私は慌てた。さっきまでの涙も恐怖も全部吹き飛んで、見た事もないほど静かな和兄をどうすればいいのか考えた。
「和兄、どうしたの? 大丈夫?」
「ごめんなぁ.......」
「何が? ねえ、和兄!」
ぎゅっと私を抱きしめて、一言も話さなくなった和兄。よくわからないが、私が何かしてしまったに違いなかった。
「和兄、ごめんなさい! 私、私真面目ぶりっ子だから! 酷いこと言っちゃた、のかな.......? ごめんなさい、和兄」
ゆるゆる首をふって、和兄は小さな声で言った。掠れていて聞き取りにくかったが、ちゃんと聞いた。
「.......俺が居なきゃ良かったなぁ」
「はあ!?」
思わず大声が出た。慌てて口を押さえて、まだ最寄りのバス停ではないが、無理やり和兄をバスを降ろした。
「抱っこ」
「.......え?」
「抱っこ!!」
無理やり抱っこをさせて、泣きそうな顔の和兄の頬をつねったり、肩を叩いた。
「.......ごめんなぁ」
「和兄のバカっ!! 和兄居なかったら私いっつも1人だもん!和兄居なかったら私1人でお姉ちゃんに怒られるもん!和兄、居な、かったらっ.......」
じわじわ涙が出てきて、話せなくなる。ちゃんと言わなきゃいけないのに。
「居なきゃやだぁ.......なんでそういう事言うのぉ.......」
「.......ごめん」
「清香のこと、嫌い?」
「まさか!!」
「じゃあ、ずっと清香のお兄ちゃんでいて。前に和兄が言ったんだからね!私が大人になったってお兄ちゃんって言ったんだからね!」
ちゃんと言った。きちんと言った。
和兄はぱちっと瞬きして。困った眉毛のまま笑った。
「.......うん。ありがとう」
「後でゆかりちゃんのドラマ一緒に見よう?」
「うん」
「宿題もやるからね! 和兄もちゃんとやってよ!」
和兄が道に迷わないように私が道を教えながら、家に帰った。
皆は和兄の事を天才術者と言うけれど。その前に私の小さなお兄ちゃんだと言うことは、忘れないで欲しい。
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