未完成

玉井冨治

第1話 精神科医:和田木葉

 都内の総合病院で精神科医として働いている和田木葉のもとには毎日様々な悩みを抱えている、小学生から高校までの思春期の子供たちがやってくる。木葉の専門は精神医学会でも特に難しいとされている思春期の小児精神医学である。

 猪野塚さやかもその一人である。彼女は現在通信制の高校に通っている高校生二年生の女の子である。彼女は小学校高学年から中学二年までの約三年間義父から性的虐待を受けていた。彼女は最初実家のある地域の児童養護施設に保護されていたが、両親が幾度となく彼女を取り戻しに来たため現在は都内の児童養護施設で生活している。

 さやかは性的虐待により十四歳にして妊娠していた。だがその妊娠は子宮外妊娠だったため、激しい腹痛に襲われ病院に担ぎ込まれたのだという。最初は何事かと病院側は詳細が分からなかったのだが、彼女の出血原因が判明すると大部分を理解できた。そして、念のため彼女の両親が来ても彼女には合わせなかった。もしも、父親が彼女に性的虐待をしているのであれば彼女にとってとても危険だからである。しかし、彼女の父親の仕業という確信はない状態のため一刻も早く本人に事情を聴くしかない。

 翌朝、さやかが目を覚ますとすぐに医療専門ソーシャルワーカの手取りによって彼女が妊娠してしまった経緯を探った。彼女は初め恥ずかしがって話そうとはしなかったが、自分の体にあったことを説明されると正直に話した。彼女は父親からの性的虐待だけでなく、母親からも虐待を受けていたらしい。母親は愛する人(すなわち夫:さやかの父)を彼女に盗られたとばかりに、彼女に憎しみや嫉妬心を抱き暴力にはたらくようになった。

 その話を聞くと病院と警察はすぐに動き、父親は懲役五年執行猶予四年、母親は懲役一年執行猶予二年の判決がなされた。

 そして、さやかはせわしない数カ月を過ごした後現在の施設はいり今に至る。

 と、その前にさやかは虐待及び性的虐待を受けたことのよりPTSDやパニック障害といった精神疾患に悩まされていた。都内の児童養護施設に移動後は施設近くにある総合病院精神科木葉のもとに通うようになった。


 さやかは施設の中でも年長の方で、小さな子供たちの面倒を見ることもしばしばあった。また正義感の強い性格をしていたため、子供同士の諍いがあると彼女は割って入り諍いをやめさせることもあった。そのため彼女は思春期の子供に対する接し方の難しさや心が病んでしまった小さい子供への接し方の難しさを重々知っていた。

 そこで疑問に思ったのだ。木葉はこんな大変な仕事をあんなに勉強してまでしたかったのは何故か。自分なら絶対にこんな仕事はしないと彼女は思ったのである。


 病院はいつもアルコールの匂いがするはずである。しかし、ここはアルコールの匂いがしない。代わりに心が落ち着きそうなアロマの香りがする。例えていうなれば、美容院やエステサロンのような匂いだ。

 そんなことをさやかが考えているとこれぞ白衣の天使と名付けようと思えるほど、看護師にぴったりの看護師がやってきた。彼女に優しく静かに近づくとそれまた優しく静かな声で「さやかちゃん。こんにちは。」と言ってついてくるように促した。

 精神科の廊下と同じ様に木葉の診療外来も優しいアロマの匂いがする。ここに入るたびにさやかは落ち着いた気持ちになり、帰る時にはいつまでも先生と話していたい気分になるのである。

 「さやかちゃん。最近はどう?変わりない?」

 木葉の毎度の第一声は決まっているのだ。

 「ええ、変わりないです。最近は発作はあまり出ません。」

 「あら、それはよかったわ。一時は大変だったものね。じゃあもう少しで、薬も卒業かな。」

 そんなこんなで話がどんどん進んでいくのだ。さやかは施設の先生よりも木葉に心を許していて色々な話をしていた。学校であったことや、彼女の初恋の話。まるで少し歳の離れたお姉さんにお喋りしているような感じである。大抵いつもさやかが一方的に二週間の間にあったことや思ったこと、感じたことを話していく。木葉はそんな彼女の話を上手に進めてくれるのである。

 一通り話し終わったさやかは今まで気になっていたことを思い切って木葉に聞いてみた。

 「ところで木葉先生は何でこんな仕事しているんですか?」

 木葉は少し考えてから言った。

 「そりゃ、この仕事が大好きだからよ。あなたみたいな子供たちとお話をして、時には癒して。この仕事をしているとね、普通の人より多くの出会いがあるのよ。多くの子供たちと出会って多くの事を学ばされるわ。あなた達は私の生きがいなの。」

 「じゃあ、なんで医者になったの?」

 「とても暗い話になるけど、今もあなたなら大丈夫そうね。もし気分を害することがあったら必ず言うのよ。分かったわね。」


 「実は先生も児童養護施設で育ったの。あなたと同じ十四歳の時からね。」

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