有名声優までの道のりは遠いらしい
鍵屋
第1話 はじめて見たあの子の姿
わたしがはじめて役者という職業をテレビの向こう側の世界ではない、現実にある職業として認識したのは中学2年の頃だった。これは普通に可愛らしい幼少時代を送ってきた人たちからしたら遅い方なのかもしれない。しかし、わたしの幼少時代といったらテレビで心を震わすようなアニメやドラマを観ることもなく、普通の子たちが興味を示すおままごとやごっこ遊びなどはしたことはない、なんとも冷めた幼少時代であった。それはわたしの家庭が母とわたし二人の決して裕福ではないどちらかというと貧しい家庭であったからではないかと思っている。わたしが4歳のとき父と母は離婚した。4歳といったら少しでも父の顔を覚えているのではないかと思うだろうが、当時からわたしの父は全く家には帰ってこず、結婚していても母とわたし二人だけの生活だった。父がしっかり家に教育費などを置いていっていたのかは分からないが、保育園の友達がバレエだのピアノだの色んな習い事をはじめた頃にわたしもやりたい、と気を使って言えなかったくらいはやはりお金に余裕のある家庭ではなかったのではと思う。そういえば、母に全く家に帰ってこない父は何をしているのかと聞いたことがある。母はそのとき、父はディズニーランドで住み込みで働いていると言った。当時4歳だったわたしは妙に納得して次父が帰ってくる日はいつなのだろうと想いを馳せていた記憶がある。
そうそう、こんな幼少時代を送ったわたしがはじめて役者という職業を現実のものとして考えたのが中学2年であるが、それは中学で毎年行われるイベントであった三年生を送る会の二週間前くらいだったと思う。なぜこんなに鮮明に覚えているかというと、わたしに役者という職業を考えるきっかけとなった三年生を送る会の出し物である大きなかぶのオーディションがその時あったからである。わたしたちの学年は三年生のため日本昔ばなしの大きなかぶを舞台上でやることになった。その役を決めるオーディションが教室が並ぶ廊下の一番奥の部屋にある総合学習室で行われた。もちろん、当時のわたしは人前でお芝居などできるほど肝の座った子供でもなかったし、なんといっても出し物のために全力で何かをするなんてみっともないなどと思うほど思春期真っ只中だった。
掃除の時間であったわたしは総合学習室に椅子を運ぶ作業をしていた。横目に役決めのオーディションが行われているのを見ながら何回も往復していた。オーディションを受けていたどの子も中学生らしい大きな声を出し、ハキハキと喋るだけの中学生らしい芝居をしていた。しかし、その中の一人に他の子とは違う中学生のわたしにはなんとも言い表せない異種な芝居をしている子がいた。声はただ大きい声を出すわけではなく、よく通る透き通った声、台詞の抑揚が効いていて、急にわたしの胸を打つ、いつも見ているその子ではないみたいだった。実はその子は同じクラスの子であり、クラスの中ではとても地味でいつも一人でアニメキャラクターの表紙に長ったらしい題名の本を読んでいる子であった。髪はボサボサで肌もニキビがいくつかできている、清潔感があるとはいえない見た目であった。そのためクラスの友達は近寄らず、いつも一人大人しくしていたのだ。そんな子がまるでいつもとは違う堂々とした態度で器用に台本を片手に持ち芝居をしている。他の子の台詞は単調で何を言っているか入ってこず、右耳から左耳へと流れてしまう。しかし、その子の渾身のオーディションの台詞にわたしは椅子を運ぶ往復作業に足を止めてしまった。このなんとも言えない気持ちはなんだろうか。今まで知らなかった世界を見ているみたいで、世界のある程度のことは分かったような思春期のわたしにまだこんなに知らない世界があることをその子の台詞は教えた。オーディションの続きが気になり、椅子が運び終わっても運んだ椅子を整理しているような素振りをしながら総合学習室に留まった。
オーディションの結果、わたしの胸を打ったその子は役に落ちてしまった。審査員をしていた先生はその子にすごくお芝居が上手いね、女優さんみたいだと褒めた。しかし、中学生のやる大きなかぶにはそのような慣れた芝居ではなく、中学生らしい元気な芝居がいいと言った。そのままオーディションは終わり、わたしはその子が気になって仕方なかった。
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