Line 19 元データを作成している最中に

『朝夫、随分楽しそうね』

「まぁね。自室だと他に誰もいないし、はかどりやすいというのもあるかな」

ライブリーに話しかけられた僕は、両手を動かしながらそれに答える。

モン 佳庆ジャルチンとの対面を終えた僕は、自分の講義が始まるまで自室にこもり始めていた。一つは休憩もあるが、テイマーから言われた指示も理由の一つだ。

「魔術書を翻訳するソフトは俺の元にあるので、朝夫は“元データ”を作成しておいてくれ」

彼と一旦別れる際、僕はそう告げられていた。

「内容確認」という依頼で何故翻訳を行うのかというと、中国語や日本語等の多言語で写本を制作しても問題が起きないかという検証をするためである。加えて、依頼人の勤めている出版社は中国に本社を構える企業であるため、北京語や広東語等の中国語に翻訳する可能性は十分あるだろう。

そして“元データ”とは、本の中身を書き写したファイルを指す。書き写すといっても、手書きで紙に書き込むわけではない。テイマーが使用する翻訳ソフトがどのような仕様か詳しくはわからないが、中身の文字を直接打ち込んだWORDファイルを取り込まないと、翻訳ができないらしい。そのため、先日の定期考査採点時に使用していた複合機プリンタでのスキャンは使えない。したがって、元データを作るには本の本文なかみを全部キーボードで入力する作業が必要となってくるのだ。

 タッチタイピングは朝飯前だし、僕にとってはちょうど良い気晴らしになりそうだな!

僕は、キーボードを打ちながら考え事をしていた。

キーボードで文字を入力し続けるのは、文字の位置を把握していないと正直つらい作業だが、タッチタイピングが完璧な自分にとっては、黙々と作業できるし楽しい以外の何者でもない。

とはいえ、現在入力している本文は全て英語で書かれているため、日本語を打つほどの高速とまではいかないだろう。

『朝夫は、どうやってタッチタイピングを習得したんだ?』

黙々と作業をしていると、僕のスマートフォンに宿るイーズが尋ねてくる。

「確か、父さんが職場の同僚から譲ってもらったとかいうタイピング練習ができるゲームをやりまくった結果かな…」

僕は、手を動かしながらイーズからの問いに答える。

思い返せば、小中学生の頃は勉強の合間に父から貰った古いパソコンでよく遊んでいた気がする。学問を学び、友達ができるであろう学校ではほとんど良い思い出が残っていないため、“良い思い出”と捉えられるのは独りで遊んでいた事がほとんどだ。

「…っ…!!」

一瞬、僕の脳裏に“嫌な思い出”がよぎる。

その瞬間、僕は両手を動かすのを止めて静止した。

『朝夫?どうしたの…?』

黙ったまま固まっていたため、ライブリーが心配そうな声音で問いかけてくる。

僕はこの時、心臓の鼓動が少し早くなっているのを感じていた。女性のように中性的な顔立ちも相まって、友達がほとんどいなかった幼少期ころにただ一人だけ親身になってくれた教師がいた。20~30代くらいの男性教師で、一時期自分がいたクラスの担任教師だった事もある。閉ざした心が開きかけるか――――――――――そう思った矢先、思い出したくもない出来事が起こったのである。

「…少しだけ、幼少期こどもの頃を思い出していた」

『………大丈夫?』

僕は溜息交じりの声で答えると、ライブリーは少し間を開けてから話しかけてくる。

その問いかけに対し、僕は黙ったまま首を縦に頷いた。彼女とは両親並につきあいが長いので、幼少期そのころに起きた事も知っている。そのためか、何て声をかければいいか一瞬考えていたのかもしれない。

 思えば、その嫌悪しているのに近い職業を今仕事としてやっているというのは、皮肉だな…

僕は、パソコンのキーボードに視線を落としながらフッと嗤った。

「…さて。少しだけ休憩した事だし、再開するか!」

僕は、視線を本に移してからその場で言葉を紡ぐ。

声に出す事で心機一転し、また作業に集中しようというのが狙いだ。僕が普段の状態に戻ったのと感じ取ったのか、ライブリーやイーズも引き続き僕の作業を見守る事となる。


僕は、あれから小一時間程かけて依頼で預かった魔術書の本文を全体の5割ほど入力を終える。

「さて!ここら辺でひと段落して、軽くチェックしたら食堂へ行くかー!」

僕は、午後から情報リテラシーの講義があるという事もあり、一度作業を中断する事になった。

ずっと椅子に座って作業をしていたため、ストレッチも含めて身体を伸ばす動作をする。

「どれ…」

僕は、マウスを操作して入力したWORD文書を複数ページ表示へ切り替える。

入力中は液晶画面に1ページ分が表示された状態で作業していたが、簡単なチェックをする場合は、複数ページを画面にまとめて表示させると効率が良い。

『ページによっては、空白が多いところもあるようだな』

複数ページ表示した直後、イーズが目で見て気が付いた事を述べる。

「テイマーからの指示で、“1ページ内の単語数は、なるべく原本に揃えてくれ”と言われていたからな。空白が多いページがあるのは、その影響だろうよ」

『成程…』

僕の返答を聞いたイーズは、納得したような声を出していた。

原本の方には一部で挿絵が入っているページもあったため、入力した英文が少ないページがあるという状態である。

 おや…?

複数ページ表示した元データを眺めていると、僕はある事に気が付く。

それは、各ページの先頭にある単語の文字アルファベットが不自然に大文字だという事だ。

不思議に感じた僕は、原本を片手に持ちながら液晶画面内の文字と一旦見比べる。

『もしかして、打ち間違いとかでもあったの?』

「……いや、ザッと見た所、打ち間違いはなさそうなんだが…」

僕の行動を不思議に思ったライブリーが、問いかけてくる。

それに対して僕は、原本と写しを見比べながら答えた。“不自然な大文字”というのは、例えば、英文の途中で出てくる動詞や接続詞の先頭が大文字となっている事態だ。本来は英文の先頭にくる代名詞等が大文字表記されるはずだという事は、英語が不得意な自分にも解る事といえる。

「a…k…a…」

僕は目を見開いたまま、その場で英文字を口にする。

『朝夫…?』

その様子を見ていたイーズが、首を傾げながら僕の名前を呼ぶ。

彼の声を聞いた僕は、一旦その場で我に返る。そして、すぐにパソコンのメモ帳を起動して、口にしていたアルファベットを入力していく。


『朝夫…。これって…』

僕がメモ帳に入力したアルファベットが出そろった瞬間、ライブリーが不意に呟く。

『元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層…って云われている代物だというくらいは知っているかな』

僕はこの時、リーブロン魔術師学校の修練所にて、技術員の下松しもまつ 光三郎みつさぶろうが口にしていた台詞ことばを思い出す。

「akashic records…」

僕は、浮かび上がって来た単語をその場で声に出して読み上げる。

『何だって、この単語ことばが…?』

すると、イーズが首を傾げながら呟いていた。

「なっ…!!?」

『え…!?』

『…っ…!!?』

僕がアカシックレコードを読み上げた直後、目の前が急に眩しくなる。

自分の事で精一杯だったが、近くでパソコンの画面を一緒に見ていたライブリーやイーズも異変が起きたようだった。



「なっ…!?」

眩しくてを閉じていた訳だが、ゆっくりと開いた時に目を見開いて驚く。

自分の身体が妖精のように浮いており、周囲の風景が作業をしていた自室ではない。

『これは…何かの幻…!?』

『って事は、魔術書ほんの魔力か…!!』

気が付くと、両側には同じように驚いているライブリーとイーズの姿がある。

電子の精霊である二人が浮いているのは不思議な事ではないが、普通の人間である僕が宙に浮いているのは普通ならありえない。加えて、僕はそういった身体を浮かせる魔術は使えない人間だ。

周囲を見渡すと、巨大な工場の中ともいえるような光景が広がっている。具体的にどのような機械かは不明だが、茶色と白でできた機械が辺り一面に広がる空間だ。


『左様。今、君達は実在の光景をそので“視ている”だけ…』

「誰…!?」

すると、何処からか男性らしき声が響いてくる。

僕は思わず何者かを訊こうとするが、その答えが返ってくる事はなかった。

『この本に巡り合えたという事は、近い内に“本物”を垣間見る事になるだろう。できれば、我の末裔である事を願うばかりだ…』

『…っ…!!?』

謎の男による台詞ことばを聞いた途端、ライブリーとイーズが目を見開いて驚いていた。

 “本物”って、一体…!!?

僕は心の中で自問していたが、その答えがわかる事はまずなかった。

気が付くと、僕らが視ていた光景は次第に見えなくなり、消えていく事となる。



「朝夫!!!」

「テイマー…?」

椅子に座ったまま意識が飛んでいた僕は、テイマーの声で我に返る。

同時に、電子の精霊達も我に返ったようだ。

僕も視線を向けると、そこには深刻そうな表情かおをしたテイマーが立っていたのである。そして、僕の首筋に優しく触れた後、安堵したのか大きな溜息をつく。

「昼休みになったから、一緒に食堂へ行こうと部屋を訪れたが…。最初、全く返答がなくて焦ったよ」

テイマーは、自分がこの場に至るまでの経緯を話してくれた。

どうやら僕は、彼から扉をノックしてもスマートフォンで電話を入れても、全く応答がなかったらしい。

「テイマー…。僕は…僕達は…」

僕は、先程まで見ていた光景を彼に話そうとする。

一方で、貧血のような眩暈みたいな症状があらわれていた。その状態を見たテイマーは、僕が手にしていた魔術書を一瞥する。

「…詳しい話は、後で聞く。今はひとまず、食堂へ行こう」

「あ、あぁ…」

テイマーは、低めの声音で僕にそう告げた。

少しふらついていた僕は、黙ったまま首を縦に頷く。


その後、僕はテイマーと共に昼ご飯を食べに行くために食堂へと移動する。この移動している間、ライブリーとイーズは考え事をしていたのか、一言も言葉を発せずに黙っていたのであった。

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