4日目、5日目

 「食事ですよ!」という声とともに、やっと目が覚めた。しかしもう少し眠っていたかった。なんせ久しぶりに夢も見ず、ぼーっとしながら、平和を味わっていたのだ。

 うとうととして目をつむると、「食事ですよ!!」というさっきより厳しい口調とともに、懐中電灯のようなものを顔にあてられる。

 目を開けると、いつもの給食のようなパンが運ばれていた。壁の時計を見ると8時半を10分ほど過ぎている。

 のそのそとした動作で不味いパンを食べながら、しばらくぼーっとしていたが、何度も何度も5分おきに二重の扉を開け食事を食べ終わったのか確認しにくる看護師によって、段々と目がさえてきた。

 こんなに何度も監視する暇があるなら、昨日の小便を流してくれればいいのに。文句を言う暇もなく、食事が終わったのを確認した看護師から抗うつ薬を差し出される。

 水が注がれたコップでピンク色の錠剤を飲みながら、看護師はぼくの味方か?否か?などと考えていた。

 いや、その答えは知っていた。市販薬の飲み過ぎで集中治療室のような場所へ運ばれたとき、──あれはバッドトリップだと自分に言い聞かせていたが──確かに「ダウン症児だ」という男の声と、続く女の看護師たちの笑い声を聞いていた!

 ぼくが障害者でもないのにここでは障害者として扱われるのと同じく、あの場所ではダウン症児ではないのに、ぼくはダウン症児として扱われたのだ。

 ゆっくりと憎しみを覚えながら、あのまぶたの攻防戦について思い返す。ここは、なんとあの集中治療室と似ているのだろう?

 ダウン症児は看護師の言う通りにまぶたを開けなければならず、まぶたを開けない場合には手でこじあけられる。

 障害者は眠ることを許されず、顔に懐中電灯を当てられ、食事を食べ終わったのか5分おきに確認される。

 そしてあの場所で声が出せなかったのと同様、ここではどんな声を発してぼくは健常者だと証明しようとも、相変わらず障害者だとして扱われる。

 胃のきりきりとした痛みとともに、ああ、早く高校に戻りたい──そう思いながら壁の時計をずっと眺めていた。

 けれど、なんて時間の進むのが遅いのだろう?

 保護室の一枚目の扉の上には時計がかかっていたが、さっき薬を飲んだのが9時10分過ぎ、そこからまだ10分しか経っていないなんて!

 いったい1ヶ月というのは長いのか?短いのか?そんなことを考えるのは小学生の夏休み以来だった。あの頃は途方もなく長いように感じられたが、しかし終わると1ヶ月は短い。または、その逆だった。

 狂った時間感覚の中、正確な長さを測ろうと頭のなかで暗算してみる。まだ4日目だから1ヶ月で出れるとして残り27日。時間に直すと残り648時間、分単位に直すと残り3万8千880分!秒単位に直すと残り233万2千800秒!

 あまりの途方もない大きさに思わずめまいを覚える。

 ぼくはこれ以上ないほどの退屈を、いや苦痛を感じていた。昨日は焦りだと思ったが、いや、確かに途方もない退屈、時間だった。

 なにもすることがなく、誰も喋る相手がいない状況での1ヶ月は、めまいがするほどに長い。

 なんとか集中しようとするのだが、あの障害者どもと看護師どもの喚き声や怒鳴り声によって、勉強が手につかない。それどころか時間があると、集中力の隙間から誰かが悪い考えを吹き込むように、なにかしら嫌なことばかりを考えてしまう。

 今まで結果の伴う勉強しかしてこなかった。勉強は受験のためであり、受験は人生の成功のためだった。

 ところがいま勉強に手が付かないのは、どこかでこの勉強が無駄でしかないのでないかという予感──もし1ヶ月後高校に戻っても、始業式のあと数回しか出席していないのだから、もうグループは出来上がっていて、ぼくの居場所などないのではないかという予感──が働いていた。

 いや、居場所など初めから、家にもここにも無かった。保護室の鉄でできた頑丈な二重のドアのように、親父に家から放り出されたときの思い出が苦々しく蘇ってくる。

 どんなに叫んでも、蹴っても、殴っても、絶対に開かれない頑丈な扉。

 障害者の引きこもりを殺した親が、懲役実刑6年で済んだというニュースを思い出す。ぼくの親だとて、同じことではないだろうか?

 精神病院に放りなげることは、「お前にとって戻る家などないのだ」と事実上宣言されることと同じではないだろうか?

 居場所がない人物は、どこに行けばいいのだろう?精神病院に入るしかないのだろうか?

 なにごとかについて絶えず考えることに、やがて疲れが、もっといえば苦痛が伴うことが分かってきた。

 しかし、なにもないこの果てしない時間が、別のことをする暇を与えてくれない。

 なにも考えずに過ごせたら、どんなに楽だろう?(そもそもなにも考えないとは、どういう状態のことだろうか?)

 ぼくはいま疲れて、なにも考えまいとしているのに、勝手に退屈や集中力の切れ目といった隙間から、なにごとかを考えてしまう。 

 多分なにも考えないとは、普通の状態のことだ。そう、普通に生活し、友人と話し、くだらない授業を聞くこと。

 しかしこの大きすぎる時間がある限り、なにごとかを考えてしまう....


 じっさい退屈の無意味で重たい時間がわたしたちにのしかかってくると、今の海藤のように、ものごとを延々と垂れ流す状態になるのだが、

 しかし当時の筆者も感じていた、押し潰されそうになるほどの退屈を、ここに表現することは難しい。

 例えば、犯人が分かっている600ページもあるミステリー小説をまた初めから読まなければならないとしよう。ほんの10ページを読んだだけで、もう耐えられなくなる。

 この本は課題として読まなければならないのだが、しかしあと590ページも残っている。残りのページ数を見てしまったとき、それがあまりにも果てしなく無意味で苦痛なので、めまいがおこる。

 今海藤が感じている苦痛も似たようなものだろう。ほんの1ヶ月が、600ページもある本と同じく無意味で苦痛に感じられて、退屈しのぎにスマホに手を伸ばすことも許されない。

 あるいは〈明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。〉と言った有名な文句を引用してみよう。

 閉鎖病棟では明日も、明後日も、明々後日も、まったく同じことが繰り返される。

 三度の飯、三度の薬、週に一度ある診断とシャワー....未来が全て分かってしまい、わたしたちにはもう死ぬまでここから抜け出せない。

 海藤がしかし耐えられたのは、1ヶ月後ここから出られるのだという不確かな希望だけだ。では希望が無い者は?

 「居場所がない人物は、どこに行けばいいのだろう?精神病院に入るしかないのだろうか?」と海藤は自問自答したが、事実それは正しい。もしまだ覚えているのなら、「アアアアアアア」と声にならぬ音を発していたツネ婆さんのことを思い出して欲しい!

 未来が無い者にとってはまた同じく時間にどんな意味もない。明日に起こることが全て分かってしまい、ここで死ぬほかないのだから。

 そこではツネばあさんのように、もはや無意味になった果てしのない時間という退屈と向き合う者は、「アアアアアアア」という音を発するほかどんな手段も見つからない。

 この点において、延々と「負けないで」を歌い続ける彼女の気持ちは理解できる。

 彼女の中では3分49秒が構成され、延々と「負けないで」を歌うことで、3分49秒の時間を進めていたのだ。

 では、海藤は?知ってる曲をかたっぱしから歌う?まさか!そんなことができるのは完全に狂ってしまった者だけだ。

 喋る相手もなく、どんな手段もない場合、延々とこれまでの人生を振り返り、一つ一つ検証していき過去進行形的に時間を進めること。または日記を書き、現在進行形的に時間を進めること。

 時間を進めるのに、ほかにどんな手段があるだろうか?

 「時間を進める?それはどういう意味なのか?」と問い返されるだろう。実際、筆者も精神病院に入れられるまで「時間を進める」とはどういうことなのか分からなかったのだから。

 しかし、マンネリ化した恋人のいる人ならこれは分かりやすい。愛を沈黙から守るために、何十回目のデートのあと、商店街を歩きながら「ああ、この店は前に行ったね」「そうそう、あのときなに食べたっけ?」「確かクレープだ」「そうだった。ああ、あの店はまだ行ったことがないね」「うん。そういやあのゲーセン、覚えてる?まだメダルが1000枚以上も残っていて」「そうだった。1か月以内にまた行かないと没収されるんだっけ?」「うん。あ、あの店も行ったことがあるね」「確か酒が不味かったね」「そうそう、前に行った蕎麦屋なんかは........」

 沈黙から守るために、わたしたちは商店街を歩きながら、目についたことに関して「行ったことがある」だとか、「ない」だとか、「今度行こう」だとか、「あのころはたしか」だとか、全てを会話の材料にしなければならない。

 なぜならマンネリ化した恋人たちにとって、もはや新しい発見など何も無いのだから。

 そして、<どんな愛も沈黙に抵抗して生き延びられはしない>のだから。

 二人はこのくだらない延々のお喋りによって、「時間を進めている」のだ。

 おそらく、夜の性行為までの時間が長すぎるために。または、目的地までの時間が長すぎるために。


 しかし海藤に話を戻すことにしよう。まだ閉鎖病棟ではやることが有る。


「海藤さん、昼頃からIQ検査です」

 と看護師に言われて、思わず「どこかおかしいところがあるんですか?」と聞き返した。

「いえ、形式的なものです」

「形式的なもの?」

「はい、精神病院に入院された患者全員に行ってもらっています」

 いくら形式的なものとはいえ、看護師では無い人と喋るのは楽しみだった。そうだ、IQ検査では思いっきりふざけてやろうか?延々とくだらないお喋りをし、困っている顔を見ながら時間を潰せるだろう。

 そういえばIQテストなら小学生の時にも授業中に似たようなことをした覚えがある。リンゴの木を書けだとか、内容はたいしたことがないが、授業よりはよっぽど楽しかった。

 今でも覚えているのは、ぼくだけがその時クラスの中でIQ120という数値を叩き出したからだ!あれは周りのクラスメイトより優れているという証明だった。優越感でいっぱいになった。

 しかし...ふと日記に疑問に思ったことを書く。

 『閉鎖病棟4日目 IQ検査をすることになった。しかし例えIQが人より優れていようと、平均値だろうと、この閉鎖病棟という名の騒音、喧騒、動物園の檻、強制収容所にずっと入れられていたら、人間どこか頭がおかしくなるのでは無いだろうか?いつかは気が狂って毎日毎朝「負けないで」を歌い続ける狂人になるのでは無いだろうか?』

 日記をつけながら、今夜ロヒプノールを飲んだときに、効果が出るまでの日記をつけることを思いついた。

 それは市販薬の幻覚作用が出るまでスマホに日記を付けていたように、ぼくをモルモットとして効果を確かめるのは、ぼく自身の好奇心を満たしてくれるだろう!

 この考えは結構気に入ったらしく、思わず一人でにほくそ笑んでいることに気づいた。



 翌朝、「負けないで」のリフレインを延々と聞きながら、少しぼやけた頭で日記を見返した。

 『IQ検査は大したことがなかった。結局、あいつらにはどんな冗談も通じず、看護師や医者どもとまるで同じだ...』

 いや、ここじゃない。まだ昨夜の睡眠薬の効果がぼんやりと残っているらしい。

 『...08:40 ロヒプノール 10分経過 効果現れず

 08:50 20分経過 少し頭がぐらぐらする気がするが、プラシーボ効果かも知れない。市販薬のときもそうだが、食事を取ると満足な効果が現れにくい。

 08:55 25分経過 だいぶぐらぐらする。浮遊感。「浮世離れ」という言葉に人々が憧憬の念を抱くのは、文字通り浮世、世俗から離れたいという願望があるからだ。しかし、この閉鎖病棟は本当に浮世から離れ、隔離されている。本当に浮世から離れてしまったら、なにも意味がない。

 あと5分で消灯だが、消灯の時間にはだいぶばらつきがある。

 睡眠薬は余計な一切をなにも考えなくさせる。頭の鈍麻。神経の弛緩。精神の麻酔薬。なにも考えずに済むというのは素晴らしい!』

 ここから以降の記憶は思い出せそうになかった。するとロヒプノールは投与から30分前後で効果が効き始め、持続時間はだいたい朝まで続くことになる。

 昨日はたっぷりと朝食時間まで眠れていたが、今日は朝食前に目覚めたという事は、結構なばらつきだ。

 思ったことを日記に書こうとして、違うことを書いてしまった。

 『閉鎖病棟5日目 「負けないで」は目覚まし時計の役割を果たす。』

 ぼくはまだ若干ふらつきの残る頭で、なるべくこの状態が長く続いてくれることを願っている。

 しかし朝食が終わるころには、頭のモヤが殆ど晴れ、また退屈と憎しみ、余計な考えと周りの騒音にうんざりとしてきた。

 日記につけた「浮世離れ」のことなんか考えたことがなかったのに、どうしてこんなことを書いたのだろう?一時的な健忘症が原因なのは分かっていたが、しかし「浮世離れ」などそもそも考えたことすらないのに?無意識だろうか?いや、浮遊感からの連想ゲームだろうか?

「海藤さん、昼頃にケースワーカーが来ます」

「え?」余計なことを考えていたので、思わず聞き返えす。

「先生から説明をうけませんでしたか?」

「ああ、思い出しました」

「起きておいてください!」

 看護師が勢いよく扉を閉めると、ゴトン!という鈍い音がした。そこでぼくは鉄の扉ということに関して余計なことを考える羽目になる。

 ──ああ、鬱陶しいな、と思い、教科書をペラペラとやり出す。しかしそれに集中力が伴わないことはよく分かっていた。

 しかし尿の匂いは未だに慣れない。昨日の尿が消えても、今日の尿が残る。酷いときには糞便がいつまでも残る。


 いっそのこと、目も耳も鼻も効かなくなればいいのに。

 そうなればこの部屋中に漂う小便や糞便の匂いも、

 「負けないで」のリフレインも障害者や老人の喚き声も叫び声も、

 看護師の怒声や老人に糞を拾えと命令する声も鉄の扉の閉まる音も、

 まぶたを開けようとする看護師も目覚めさせようと目に懐中電灯を当てる看護師も、

 なにも見えず聞こえず匂わず、一生なににも煩わされず眠ることができるだろう!


 これがいわゆる自閉症的状態──文字通り自分に閉じこもり神経過敏になる状態──のことだが、これは所詮外面的な自閉症の状態でしかない。

 そこで次話では、精神病院四階に入院中の自閉症患者について語り、内面的に自閉症を捉えることにしよう。

 いまはまだケースワーカーが待ちかまえているのだから。


 昼ごはんを小便の匂いがたちこもるなか食べたあと、看護師に案内され、エレベーターで久々に地上に出ることができた。

 どこをどう歩いたのか案内されたやけに小綺麗な扉の向こうには、女性のケースワーカーが待っていた。

「こんにちは、ケースワーカーの倉本と言います」

「はあ」

「海藤さんをお呼びしたのは、この先どうすべきかという計画のためです」

 聞いていてやけにキッパリとした口調だなあと思った。多分思春期の青年の取り扱いとかに慣れているのだろう。

「まあ、椅子に座ってください」と言われ、パイプ椅子に座る。

「ケースワーカーというのは、具体的にはどんなことをするんですか?」

「精神病院に入院した患者と親身に相談し、この先の計画を作っていく仕事です」

 するとぼくは相変わらず健常者ではなく、障害者にすぎないわけだ。

「親御さんからのお話を聞きましたが、ご両親も今回の件に関して随分心配されております」

「親はこんなところに入れられて厄介払いできたと喜んでいるんじゃないですか?」

「海藤さん!親御さんは悲しんでいるんです。拗ねていても解決しませんよ!」

 なにが拗ねているだ、閉鎖病棟の地獄も保護室の現状も見たことが無いケースワーカーになにが分かるんだと思う。

「特に海藤さんのお母さんなどは涙を流していらっしゃいました。どれだけお母さんが悲しんでいるか!」

 母親の涙を想像してゾッとする。そうだ、初日にしろ母が泣きながら語ることに対して拭いきれない嫌悪感を感じたのは、なにもぼくが反抗期だからというだけではない。

 小学生低学年のころ、母がふらりと家出し、ぼくは三日三晩泣いて過ごした。戻ってきた母はそんな事などつゆ知らず、また家でヒステリーを起こした。

 そして精神病院に入る前に母から涙ながらに「市販薬の飲み過ぎで一時心臓が止まったこと」云々を語られたときに感じた言いようのない嫌悪感、それは泣いて過ごしていた幼きころのぼくと、いまや立場がすっかり逆転したことを示しているように見える。

 だが、実際はそうでは無かったのだ。母は心配し涙ながらに語ることで、よりこの近親相姦的な汚らわしい結束、まるで蜘蛛が糸で網をはり、かかった獲物を捕食するように、すっかりと母の糸に絡みとられただけだったのだ。

 そう、小学生低学年のころの三日三晩泣いて過ごしたぼくと、一見立場が逆転したかに思われる泣きながら語る母とは、

 まったく同じで、立場は逆転などせず、ずっと母という蜘蛛の張り巡らされた糸によって逃げられないという状況だけが続いていたのだ!

「辛いのは海藤さんだけでは有りません、親御さんも先生も私も辛い思いを経験しているんです」

 神妙な面持ちで語るこのケースワーカーの言動には、なにかしら道徳の教科書のような説教臭さが有る。

 少なくともぼくには人間の経験する辛さが等しいなどとは思えないが、そう感じることが”拗ねている“ことになるのだろうか?

「けれど、みんなそこに順応していくものなのです。海藤さんも高校に戻りたいと思っているでしょう?」

「もちろん、一刻も早く高校には戻りたいですよ」

「では、高校に戻ってからの事を考えましょう。担任の先生ともお話させて頂きましたが、今は勉強に専念して、一刻も早く遅れを取り戻す事が大切です」

 ぼくのどこが遅れているというんだ?

 そうだ、このケースワーカーとやらのぼくへの態度は、いじめられっ子や勉強についていけない学生に対する先生に似ている。

 精神病院に入れられた人は一生人生の落伍者、障害者としてこういった腫れ物に触る態度で見られ続けるのだろうか?

 このケースワーカーの道徳的建前は、建前はどんなに取り繕っても汚い。地上一階で道徳を説くケースワーカーや教師や医者共は、地下の保護室になんの意味ももたらさない。

 閉鎖病棟のあの汚さ、看護師どもと障害者どもの本音の汚らわしさ。障害者を虐待する看護師どもが本音で、同じく糞尿を垂れ流し叫ぶあの障害者の老人どもも本音で汚い。

 しかし同じくらい、閉鎖病棟という臭いものに蓋をして、地下の保護室を見ずに、見ずに済ませようとしながら建前の道徳だけを説くケースワーカーどももまったく同じように汚い!

 ぼくは早くこの会見を、意味のない忌々しい対話を終わらせたかった。忘れたい、早く睡眠薬を飲んで、こんなことから一切を忘れ、眠ってしまいたかった。

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