寵児の巣立ち(5)

 疲れるほどに泣いて、泣き切って、ようやくミカの気持ちは少しずつ落ちつき始めている様子だった。その傍にはライトがついていて、優しく見守っている。そこから少し離れた場所にはタリアが立って、まだ本人の知らない兄妹の再会を、どこか自分の境遇と重ねながら、温かく見守っていた。

 その場にゆっくりとハクは踏み込んでいた。ほんの少しの緊張感を抱え、どのように話し始めるか言葉に迷いながら、ハクはそこに座り込むミカやライトを見る。


 ミカの言葉は想像がついた。ハクが森を出ていくと言ったら、ミカはきっと抵抗するだろう。かつての自分がそうだったように、ミカはアクシスの元を離れたくないと駄々を捏ねるはずだ。

 そこまで考え、そう反応するミカを如何に説得しようかと考えている途中、ハクの頭の中に言葉の一つがまとまる前に、そこにいたミカの目がこちらを向いた。


「あっ、お姉ちゃん」


 その声をきっかけとして、ライトやタリアの視線もハクに向く。ハクはそれらの視線に会釈を返しながら、ゆっくりとミカに近づいて、まだまとまり切っていない言葉を告げるために、ゆっくりと口を開いた。


「ミカ。少しいいですか?」

「ん? どうしたの?」


 ミカは涙を引き摺った、少し震えた声でハクに聞き返しながら、僅かに首を傾げた。ハクの様子や声のトーンから、ライトやタリアは含まれる真剣さに気づいたのか、二人は引き締まった表情のまま、特に声を出すこともなく、ハクとミカの会話を見守っている。


「これからのことをミカに話したいのです」

「これから……?」


 ハクの言い回しに理解が追いつかなかったのか、ミカは眉間に皺を寄せながら、怪訝げにハクを見上げてくる。その視線にハクは首肯し、ミカに言葉を投げかけるために、その前に屈み込んだ。


「お家がこうなってしまった以上、ここには住めません。住むには、もう一度、新しいお家を建てていただくしかありませんが、それもそう簡単ではありません。これは分かりますか?」


 ハクが僅かに首を傾げながら問いかけると、ミカはすぐに飲み込むように頷いていた。取り敢えず、この場所に残るためには、住む場所を確保するだけの時間が必要であると、ミカもちゃんと理解できているらしい。それが分かったことで、ハクの話は次のステップに進む。


「そこでどうしようかと考えた時に、私は一つの結論を出しました」

「しばらく、この森から離れるの?」


 ミカも既にその考えに至っていたのか、揺れ動く眼差しをハクに向けながら、そう問いかけてきた。


 しかし、それはハクの用意した回答とは異なるものだ。そのことを伝えるようにかぶりを振って、ハクはミカに話そうと思っていた本題を切り出す。


「しばらく、ではなく、ここから離れようと思います」

「えっ? どういうこと?」

「そのままの意味です。この森を出ていこうと私は考えています」


 ハクの発言がミカにとってあまりに突然だったのか、ミカは何度も聞き返すように「えっ?」と呟きながら、ゆっくりとかぶりを振り始めていた。


「嘘? 嘘だよね?」

「嘘でも、冗談でもありません。いろいろと考えて、私はこの森を出ていくことを決めました」

「どうして? いけないことをしたから?」

「それは……」


 全く関係がないかと言われたら、そうではない部分もあったが、ハクを動かす理由の大半がそこにあるわけではなかった。どのように言うべきかと悩み、ハクは少し言葉を考えながら、つい確認するようにライトの顔を見つめてしまう。その視線にライトは怪訝げに眉を顰めて、小首を傾げている。


「迷惑をかけてしまったから、という考えも、全くないわけではありませんが、ただそれ以上に私は御礼をしたいのです」

「御礼?」


 ハクはミカの呟きに頷いてから、しっかりとした視線をライトに向ける。


「助けていただいた御礼をしたいと思ったのです」

「えっ? おれい?」


 自分の顔を指差しながら、驚くように言うライトの言葉に、ハクは小さく笑みを浮かべながら、ミカの方に目を向けていた。


「だから、私はこの方達についていこうと思います。そのためにこの森を出ていくことを決めました」


 ハクの説明を聞いたことで、ミカは戸惑い以上にゆっくりと、ハクの気持ちを考えているようだった。悩むように視線を彷徨わせ、僅かに俯くように頭を傾けてから、次第にハクの気持ちを掴んでいったのか、やがては頷きを返してくれる。


「分かった。お姉ちゃんを見送るよ」


 真剣な表情でハクを真正面から見つめて、そう宣言するように言ったミカの姿に、どこか成長を感じて嬉しく思いながら、ハクはそれではいけないと伝えるようにかぶりを振っていた。


「いいえ、ミカ。違いますよ」

「えっ? 何が違うの?」

「貴女も一緒に行くのですよ?」

「ええっ!?」


 そこで告げられた信じがたい事実にミカは分かりやすく驚愕していた。ハクの言葉を即座に否定するように、躊躇うことなくかぶりを振り始める。


「嫌だ……!? 嫌だ!?」

「ミカ。そう言わないでください。これはもう決まったことなのです」

「嫌だ!? 私は行くなんて言ってない!? お父さんはどうするの!? このままだと一人ぼっちになっちゃうよ!?」

「そのお父様が貴女を連れていって欲しいと仰ったのです」


 ハクから告げられた事実を聞いて、ミカはしばらく大きく目を見開いたかと思えば、即座に告げられた言葉を振り払うようにかぶりを振り始めた。


「そんなわけ……そんなわけないよ!? 嘘を言わないでよ!?」

「嘘ではありません。ミカ。話を聞いてください」

「嫌だ!? 聞かない!?」


 そう言ってミカはハクの身体を突き飛ばし、聞かされた事実から逃げるように、森の奥へと駆け出していた。ハクはその場に尻餅をつき、急な衝撃に顔を顰めながら、走り去るミカの後ろ姿を見つめる。咄嗟にタリアが追いかけようとするが、そのことに気づいたライトがタリアを制止し、走り去っていくミカを見送っていた。


「大丈夫か?」


 ライトが尻餅をついたハクを心配するように声をかけてくる。そのことにハクは少し驚きながら、やや慌てた口調で「大丈夫です」と答える。


「急な話だな。それに理由が俺とか、正直、あんまり意味が分からない」

「何も嘘は言っていませんよ。貴方に御礼がしたい。そう思って、私はついていくことを決めました」

「竜には通した話なのか?」

「当然です。魔王にも許可を頂きました」

「ああー、なるほどね。そこまで話が進んでるなら、俺が口出す話じゃないか」


 そう納得したように頷きながら、ライトはミカが立ち去った方に目を向ける。そこに消えていったミカの姿を思い出すように、僅かに優しい眼差しをしてから、ライトは真剣な口調で語り始める。


「正直、何をどう考えて、あの子も連れていくことに決めたのか分からないけど、できれば、あの子の気持ちを尊重してあげて欲しい。そこにもし俺が絡んでいるなら、あの子を縛る理由にはしないで欲しい」


 ライトの懇願するような言葉を聞きながら、ハクはゆっくりと立ち上がっていた。僅かに痛むお尻を叩きながら、ライトの言葉に否定を返すようにかぶりを振る。


「貴方の存在が理由の一部にあることは否定しませんが、そのことだけであの子を連れていくと私達が決めたわけではありません。あの子にも言ったように父はあの子の巣立ちを望んでいるのです」

「巣立ち?」

「ええ。ここは見ての通り、立ち並んだ木々に囲われた鳥の巣のような場所です。そこにいつまでもいては、あの子は人間としての命を全うすることなく、竜の子として死んでいくことになる。父はそれを望んでいません」

「人として暮らして欲しいってことか? それがあの子の望む幸せではないとしても?」

「それは違いますよ」


 血の繋がりのあるライトでも、ミカとは赤子の頃以来の再会だ。ミカの気持ちや考えは流石に長く一緒に過ごしてきたハクの方が分かっている。

 そのハクだからこそ言えることがある。


「あの子の幸せは父の幸せにあるのです。そして、父の幸せはあの子の幸せにあるのです。それはどこかに行った程度のことで崩れることではありません」


 そう告げたハクの言葉はライトにはうまく伝わらなかったのか、難しそうに眉を顰めているばかりだったが、タリアは納得してくれたのか、少し離れた場所でそういうことかと言わんばかりに頷いていた。


 その様子を見ながら、ハクは立ち去ったミカのことを思い浮かべる。ミカなら、いつかは分かってくれるだろうと思うのだが、そのいつかがどれくらいかは分からない。

 少し自分では時間がかかり過ぎる。そのことを非常に申し訳なく思いながら、ハクはミカに伝えなければいけない言葉を考えていた。

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